映画#150『バットマン』
昨今では『MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)』を始め、数多くのアメコミの実写映画が制作されてきた。アメコミと言えば、MARVELコミックとDCコミックの二大出版社が有名だが、アメコミの実写映画・ドラマ化という観点において、先手を打ったのはDCコミックスだ。
DCコミックスを代表するキャラクターとして、スーパーマンの次に挙げられるのはやはりバットマンだろう。自身のトラウマが原因で幼い頃に両親を目の前で殺され、以来二度とそのような悲劇を生み出さぬように、自身のトラウマ………コウモリの姿を象り、夜な夜なゴッサムシティに蔓延る悪を裁く、漆黒に身を包むダークヒーロー。
1966年にはTVシリーズ『怪鳥人間バットマン』の劇場版である『バットマン』が公開され記録的なヒットを成し遂げた………が、その内容はコメディ調のヒーロー活劇であり、本来『バットマン』が持ち得るダークかつ狂気的な作風は良くも悪くも失われつつあった。
実に長い年月が経ち、1989年に新たな『バットマン』の映画が誕生する。ティム・バートンが監督を、マイケル・キートンが主演を務める今作は、ゴシックな雰囲気が際立つ不気味なゴッサムシティの風景・静かなる狂気に満ちたブルース・ウェイン/バットマンの姿・そしてジャック・ニコルソンの熱演が光るジョーカーの底知れぬ狂気、と『バットマン』特有のダークな作風を全面的に押し出した点が大きく評価され、後のアメコミ映画の大ヒットのマスターピースとなった奇跡の作品なのである。
知っての通り、先週金曜より公開の『ザ・フラッシュ』にて、マイケル・キートン扮する今作のバットマンが実に30年振りにもなるカムバックを果たした。ひとえに「バットマン」といっても、演じる俳優によってその姿や性質がやや異なるのが実写版『バットマン』シリーズの特徴だ。
今までブルース・ウェイン/バットマンとして漆黒のベールを纏ってきたのは、今作のマイケル・キートン、「ダークナイト・トリロジー」のクリスチャン・ベール、DCEUのベン・アフレック、『THE BATMAN -ザ・バットマン-』のロバート・パティンソン………どれも映画の歴史に名を刻む名優ばかりだ。
「ブルース・ウェイン」と「バットマン」の二面性、というのはどの『バットマン』作品においても共通のテーマ(作品によってその比重は若干異なるが)なのだが、では今作『バットマン』は他作品と比べどんな相違点があるのか。
第一に挙げられるのはやはりゴッサムシティの雰囲気だろう。ゴシック調のややファンタジーチックなゴッサムシティの情景は、他作品にはない唯一無二のもの。
『THE BATMAN -ザ・バットマン-』の橙色の夕陽が際立つ漆黒のゴッサムシティとも、『ジョーカー』の崩壊寸前の限界貧困街・ゴッサムシティとも異なる、見た目そのまんまの「(バットマン含む)やべー奴らしかいない街」感出まくりなゴッサムシティ。この大胆な表現もまた、原作であるコミック版を彷彿とさせる粋な演出と言えるだろう。
第二に挙げられるのはヴィラン「ジョーカー」の存在感だ。原作のコミックにおいても映画においても、「バットマン」と「ジョーカー」は切っても切り離せない関係にある。
ジョーカーを演じた役柄として著名なのは『ダークナイト』のヒース・レジャーと『ジョーカー』のホアキン・フェニックスだが、今作のジョーカーを演じたジャック・ニコルソンもまた他のとは全く異なるキャラクター性を引き出している(ヒースジョーカーを「狂気」のジョーカー、ホアキンジョーカーを「悲哀」のジョーカーと例えるなら、ニコルソンジョーカーはさしずめ「狂喜」のジョーカーといったところか)。
「月夜に悪魔と踊ったことはあるか?」というニコルソンのアドリブが際立つ、他のジョーカーよりもコミカルなキャラクターは、今作にしか持ち得ない要素と言えるだろう。
私がアメコミ映画にちょうどハマり始めた頃、当然バットマン作品(主に『ダークナイト』だが)にも触れ始めていたのだが、今作は正直若干敬遠していた部分がある………その理由に関しては「バットマンのコスチュームがダサいから」「ヒース・レジャーのジョーカーこそが至高だから」という根も葉もなく馬鹿馬鹿しいものだったのだが、今の私からすれば到底信じられない理由………というか恥ずかしくて到底口にすらできない。
ティム・バートンとマイケル・キートンのタッグによる『バットマン』シリーズは、今作とその続編『バットマン リターンズ』のみ。だがこうして今の時代にカムバックすることができたのはまさに「奇跡」と言えよう。
是非『ザ・フラッシュ』にて、ゴッサムの守護者たる彼の姿を刮目していただきたい。
それではまた、次の映画にて。
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