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人生のチューニング

曲を作ることーアルバム制作日記ー

本日も寒かった。寒いことは全くもって世界の都合なので
私たちが文句を言ってもしょうがないのだが、世界には自分が寒くなっているという自覚はあるのだろうか。というより自分という概念がない。だって他者がないから。
おそらくない。それがあるならば、彼らは思考できることになるからだ。
もし彼らが思考できるのであれば、聞きたいことは山ほどあるが
それに対して人間が理解できるレスポンスの方法を持っているようにも思えない。
というより彼らのレスポンスをこちらが受け取れるか分からないということだ。

それは一先ず置いといて、寒さは心まで寒くする。
心が寒くなると制作にも影響が出る。

まず暖かい曲が書けるようになる。
寒がゆえに暖かいことの輪郭がはっきりし、書けるようになる。
そして同時に夏では書けない、心の寂しさや寒さを描くことができる。
知り合いの女優さんが「クリスマス、クリスマス、クリスマス、うるせー!」
とツイッターでつぶやいていたがよく分かる。
役者には自分から想像する権限がないので、彼らはその寂しさを個人の中にためて
せいぜい何かそれに会った役があった時にその気持ちを引っ張り出して来ることしかできないが
曲や詩を作る私にとっては好都合できちんとそれを自由に創作の材料にできる。
大学の頃役者を一瞬志したが、早めにやめた理由はそれだった。
役者の仕事は「待つことと、嘘をつくこと」でアーティストは「見せることと、笑うことだ」
役者はその職業の本姓からして、アーティストとはかなり距離の遠いところにいる。

曲を作るようになってからもう、あれこれ10年が経つ。
創造に没頭する人生はその純度を年々ましていき、創造中毒いや、創造こそ人生になってしまった。
大量に観る映画、読む本、話す言葉、その全てがインプットとなり創造に昇華されていく
このような日々を送っていると、全くもって無駄なことが人生になくなる。
無駄なことは無駄でないことの意味を教えてくれるし、無駄なことあるのか?
という哲学も生まれる。その一切に無駄なことがない以上、無駄という概念が合理主義者の作るフィクションであることにも気付く。

人は無駄を好む。無駄な時間をどれだけ一緒にしたかでその人たちの無意識の連帯感が生まれる。

制作も同じかもしれない、無駄な時間を制作と過ごす感覚は少しある。
創造くんに、これって今なんの時間なんだろう?
と語りかけると基本的に無視されるが、「まぁいつか分かるかもね」という顔をしている。
その顔を見るとなんだか落ち着く、未来のことは分からんが、それが何かになっていく。
その何かが創造の糧になるわけならそれで良いのだ。
その糧にしていく体を作っていくことが制作の無意識なのだと思う。
感覚が開かれ、いろんなものに興味をもてる、心が広がり時間をゆったりと過ごせる。
過去や現在、未来というものが制作の中ではあまり意味を持たなくなっていく、総体としての
作品だけがなんだかぼんやりとこちらを見ている。

作品は時が止まった自分なので、なんだか自分がたくさんいる気がする。
彼らは未来という謎の時間を生きる私に対して、かくかくしかじかその同一性を担保しながらその変化を明確に教えてくれる。

自分が一体なんなのか分からなくなってアイデンティティを喪失しそうになったら、自分の曲を聴くとすんなり問題の場所がわかる。
自分をチューニングしてくれる。素晴らしいことだ。過去の自分が放つあるべき姿の延長に自分がいるのか。
そのチェックができるのは素晴らしいことだ。
人間は基本的に自堕落で適当な生き物だ。道徳的に問題を起こすこともあるし、倫理的な問題を抱えることも多い。
チューニングが非常に重要であることは間違いがないがどのようにしてそれを行うのかが最も重要になってくる。

自分の人生がチューニングちゃんとできているか。
そのチューニングの物差しはどこに、誰にあるのか。

それを見つけないと自分は簡単に誰でもないただの社会を動かす歯車になってしまう。

チューニングは大事だ。

音じゃない、人生の。

漫画心理学というジャンルが小さい規模であるが存在する。学会でもシンポジウムを開いたりしている。
自分のアイデンティティーを作る上で、漫画のキャラクターが大きな影響を表すのではないか。
その影響を考えてみよう。ということだ。

その人ならどうするかな?
と心の中である場合はすでにチューニングだ。
そしてチューニングする対象が師匠のようなものであれば、いろんな師匠がいていいはずだ。

制作をやるときはピカソ
お金の使い方はピカソ
男たるものを考えるのは桐生一馬
生き方そのものはあしたのジョー
のように、いろんな師匠がいて良いのだ。
そのような、チューニングにおける師匠に出会えていない人はたくさんいるが
ここぞという自分の弱さに向き合う時に、一人で戦うか彼らのサポートありで戦うかは全く違う話になってくる。

私には多くの師匠がいてよかったと思います。

それではアルバム制作、本日は特にジャケット制作に戻ります。

現場からは以上です。

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