見出し画像

Revolutionに関するあれこれ

もうお気づきだと思いますが、新生ウエイラーズの一作目アルバムNatty Dreadからホーンセクションが録音に加わっています。

彼らの参加によってアレンジが多彩になり、サウンドがコアなレゲエ愛好者やロックリスナー以外にもアピールするものに進化しました。

今回はウエイラーズのホーンセクション、ジャマイカのポピュラーミュージックにおける管楽器の歴史、さらには隣の音楽大国キューバとの隠れた繋がりについて書いてみようと思います。


別バンドから参加

まずはホーンセクションZap Pow Hornsの紹介から。

Zap Pow Hornsとはウエイラーズとは別のバンドZap Pow(ザップ・ポー)の管楽器奏者David Madden(トランペット)、Glen DaCosta(サックス)、Joe McCormack(トロンボーン)を指します。

Zap Powにはホーンプレイヤー以外にギタリスト、ベーシスト、ドラマーがいて、自分たちの名義でアルバムも発表していました。

ウエイラーズと同じルーツレゲエのバンドです。

Beres抜きで演奏中のザップ・ポー

のちに人気シンガーとなったBeres Hammondが若い頃、在籍していたことで知られています。

すべてはAlphaから

Zap Pow HornsのMaddenとDaCostaはキングストンのAlpha Boys School(通称Alpha)で器楽演奏を学んだ同窓生です。

Alphaは貧しい家庭の子供たちに教育と職業訓練の機会を与える目的でカトリックの修道会が運営していた全寮制の学校でした(今も健在です)。

実はこの学校はジャマイカの音楽シーンにとって最重要な存在のひとつです。

ほかに音楽教育の場がまったくなかった時代、Alphaで楽器の演奏法や楽譜の読み方を学んだ若者がプロミュージシャンになり、ジャズを下敷きにジャマイカンポピュラーミュージックSka(スカ)を生み出し、発展させていきました。

スカのパイオニアとなった伝説のバンドSkatalites(スカタライツ)の主要メンバーを見てみるとDon DrummondLester Sterling, Tommy McCookJohnny MooreがAlpha出身です。

さらにSkatalitesが結成される少し前に単身イギリスに渡った名トロンボーン奏者Rico RodriguezもAlphaで腕を磨いたひとりです。

名前が明かすルーツ

気づいた人もいると思いますが、DaCostaやRodriguezはスペイン語のファミリーネームです。

Alpha出身ではないですが、スカタライツ創設メンバーRoland Alphonsoも同じくファミリーネームがスパニッシュです。

ジャマイカは最初スペインの植民地でしたが、それは16世紀から17世紀にかけての話です。

イギリス人のサトウキビ農園で奴隷として働かされていたアフリカ系の人たちとその子孫は基本的に全員農園主と同じ英語のファミリーネームを持っています。

移民としてキューバへ

スペイン語ファミリーネームは、移民として隣の島キューバに渡り、向こうで結婚したりして名前が変わったジャマイカ人たちが持ち帰ったものです。

ジャマイカとキューバは隣同士

統計資料がないため数字は分かりませんが、20世紀初頭から1950年代にかけ、相当数のアフリカ系ジャマイカ人が職を求めてキューバに移住しています。

そのほとんどがサトウキビの栽培や加工に従事していたそうです。 

(イメージ画像)

United Fruit Company(現在のチキータ)が定期的にジャマイカから労働者を船で運び、革命Cuban Revolution)前にはキューバ島各地にジャマイカ人コミュニティがあったと言われています。

こうした移民の多くは社会主義革命が起きた後、ジャマイカに戻りました。

戻った人たち、残った人たち

ボブが暮らしていたキングストンのゲットー、トレンチタウンにもキューバから戻ってきた人たちのコミュニティがあったと言われています。

ボブの妻リタもそのひとりです。

彼女は両親と共にキューバ東部の主要都市サンティアゴ・デ・キューバ(Santiago de Cuba)から戻ってきた帰国ジャマイカ人です。

夕暮れのSantiago de Cuba

リタや前出のDaCosta以外にもボブの周辺にはキューバ出身者がいました。

トレンチタウン出身のパーカッション奏者Alvin Seeco Pattersonやラスタ長老Mortimer Plannoがそうです。

知られていないだけで、ほかにもきっとキューバ生まれの人がいたはずです。

でもキューバで暮らしていたジャマイカ人全員が革命後戻ってきたわけではありません。

キューバに残って「ジャマイカ系キューバ人」になった人たちも大勢います。

訳者<ないんまいる>はキューバのダンス音楽Timbaのファンでもあるんですが、現地で遭遇したグループLa Caro Bandがジャマイカ系のファミリーバンドでした。

フロントの女性3人のファーストネームが全部イギリス式だなと思って休憩時間にメインボーカルに訊いてみたら「うちの家族のルーツはハマイキ(ジャマイカ)だよ~」と教えてくれました。

キューバでまかれた種

話を帰国ジャマイカ人たちに戻します。

キューバでは合衆国のジャズオーケストラの影響を受けて1930年代後半にMambo(マンボ)という管楽器メインのダンス音楽が生まれ、1950年代初頭にかけ爆発的人気となっていました。

ジャマイカ移民たちも当然この音楽をシャワーのように浴び、管楽器で演奏するダンス音楽に親しんでいたと考えられます。

そんな彼らの子供たちがAlphaに入学して当たり前のように管楽器を手にしたわけです。

キューバで蒔かれたマンボという種から芽が出て、その芽がジャマイカという土に移されてスカという新しい実を結び、そこからロックステディを経てレゲエが生まれました。

ジャマイカからキューバへ、そしてキューバからジャマイカへ。人が動き、音楽が生まれました。ほとんど知られていないカリビアンミュージックの一面です。

話がレゲエに戻ってきたところで、今回はこのへんで~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?