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沖縄の風に吹かれて 第3話

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沖縄の学校を訪問して~なぜ勉強するの?

沖縄で時間を過ごすようになり、いくつかのラジオ番組に呼んでいただいた。それを通じて私のことを知った沖縄の教育機関の方々からご連絡をいただき、それまで以上に学校や教育委員会を訪問することになった。

NPO活動の一環なので講演料はけっこうですよと申し上げるとなんとも言えない表情を見せるのはシャイな沖縄の方々に共通した特徴である。いえいえ、決まり事ですのでもらってください、ただ…ちょっとその…かなり少ないんです、と申し訳なさそうに封筒を差し出す先生方。

であれば、首里城の再建に寄付しますねと頂戴するが、それ以外にもかりゆしウェア、オリオンビール、やちむん、琉球ガラス製品など、数多くのお心遣いを頂いてきた。お金よりこっちのほうが嬉しいんですよと言うと、照れたような笑顔を浮かべるのも沖縄の方々に共通している。

さて、前話で書いたとおり、沖縄の学校で最初に伺ったのは昭和薬科大学附属中学校・高等学校、その次が興南中学校・高等学校である。私の著作を使ってくださっている関係で首里高等学校、那覇高等学校、開邦高等学校、那覇国際高等学校などには複数回訪問し、生徒たちに英語の勉強法について話をした。首里と開邦ではリクエストにお応えして、英語の授業を何度かさせてもらった。

那覇西高校、西原高校、浦添高校、普天間高校、北谷高校、北中城高校、名護高校、読谷高校、八重山高校、沖縄カトリック中高、佐敷中学校、泊小学校など、思えば数多くの子どもたちと触れ合ってきた。豊見城市、那覇市、沖縄市の塾でも講演の依頼を受けた。沖縄の子どもたちはおしなべておとなしい。休み時間になると大声ではしゃぎまわっていても、授業や講演では静かにしていなければならないのだと勘違いしている子どもたちが多いようだ。

したがって、講演で「勉強が好きな人は手を挙げて」という私の質問に反応する子どもたちは極めて少数派である。逆に「じゃあ、嫌いな人は?」という問いにはちらほらと恥ずかしそうに手を天井に伸ばす。彼らの中に中学高校時代の私がいれば、真っ先に手を挙げていることであろうから、子どもたちを批判しているわけではない。

ただ、勉強の意味を勘違いしている子が多いように思う。なんのために勉強するのかという質問に挙手する子はほとんどいない。過去に一人だけ、勇気を出して手を挙げた男子生徒がいた。彼は小さい声で「大学に行くため」と答えた。勇気を出して手を挙げてくれたね、ありがとう。でも、それじゃあ大学に行かない人は勉強しなくていいってことかなと言うと、やはり沈黙に戻っていった。

勉強って何だろう。
間違いなく勉強は経済活動である。簡単に書くと、お金儲けのための活動である。勉強がお金儲けにつながると書くと日本人の多くは眉をひそめるかもしれないが、そういう側面があることを子どもたちは知っておいたほうがいい。大卒の生涯賃金と高卒(専門学校卒を含む)の生涯賃金には数千万円もの差があると言われている。

同じ大卒であっても、給与が高くて休みが多い有名大企業からの求人は難関大学にしか届かない。さらに言うなら英語が正しく話せる学生が海外の企業を選んで実力を発揮できれば、若くして数千万円の年収を手にする可能性がある。どんな企業であっても組織であっても、しっかりと勉強して自分を鍛えてきた人材を求めているのであるから、当然と言えば当然であろう。端的に書くと、勉強はカネにつながるのである。

では、カネのためにだけ勉強をするのだろうか。私たちは本当にカネが欲しくて朝から晩まで命を削りながら激務と闘っているのであろうか。では、十分に稼いだはずの人たちが、それでも働き続けるのはどうしてなのだろう。

野球を勉強したある少年が成長してプロ野球選手となり、大輪の花を咲かせた。興南の進路室で「宮城君、えらいインステップで投げるんやなぁ。故障しやすいから気をつけるねんで」と声をかけたのは何年前だったか。新人王を獲得し、日本シリーズやWBCで投げる彼の雄姿をテレビで拝見して、その堂々と成長した姿に涙が溢れるほど幸せな気持ちになった。

街を歩くとさまざまな勉強に出会う。医学を勉強した人たちが患者に安堵をもたらし、法律を勉強した人たちが弁護士や司法書士としてクライアントを幸せにする。物流や経営を勉強した人たちが会社やお店を経営することで客を笑顔にし、そして文章や芸術を勉強した人が作品を通じて読者に教養や安らぎを与える。音楽を勉強した人たちのおかげで私たちの気持ちはふんわり丸くなる。

勉強には確かに、お金を儲けて経済的に自由になるという側面はあるだろう。しかし、それと同時に、他人の幸せにつながっていない勉強など存在しないということも知っておくべきである。リード大学で書体を勉強したスティーブという少年が友人とともにAppleという会社を作り、iPhoneを供給して世界中を幸せにしてくれたように、思わぬ勉強が思わぬ幸せにつながるのである。そして、勉強によって街全体が明るくなっていく。

逆に考えれば、もしあなたが何の勉強もしなければ、誰のことも幸せにすることができない。せっかく生まれてきたのに、誰のことも笑顔にできずにこの世を去ることになるとすれば、それこそ悔恨の極みなのではないかと、私は沖縄の学校や塾で話し続けているのである。

算数や国語だけが勉強なのではないのだと、自分のレベルを上げる過程を勉強と呼ぶのだと、沖縄の子どもたちに語り続けよう。そして、その子どもたちの中から、眉間にしわを寄せている人々を、苦痛に顔をゆがめている人々を、笑顔にする人材がひとりでも多く世に出てくることを期待して止まない。私たちは笑顔のために学ぶのだ。勉強は素敵だ。
 
 木村達哉

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