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コメント力について考える

 昨日こんなnoteを書いた。

 その中に、新しい習慣にしたいことの1つとしてこんなことを書いた。

③心動いたnoteにはコメントを残す。→誰かの表現に対するフィードバックの習慣づけ

 なので、昨日も今日もいくつかのnoteにコメントを残している。わたしのコメントに対する作者さんからのコメントが来たとのお知らせを受け、再度そのnoteを訪れて改めて自分のコメントを読み返してみたのだが、おおいに反省する点があったので、この機会にコメント力について考えてみたい。

◆とりあえず、コメント3つのパターン

 コメントとは、なんらかの出来事や誰かの言動などに対して発せられる”声”だとわたしはとらえている。たとえば不祥事を起こしてしまったタレント本人やその関係者、それを聞いた第三者の”声”だ。ここで言う”声”とは物理的に聴覚で認識される音声ではなく、その人たちの想いや考えという意味合いで使っている。

 このコメント、いろんなパターンがあると思う。

(例)「この度はわたしの不徳の致すところで不倫という形で家族や関係者のみなさまに多大なるご迷惑をおかけしてしまって、大変申し訳ありませんでした。」と、自身の不倫報道に対して当事者であるタレントが謝罪のコメントを出したことに対しての妻のコメント

<状況説明型>「夫が不倫をしたという事実を、今はまっすぐに受け止めることはできません。」

→夫に対しての想いや感情ではなく、自分自身の状況に対するコメント。背景には「そんな状況にある自分に対して配慮してほしい」という切実な想いを感じられる。

<感情説明型>「家族がある身でありながら、妻の私に隠れて他の女性とそういう関係を持っていた主人に対して、怒りと悲しみでいっぱいです!」

→夫の不貞行為に対する自分の感情にフォーカスしてコメント。背景には「こんなわたしの怒りや悲しみに共感してほしい」という想いが感じられる。

<援護射撃型>「タレントという世間一般的には華やかな仕事をしている彼が人並み以上にモテることは結婚する前からわかっていたことですし、本人は猛省しています。タレントの妻としてわたしができることは、彼とともに家族としても人としても一から出直し、失った社会的信頼を今後のお仕事を通してきちんと回復していけるように彼を支えていくことだと思っています。」

→夫は責めずにむしろやんわりと援護しながら、タレントの妻としての自分のスタンスを表明。一番の被害者である妻にこうしたコメントを出されてしまうと、第三者はそれ以上ツッコミにくい。ダウンタウン浜ちゃんの不倫がばれた時の妻・菜摘さんのコメントもこのタイプ。夫を守り、自分も守っている。

◆noteにあてはめて考えてみる

 さらに様々なパターンがあるだろうけれど、ひとまずこの3つを誰かのnoteにコメントする時にあてはめて考えてみた場合。

 わたしがけっこうやりがちなのは、誰かのnoteに対して自分の状況や感情を説明するというパターン。

・あなたのnoteを通してこんなエピソードを思い出しました。
・あなたのnoteを通してこんな感情を抱きました。

 そのエピソードや感情の内容によっては、コメントされた方にもなにかしら喜んでいただける要素があるかもしれない。でも、実はこのパターンって、自己満足&自己完結型が多いように思う。特にわたしの場合。

 そういうパターンの自分のコメントを読み返し、noteに書かれていたことに対する直接のフィードバックにはなっていないんじゃない?って反省したのでした。自分のコメントに自分で熱を感じないし・・・。

③心動いたnoteにはコメントを残す。→誰かの表現に対するフィードバックの習慣づけ

 確かにコメントは残しているけれど、”フィードバック”という部分が該当しないのだ。わたしが習慣づけしたいのは”フィードバック”の部分なのに。

 で、気づく。「この習慣を通してどうなりたいか?」という部分を意識出来てないんじゃないか?と。

③誰かの表現に対するフィードバックの習慣づけ:「スキ」のボタンを押すというリアクションはその投稿記事をまったく読まなくてもできます。しかし、まともなコメントをするにはきちんとその文章を読み込むことが必要です。その上で、自分は何を感じ何を伝えたいと思ったのかを考えてコメントすることはとても思考力を鍛えてくれます。

と、昨日のnoteに自分で書いているのに、わたしが読み返した自分のコメントは鍛えたいと思っている”思考力”のスイッチを入れずに書いていた。う~ん、それじゃあコメントを受けた方もどう返答していいのか困ってしまうよね・・・。ちなみにとても誠実にお返事いただいていたので、なおさらわたしのスカスカなコメントのために返信の手間暇をとらせたことを猛省・・・。ごめんなさい、です。

 援護射撃とまではいかなくても、コメントを書いた自分だけでなく、そのコメントを受け取ってくださった方にも喜んでいただけるようなフィードバックを心がけたい。そのためにも、もっと丁寧に一つのnoteをきちんと読み込まないと。ある程度数の稽古をしたら、今度は質の稽古にシフトしていこう。

◆わたしが身に着けたい”コメント力”とは?

 コメント力を磨く上で実はすごく役立つなあと思ったのがTwitterだ。基本的には140字(スレッドを追加することで字数を増やすことは可能)という字数制限の中で、コンパクトにまとめられた文章。だからこそわかりやすかったり、逆にわかりにくかったり。

 そんなTwitterではコメントのやりとりを通して自分の思考力が磨かれる体験が往々にして起こる。できるだけ140字以内で効率的にコミュニケーションを取ろうと思ったら、なかなかの配慮が必要で。その配慮の過程で自分がおそろしく研ぎ澄まされたりして。あと、普段無意識に使っている言葉の意味をきちんと調べなおしたりとかね。これがなかなかあなどれなくて。

 ひるがえって、ではnoteで身に着けたい”コメント力”とは?ここには一番には”読解力”が伴わなければならない、と感じている。ある一定の文章というものは、たいていの場合何かしらそれを通して誰かに伝えたい「意図」というものがあって。それをきちんとキャッチして自分なりに咀嚼した上で、読後の感想をコメントできたらなあと。

 これができるようになると、とりあえず書きながら考えるタイプのわたしでもおそらく事前に「その文章を書く意図」を明確にする技術を身に着けられるように思うのだ。

 読解力を伴うコメント力を鍛えることによって、伝えたいことを事前にきちんと意図した上で文章を書く力をつけたい。

 というのが、今回このnoteを書きながら自分で導き出した結論。心に響く文章を書くためには、心に響く文章にたくさんふれるといいよね。

 ・・・コメントもいいけど、#note感想文 を1週間に1つ以上は書くという習慣をつけるとより良いと思ったので、さっそく実行しよう。

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