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昨日、八雲にて。

曇り空で、時折太陽☀が光を差し入れてくる。昨日は、そんな日だった。

何時もの土曜のように、都立大学駅から歩いて10分の場所にある某マンションに向かう。

現場に着くなり、ひと通りの行程を済ませ、着替えて、帰路に向かう。

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☝こんなふうに薄日の差す、非常に寒くて歩くのがツラくなる日だった

八雲方面に向かって歩く。駅へ向かう方角とは真逆の方角ヘ。

途中で左👈に曲がり静かな通りの中ヘ。

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☝路地裏で見つけた2つの静物。上は鮮やかな赤のミニシクラメン。下は設置してから相当な年月を経た、コンクリ製のマンホール蓋。

路地をぬけて、目黒通り沿いの歩道に出る。其処から横断歩道を渡り八雲方面ヘ。

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☝!…何故?!こんな所に…😦

スタスタ、或いはゆったりと、暫く歩くとこんな場所に。

宮前公園⛲と言うらしい。

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☝宮前公園のショット2枚。打ち捨てられた子供用のキックボードと、そこから先のなぞの石段?。

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☝石段より手前のほうにはテニスコート🎾が。因みに、この日は複数の人々が練習に興じていた。

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宮前公園の石段を上った先には樹木の多めな児童遊園が。3枚めのショットは寂寥感を狙い撮影してみました😗😙📱📸。

宮前公園⛲を出て、さてと早いとこ駅へ向かうかぁ〜😀😙。と、人通りの殆どない住宅地の道をゆったり歩く。

道に沿い立ち並ぶ、家並みの立派な玄関先には世田谷ナンバーのこれまた立派な高級車が。流石は高級住宅街、庶民的な我が街とは一味違うねェ🥴。

と思いつつ住所表示には、なんと!

「深沢」

の、2文字が…!👀😲。

何時しか目黒区から世田谷区に足を踏み入れてしまいました…💦💦💦

まぁ世田谷散策しても一向に構わないけど…。

家では帰りを待ってる親がいるし、何よりこの日は曇り空で夕方🌆から雨☔が降るとの予報だし。

尤も、それに備えて折り畳み傘🌂は一応、持って来てたけどね。

世田谷散策の最中に雨に降られたら、やだなー😟🥺。

でもって、深沢から身を翻して、八雲方面に戻る🔙。坂道を下る途中で、深沢ハウスなる、圧倒的にマンモス級のマンション街が眼に入った。

この辺を抜けたら八雲に近いかなと思い、マンションに通じる通路を右折して、また路地に入るも、其処は所謂『袋小路』、つまり行き止まり、だった😳😲。

そこから出て通りに戻る途中でまた路地の隅に咲く花🌼に出逢う。今度は黄色。

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☝オキザリスの一種。明るい陽の光を浴びると満開に咲く。澄んだ明るい黄色が綺麗な品種。

更に坂道を下る。コンビニ🏪のある交差点を越えると、呑川緑道の支流側とされる場所に着く。

其処には、こんなモニュメントが😙😙。

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☝動物を象ったトーテムポール。最上部かは2つ目のフクロウの翼部には呑川 駒沢支流、とある。

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☝トーテムポールの真ん中辺りのアップ。フクロウ🦉の下から順に豚🐷、猫🐱、犬🐶🐾。

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☝トーテムポールの下部。犬🐶の下は虎、パンダ🐼、猿🐵。このモニュメントは、みんなが知ってる人気動物をモティーフにしているが、ペンキの剥げ具合の絶妙さや、タッチのヘタウマぶりで、味わい深いものになっている。

更に先を行く。

東京都立桜修館中等教育学校の大きな校舎の前辺りにこういうものが…!

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1929年の旧制府立高等学校(1943年に都立高等学校に名称変更)の設立から、戦後1950年の学制改革による旧制都立高の閉校、その前年に都立大学の開校から、1991年の八王子市ヘ全学移転に至るまでの都立大学の歴史を記した沿革と石造りの門跡とを合わせた記念碑が立つのを眼にした。

此処にかつて、都立大学のキャンパスがあった。

胸いっぱいに希望を秘めた若者達が桜🌸の咲き誇る4月にこの門をくぐり、各々自分のキャンパスライフを過ごし、やがて実社会に旅立っていった事だろうなァ😙

その跡地らしき所に今は、めぐろ区民キャンパスやめぐろパーシモンホール、体育館や図書館、芝生広場など目黒区民の憩いと生涯学習、文化芸術の殿堂が建ち並ぶ同区の一大文化エリアが広がっている。

飛鳥山公園よりは遥かに広いと、観てすぐにわかる広大さだ。

…と、入口の所に立ち枯れたらしき樹木があった。下👇の画像2枚。

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最後は、最初の薄日の画像で、今回の記事はおしまい😗。

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またね!再見🖐️🖐️🖐️😙😀😄

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