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新刊と新婚の話――あるいは才能と嫉妬の話

先週、最新作となる『神に愛されていた』が発売になった。
今作は珍しく「あとがき」があるので、この小説を書いたときの思いは、ぜひ本編とともにそちらで読んで頂きたいのですが、本を刊行したときくらいしかnoteを更新しなくなってしまったので、近況をあわせて、今の気持ちを書き連ねていこうと思う。

帯が豪華すぎる

まず、新刊『神に愛されていた』について。
この作品のテーマを一言で表すのなら、「才能と嫉妬」そして「究極の愛」になるだろう。
最初に言っておくと、実はこの小説は、天才音楽家モーツァルトとサリエリの確執を描いた映画『アマデウス』をオマージュした作品にもなっている。(ずいぶん昔の映画なので、気が付く方は少ないかもしれない)
『神に愛されていた』というタイトルも、この映画が由来だ。
アマデウスは、モーツァルトのミドルネームであり、「神に愛される」とか「神を愛する」という意味がある。(それほどまでに、彼には才能があった)
というわけで今作は、タイトルありきで、プロットを組んでいった。(というか毎回そうかもしれない)
黒歴史シリーズは基本的にイヤミスなので、今回は希望のある物語にしようと、最初からそれだけは決めていた。

▼作品については、回答を書き下ろしたインタビュー記事がでたので、こちらを読んで頂けると幸いです。


私は小さい頃から漠然と、自分は神に愛されていると、そう思い込んで生きてきた気がする。(宗教的な意味ではなく)
それは『自分は特別だ』と信じている意識の表れに違いない。
この歳になってもなお、自分が特別な人間だと感じているのは相当痛いとは思う。狂おしいほどに、特別ではないことも、知っているからだ。
けれど、近しい人の才能を見て悔しくなったり、他の人の本が売れて羨ましくて絶望したりするのは、自分の作品の素晴らしさを信じているからなのだろう。
そして時に、「もうこんなに苦しい気持ちになるのならば、小説を書きたくない」と思うのは、それほどまでに小説を愛しているからだ。
創作に没頭するというのは、誰かを愛することに似ている。――あるいは同じことなのかもしれない。
でも考えてみれば、少女の頃から夢だった小説家という職業につけて、売れない頃からなぜか依頼が絶えず、ここまで続けてこられただけでも、私は十分『神に愛されている』のだろう。
勿論「もうだめかもしれない」と思う瞬間は何回もあった。
けれど絶望しているときには必ず、それはまるで神が手を差し伸べてくれるように、私の才能を信じて、助けてくれる人が現れた。
作品に書いた通り、正直どうしようもない編集者さんもいるが、私の本をこよなく愛してくれる編集者さんもいるからこそ、『神に愛されていた』も刊行することができた。
そして今作は、自分でも心から好きだと感じる小説が書けた。登場人物を全員、抱きしめたい気持ちでいっぱいだし、ずっとこの物語を書いていたいほどだった。
どうかこの作品が、多くのみなさまに愛されることを祈っています。

珍しい四色刷りの化粧扉


そして新婚なので、その話も少し。
ご存じかと思いますが、今年の2月22日(猫の日)に小説紹介クリエイターのけんごさんと結婚しました。(ちなみに『神に愛されていた』の初稿を書き終わったのは2月21日。結婚前夜だった。)
何を隠そう、けんごさんは『みんな蛍を殺したかった』を大重版させてくれた恩人である。

なんと9刷になった

だから私にとって、けんごさんは「神」だった。
けんごさんがいなければ、今の私はいないだろう。
当時は、もう『蛍』が売れなかったら終わりだと感じていたから。
だから、けんごさんが作成してくれた動画のおかげで、本当にたくさんの人が本を手に取ってくれて、私の人生は変わった。暗く長い闇に差し込んだ一条の光だった。
鮮明に覚えているが、私は『蛍』の紹介動画が投稿された瞬間からずっと異常なほどにドキドキしていた。
それは、はじめてバズるということを体感した高揚感もあったが、もしかしたらその頃から、けんごさん自身に尊敬を越えた何かを感じていたのかもしれない。
けんごさんとやり取りを交わすごとに、その気持ちは膨れ上がり「これほどまでに誰かを好きになったことがない」というくらいの、ものすごい感情を抱いた。初めて会ったときから結婚するまで、ほぼパニック状態だった(笑)
三十も半ばになって、11個も年下の男の子にこんなふうに恋をするなんて、本当に人生は何が起こるかわからない。(年下と付き合った経験すらなかった)
長くなるのでこの後のことは省略するが(いつかエッセイにでも書けたら)、入籍する前も、入籍してからもしばらく、私たちは、京都と東京で遠距離恋愛をしていた。
朝、自分へのLINEの返信より、ストーリーが更新されているとがっかりしたり、なんだか久しぶりにJKみたいな気持ちだった。
しかし、さみしいと言えば、毎週のように京都に来てくれたので、今までもらったことのない種類の、大きな愛を感じてうれしかった。交通費が恐ろしい額になったのもいい思い出だ。

SNSに載せた結婚報告

そしてこの夏、一緒に住みはじめてからは、誰かに対する漠然とした嫉妬心とか、そういうのが、消えたわけではないけど(消えることはないけれど)確実に薄くなった。
それは作家として自分に自信がついたのもあるが、愛する人に愛されているという状況は、何よりも強いからだろう。
しかし、人生は長い。恋愛は時に脆い。新婚じゃなくなっても、愛する人に、ずっと愛してもらえるような人間でいなければと思う。
今の自分は確実に、十年前の自分が、死ぬほど憧れていた作家像だ。
でも今の私は、もっともっと、小説家として成功しなければならないと思っているし(あえて、成功という言葉を使う)、もう誰にも嫉妬しなくてもいいくらい、誰もが心酔してしまうような作品を書いて、素晴らしい作家になりたい。

――私は誰よりも才能がある。

圧倒的な才能を知るたびに、そう信じていた少女の頃の気持ちを、恥ずかしいと思っていたけれど、本当はそうじゃないのかもしれない。
私はその頃の気持ちを、克明に思い出さなければならないのかもしれない。

だから言い切ろう。

私には神に愛された才能がある。
だから必ず人気作家になる――と。

自信作なので、ぜひ読んでくれたらうれしいです


サインを書いている
たくさん書きました
カバーを外しても可愛い
とても美しい本です
たくさんの応援、本当にありがとうございます

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