次に読む本は冒頭文を参考に。

本の紹介をするにあたり、一冊について熱弁するのは個人的になにやらハードルが高い。

なんとかしてハードルを下げるため、今回は複数の本から冒頭文だけを抜き出して、一言二言の感想を申し訳程度にそっと添えたいと思っている。

次なんの本読もうかと逡巡している、そんな人がいたら今回紹介した書き出しにビビッときたり、「あ…私こんな書き出し好きかも…」と僅かながらでも心が動いた本を次の読書候補にしてほしい。

読書中に、「なんか読みにくいな…」とか「サクサク読めるな、この本…」とか好みにって感じ方は異なるし、1文に引っかかるのは今の自分がそういうものを求めている状況下にいることもあるだろうし、だからこそ今読むべき本と勝手に位置づけても良いと思う。

もしこのnoteをきっかけに次に読む本の参考になりましたという人がいたのであればとても嬉しい。

尚、本によってはまえがきやプロローグなど構成が違う為、どれを書き出しと捉えるかは僕の勝手な基準になっている点はご了承頂きたい。

また紹介している本は読了している為、書き出しのみに対する感想である場合と読了したからこそ、バックボーンも加味しての感想である場合と両パターンがあるのでご了承頂きたい。

注:『』内が書き出し
【】内が本のタイトル・著者名
それ以外が僕の勝手な感想

『その食堂の皿は本当に美しかった』
【つむじ風食堂の夜 吉田篤弘】

料理側ではなく器側に気持ちがもっていかれることは多々ある。もしもバイキングの皿全てがARABIAであった場合、お客は皿を手に取る段階で興奮し、食べログにはコスパ良きと書き込むだろう。

『そもそものはじまりは間違い電話だった』
【ガラスの街 ポールオースター】

間違い電話から話が進む物語にワクワクするのは日常や安全世界とは対極にある冒険の世界をまるで傍観者のようにリスクなく遥か遠くから眺めていられるからに違いない。

『本は読めないものだから心配するな』
【本は読めないものだから心配するな 菅啓次郎】

ジャケ買いならぬタイトル買い必至。長年なんとなしに頭の片隅に巣食っていた不安の中にあって、この1文の破壊力は肩の荷を下ろす手助けをしてくれる。

『以下の頁、というよりもその大部分を書いたとき、私はどの隣人からも1マイル離れた森のなかにひとりで暮らしていた』
【森の生活 H・D・ソロー】

1マイル=1.6キロらしい。400m×4人リレーはマイルと呼ぶらしい。
400m×4人リレーと聞くと世界陸上の情景が浮かび、織田裕二の笑顔とともに「あなたが笑ってくれる〜♪それだけがぼくのオーマイトレジャ〜♪」が頭に流れ、最終的に「なにやってんだよ!タメ〜!」とモノマネに行きつく始末。

『「悲しい」って名前をつけた感情は、「悲しい」だけで出来ていないって思うわけで、私は一心同体みたいに異常に仲が良かった兄が居て、兄は私が十歳の時死んだのね』
【私はそうは思わない 佐野洋子】

日頃何気なく使っている言葉もいざ立ち止まって深掘りすると本当の意味はよくわかっておらず、ふわふわと漂っていて掴みきれないニュアンスをなんとなくギュッとして理解しているものだから、そんな言葉を1人1人があーだこーだ解体してくれるのを咀嚼するのは楽しい。

『半年前から、玄関で寝てる』
【流れ星が消えないうちに 橋本紡】

まず寒いだろと思う。しかし身体は環境に順応するし、してしまう。それはいいことなのだが悪いことでもある。寝る場所というのは寝室が基本であるのは確かだが、基本の場所というのは絶対的ではなく、むしろ固執せずに変更してみると思考や見方が変わることもある。

『これこそが理想的な「道」だといって人に示すことのできるような「道」は一定不変の真実の「道」ではない。』
【老子 金谷治】

世界は定義でできているけれど、定義は生まれたての子鹿のように足元はぐらぐらで覚束ないものかもしれない。曖昧なものに名前をつけ言葉を駆使してなんとかかんとか形作って体裁を整えている。恐いもの、おもしろいものはよく視ればそこにはなんにもなくて、不安になって、ほっとする。けど毎分毎秒こんなん考えてたら発狂するから、そんな時はバターをのせてカリカリに焼いた食パンにたっぷりのはちみつをかけて食べながら、ゆるキャンをみて至福に浸ろう。

『ぼくは病んだ人間だ…ぼくは意地の悪い人間だ』
【地下鉄の手記 ドストエフスキー】

他人に「ぼくは意地の悪い人間だ」と言われるとほっとするのは僕も意地の悪い人間だからだ。心の中はドロドロが渦巻くスペースも持ち合わせており、それを脇に脇に押しやって意地の良い人間であることを自身に言い聞かす。ときにドロドロを人前で吐き出す時はトロトロ程度のPOPな状態に薄められるようありったけの技能を駆使したいと思っている。

『舌を吸うと、母乳の味がした。』
【よみがえる変態 星野源】

なんかエロい。どんな書き出しやねんとほくそ笑む。
唐突だが僕はほくそ笑むという言葉が好きである。響きもあるのだが、笑いのカテゴリーにあって重箱の隅をつついているような微かなニュアンスが相手に伝わることが可能であることが嬉しいからなのかもしれない。
願わくば「ほくそ笑む」をバチボコ使って一週間を過ごす日があってもいいと思っている。

『メロスは激怒した』
【走れメロス 太宰治】

最も有名な書き出しの1つ。日常生活において怒ることはあるが激怒することなんてなかなかないし、しかも他人の為に激怒するなんて僕にはできない。激怒して、文句を言いに行き、捕まって、勝手に友人を身代わりにして、祝って、走って、殴って、抱擁する。メロスはどう考えてもむちゃくちゃなやつだけど純粋で真っ直ぐすぎるから逆に羨ましいとさえ思う。

『古風な人間と新しい世界観の持主の間を分ける区分の1つは、嫉妬についての考えの違いである』
【人生についての断章 バートランド・ラッセル】

時代の風潮に沿って人の価値観は左右されることは勿論であるが、古風な人間と新しい世界観とざっくり一括りにされるのはなんか違うけど…と感じる人は多いだろう。ゆとり世代、ベジタリアン、小泉チルドレン、ソース顔。突き詰めていけば最小単位は個人であり、アイデンティティが排除されていることが引っかかるのだろう。僕もついついむっとしてしまうのだが、のほほんと「そんな一面も確かにあるかもなー」くらいに受け容れる器も持っていたい。
春でも夏でも冬でも読書はしたい。

『平和の構築、ということで考えなければならないのは、国内の安定だけでなく対外関係の整備もある』
【逆説の日本史13 近世展開編 井沢元彦】

人でも国でも社会でも自と他で構成されている。どちらが滞っていても平穏は訪れない。けれど、どちらかといえば内なる声に耳をすますことのほうが肝要であると思っている。

『社会人一年目の夏。仕事に慣れてきた私はサボることを覚えた』
【ここで唐揚げ弁当を食べないでください 小原晩】

たまの息抜きは必要である。10個のバブを惜しみなく投入し、もはや黒く濁ったバスタブにゆっくり身体を預けてみよう。

以上。

#読書の秋2022

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