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沖縄の風に吹かれて 第6話

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「勉強」と「対策」とは別物だ

沖縄の学校教育関係者はうんざりしているのではないだろうか。学力テストの都道府県別ランキングが発表される季節になると、それがYahoo!のトピックになるものだからネットを見ないようにすると言った先生方もいるとかいないとか。

沖縄の先生方がサボっているわけではないと思われる。が、小学校も中学校も47位。私のFacebookにある学校の先生がコメントをくださった。気分が悪い、と。対策だってしっかりしているのにビリに甘んじるのは気分が悪い、というコメントだった。

成績を上げるためには1つしか方法はない。力をつけることである。力をつけるためには3つの要素があって、どれも不可欠な要素である。1つは「わからなかったことをわかる」、1つは「知らなかったことを知る」である。前者は理解、後者は知識(暗記)である。理解したくない、知識を増やしたくないという学習状況ではどうしようもない。

したがって教員は生徒たちにわからないことを理解させ、知らなかったことを覚えさせる。正しい指導である。アクティブラーニングだのなんだのと世迷言を言っているヒマがあったら、理解させる・覚えさせることで、とりあえずは成績が上がる土台ができあがる。

ここに3つ目の大切な要素が加わる。それは「忘れてしまったものを思い出させる」というものだ。我々は理解したり覚えたりしたことを24時間で75%ほど忘れる。忘れることを意識しながら勉強しなければならないのである。明日には忘れているだろうなと思いながら覚えるのである。

教員が「何度言っても覚えません」というのは、我々は忘れるのが当然であるということを知らないからだ。10回ほど言えば多少は覚えるかもしれないが、数回ではどうしようもない。サザエさんの主題歌並みに触れる回数を多くしないと、単語にしても歴史にしても漢字にしても解法にしても、我々はどんどん忘れていくのである。

つまり、学力を上げるためには「理解する」「覚える」「反復する」という3つの要素が重要だということになる。理解するためにも覚えるためにも、しっかりと読み、聞き、自分で書き、話さねばならない。目でじっと見て理解したり覚えたりしたものは、できた気になっていても、実際には全然理解できていないし覚えてもいないものだ。自分で解説ができるぐらいでないといけないのである。

対策を否定するのではない。ただ、沖縄県の学校をまわっていて気になったのは、英検対策だの考査対策だの共通テスト対策だの、上に書いたような「勉強」ではなく「対策」をしている学校が極めて多いということである。勉強をしっかりした上でないと、対策をしても全く効果は上がらない。したがって、学力テストのような基礎の基礎しか出題されないテストであっても対応できないのである。

野球を例に挙げる。相手投手がどういうボールを投げるのかわかっている場合、対策が有効である。次に対戦するのがドラゴンズの柳投手だとする。彼の場合、カーブが極めて有効な武器なので、対戦までに打撃投手にカーブを投げてもらってひたすら打つとかいった対策を講じるのは正しい姿だと思われる。

ただ、次の試合で柳投手からヒットを打てたからといって、そのバッターに本当に打つ力があると言えるのか。初めて対戦する投手が打てないのであれば、打率はあまり上がらないのではないか。それに、その次に対戦する際には柳投手も投げ方を変えてくるだろう。そうなるとやはり打てなくなるはず。その点で言えば、アメリカに渡っていきなりヒットを量産したイチロー選手はやはり打つ力があったということだ。言うまでもなく、真の力をつけたうえで対策するのであれば、それは全く問題のない正しい姿であろう。

英検のように出題される問題が事前にわかっている場合、対策は有効になる。が、合格したからといって英語力が身についているかというと全くそんなことはない。対策もなにもせずに検査を受けて合格したのであれば別であるけれども、対策をして合格したからといって、その人に英語を聞いたり話したりする力が備わったかというと、ダウトである。勉強を普段からしっかりした上で、対策をするのであれば問題はない。その点で福井県や秋田県の学力が高い(かどうかはわからないが、少なくとも学力テストは常に上位)のは、つまりそういう点である。大事なのは「普段の勉強」なのである。

2022年夏、南城市教育委員会から依頼を受けた。小学校と中学校の先生方に向けて、英語力を涵養する指導法について勉強会を開いてくれないかという依頼。単語の覚え方、文法の定着法、リスニングのトレーニング方法等などについてお話をさせていただいた。対策ではない、音読を中心とした非常にタフな勉強法である。が、確実に力が付く勉強法だと自負している。

なにかしらの試験があるという場合、対策することは間違いではない。合格をして自信をつけることも大切な教育なのは承知している。しかし、指導者も学習者も覚えておかなければならないことは、対策をして身につけた力などはすぐに剥がれてしまうということである。明日の小テストのために頭に放り込んだ知識なんて、そのテストが終わったらすぐに忘れてしまう。我々が身につけるべき力とは何か。それは、どんな投手がどんなボールを投げてきても確実に打ち返せる力なのだ。

私はFacebookのコメントをした先生に対して、勉強をせずに対策をするから学力が低いのだとレスを書き込んだ。彼からの返事は「目から鱗が落ちる思いがしました」であった。沖縄の子どもたちには普段からしっかりと学んでほしいし、先生方には対策に終始するのは教育の敗北だと知ってほしい。

木村 達哉

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