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自主学習という宿題④「問いをもつ」

学校の先生は、自主学習という宿題をやらせたがります。
それは、おそらく、子ども達に自ら主体的に学習できるようになってほしいという願いがあるからだと思います。

もしそうだとするなら、自主学習という宿題を出しても、それは実現しません。
詳しくはこちらをご覧ください↓


もし自主学習をやらせるのであれば、

①やりたいと思う楽しい課題を出す
②スタートラインを揃える

この2点は必須です。

ただし、自主学習のマニュアルを作成し、やり方を説明しただけでは、
スタートラインは揃った状態にはなりません。

必要に応じて個別支援をしてはじめてスタートラインが揃うのです。

これに加え、問いを持たず、受け身学習をしてきた多数派の子たちの中にも、マニュアル作成して説明しただけでは、理解できない子もいるはずです。
だから、何度か学級全員に授業中に自学を取り組ませ、自学に必要な技能があるのか個別に評価して、支援していきます。

そこまでしないとスタートラインは揃いません。
学習におけるスタートラインとは、
徒競走のスタートラインとは意味が違います。
スタートラインが揃ったとしても、
自学メニューの多さや、どんなことしたらいいのか戸惑う子がいます。
根本的な課題を解決するには、やはり、

自主学習に必要と思われる技能を鍛えていくしかありません。

その技能は以下の通りです。
これは、普段の授業で鍛えていきます。

①問いをもつ
②めあてを立てる
③自分の考えを図や文章に表す
④誤答に学ぶ
⑤ユーモア
⑥自分と対話する

今回から、この自主学習に必要と思われる技能を授業でどうやって鍛えるのかについてお話しします。

算数の学習を通して考えていきます。

今回は、
①問いをもつ
です。
これだけは、やってはいけません。
「固定化された形式・展開に縛られ、一方的に課題を提示すること。」

例えば3年生の教科書問題(式と計算)に次のようなものがあります。
たくみさんは、お楽しみ会をするので、
 1本70円のジュースを 6本
 1個30円のみかんを  6個
買いました。
代金はあわせて何円ですか。

こうやってすべて問題を提示したら何が起きるかわかりますか?

「先生できました!」
「先生、答え600円でしょ!」
と反応してくる子がいるはずです。

もしこのように、問題提示した瞬間に正答を言ってきたらどうしますか?
こんな提示の仕方は絶対にしませんが、もしこのような提示をして、
正答が返ってきた場合、私は、
「えっ!!この答え500円でしょ?どうして600円なの?」
と、
あえて誤答で問い返します。
そうしたら、600円と言った子は説明を始めようとするはずです。
そして、他の子にもどうして600円になるのか説明を考えさせます。
さらに、先生がどうして500円という間違いをしたのかについても考えさせます。
その過程で、別々に計算するよりも、ジュースとみかんを1セットとみて計算することができれば、簡単に間違わないで計算できることに気づかせます。

切り返し方によっては、問題をそのまま提示しても、問いを引き出すことはできますが、はじめからすべて提示しなければ、問いは必然的に生まれます。
そこで、どこかの数値を🔲として提示します。

ジュースの値段と買った本数を🔲として提示して始めたことにしてみましょう。
「みかんの代金ならわかるよ。30×6=180だから180円」
答えを出したがる子はわかってることを言いたがります。
でも問題文の答えは出せません。
「ジュースはいくらだと思う?」
「100円」
「150円」
「もっと安いんだよね~~」
「90円」
「70円」
「正解!」
「どんなジュース?」
「スーパーの特売の日にかったペットボトルのジュースだよ」
「何本だったら計算しやすいかな?」
ジュース代金は当てずっぽうでよかったのですが、今回は、計算しやすい本数なので理由が必要になってきます。
「1本」
「どうして?」
「1本なら70円ってすぐにわかるから」
「じゃあ2本」
「どうして?」
「だって、70円の2本分だから140円ってわかる」
「ということは、1つ分の値段と本数がわかればジュースの代金は求められるってことかな?」
「うん」
ここで、黒板に
1つ分の数(ねだん)×いつく分(数)=全部の数(ねだん)
と書いておきます。
「じつは、ジュースは6本でした」
「じゃあ、みかんと同じように計算したらすぐに答えでるよ」
「600円でしょ」
とここまでわかると、ほとんどの子は、答えがわかってしまいます。

そこで
「みんな今、計算したでしょ?」
「どんな計算したの?」
「70×6と30×6をしたあとに足した」
「ということは、かけ算した後にたし算したんだね」
「じゃあ、この反対ってできるかな?」
「反対???」
「つまり、たし算してからかけ算して答えを求めるってこと」
「え~~そんなのできるかな?」
「できるかも…」
「どうやったらできそう?」
「図をかいたらわかるかも…」
「みんなも図かいたらわかるかな?」
「じゃあ、今日のめあてはどうすればいいかな?」
「図を使って答えをもとめよう。がいいと思います。」

このような展開にしていくことができます。

授業中、「先生、できました。」「先生、終わりました。」という言葉をよく耳にします。
悪気がないのは分かりますが、このような子どもたちには問いがありません。
問題文=問い
ではないのです。

「黒板に書いてある問題に対する答えが出ました。どうしたらよいですか。何をしたらよいのか分からないので、次の課題を教えてください。」
と言っているのと同じです。



問いを持たせるためには、問題提示にしかけをする必要があります。
教科書を開かせたり、教科書を画像として取り込みプロジェクターですべて映し出してしまうような授業からは問いは生まれません。
電子教科書などでの提示も同じです。

問題文にある数値を🔲にしたり、問題に使用する表や図、図形、場面や条件の一部を隠したり、オープンエンドの問題を採用したり、絵やイラストだけを見せて気付いたことを発言させたり、導入場面で誤答を提示したりすることで問いが生まれ、子どもたちが主体的に、問題解決の着眼点を見出すこともできるようになります。
 
問いとは、授業の中で、次のような思いをもたせることであるということもできます。
 
①今まで習った考えは、使えないのかな。
②昨日のやり方を使えば、簡単にできるかも。
③何かきまりがありそうだな。
④あれっ、これって答えどうなるの。難しそう。
⑤これってどういう意味なんだろう。
 
このような思いをもったとき、子どもたちは、その問いの解決にむかって主体的に動きだします。
このようなつぶやきを見逃さないことが大切であり、
問いをもつことができれば、自然にめあてを考えることができるようにもなります。
逆に、このような問いが出てこない場合、
授業の早い段階で問題を解決してしまい、
「できた」「終わった」と学びを止めてしまうことになりかねないので注意が必要です。

「最も優れた教師は、子どもの学ぶ心に火をつける教師である」や、
「馬を水辺まで連れていくことはできても、無理矢理、馬に水を飲ませることはできない。」
といった名言があります。

これらの言葉はいずれも学ぶということの本質が、
きわめて主体的な行為であることや、

我々教師の仕事が子どもの学びを促すことに、
その本質があることを示唆しています。

主体的な学習への入り口は、問いです。
常に、授業では問いを意識させていくことで、
自ら問いが持てるようになっていきます。

 




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