宇宙をつくりかえるための読書
学校や職場でうまく人間関係が築けない。
かといって家に帰っても、家族とうまくいかない。
そんなとき人は逃げ場を求める。
ある人はゲームに没頭する。
ある人はスポーツをしたり、音楽を聴いてリフレッシュする。
ある人は友達と雑談したりする。
だれでも、ときにそういう「日常から切り離された時間や空間」が必要だ。いわゆるサードプレイスというやつだ。
政治学者の岡田憲治はそのような場所を「はらっぱ」と呼ぶ。
ただ、この世界に存在している以上、誰かの視線と完全に切り離された時空間がなかなか存在しないということも確かだ。
「誰にも会いたくない」「さりとて孤独は嫌だ」という状態のとき、いったい何を拠り所にすればいいのだろう?
本は、そのひとつの候補になりうる。
良い文章に触れているとき、充実した孤独がうまれる。
日常生活の中で頭の中に生まれたいろんなノイズや悶々とした考えが少しずつ削ぎ落とされて、朝の森の中を一人で散歩しているような清々しい気持ちになる。
おもしろい本を読むとき、その人は日常のあらゆる文脈から切り離されて、著者(あるいは物語)と読者という1対1の関係の中に没入していくからだ。そこには自分を評価してくる口うるさい他人はいない。静かに語りかけてくる文章(著者)があるだけだ。そういう意味では本を読んでいるときは完全に一人というわけではなく、文章との対話関係のなかにいる。
でもそれは、やはり孤独の中での対話なのだ。
そしてこの孤独が、日常のしがらみをちょうどよく洗い流してくれる。
本がすごいのは、ただ単に現実のしがらみから自分を切り離すというだけでなく、「新たな現実」への入り口を見つけ出す道標にもなるということだ。
今いる現実のルールや常識がひとつの考え方にすぎず、もっといろんな考え方や真実があるのだということを知ることで、人は新しい現実をつくり出すことができる。
本は、この現実を俯瞰して、飛び越えて、新たな現実をつくり出す「別の宇宙」なのだ。
とくに、現実の範囲が学校と家くらいしかない子どもたちにとって、別の現実を知れるということの影響は大きい。
わたしは小学生や中学生のころ、現実に打ちのめされたり、悶々とするたびに図書館に閉じこもった。
ただ黙々と本を読むという時間だけが作り出せる希望や未来への兆しを感じていたのだと思う。
そしてその習慣は、今でも読書好きという人格として残っている。
だから、現実のかたちはひとつではないと知っている。
世界のどこにも居場所がないなら、本を読もう。
そこには、あなたを受け入れる「別の宇宙」が必ずある。
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