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【第二回】#RTした人の小説を読みに行く をマネしてやってみた! 【7作目~】

企画者より


作品をご提供いただいた作者の皆さま、ありがとうございました。

本企画は、大滝瓶太さん(@NovelYomyom)のマネっこです。

りゅういちクズ系文学YouTuber三浦 冬太朗 の二人で感想を贈っていきます~。


【7作目】料簡『空』/行間に秘められたもの


https://twitter.com/RH01905695?s=20


あらすじ(投稿サイトより)
とある美術館にある、とある絵のお話。

複数の視点によって照らされる一つの絵画。その陰の部分。

シンプルなあらすじ。当然のことながら、作者さんと作品についての前情報はなく、「ソラかな?カラかな?」と読み始めます。

 ある国のある地方のある都市のある町の片隅に寂れた場末の美術館がありました。
しかし、それは一目見ただけではただの廃館にしか見えませんでした。例えば、観光目的で美術館までやってきた人が十人いたとします。しかし、おそらくは十人が十人とも入り口に書かれた開館の文字と、壁に書かれた美術館の名前(掠れて見えにくくなっているが)を見るまでは、そこが美術館とすら気づかないでしょう。

むかしむかしあるところに方式で、時代や場所が曖昧に始まり、読者の心のなかには、寂れた美術館の像が浮かぶ。
美術館についての説明がつづきますが、それだけなのに自然に読み進められてしまいました。文そのものが巧い、と、こういう場合に言うのでしょうか。

 年の功は二十前半といったぐらいでしょうか。もしかすると二人は新婚かもしれません。それとも、恋人同士かもしれません。もしくは、単なる友人同士かもしれません。つまり二人の関係ははっきりとはわかりません。

「二人の関係が分からない」という情報にたいし、この文字数を使っているのにも関わらず冗長だと感じません。

 はっきり言って何の価値もない作品だ。ともすれば贋作よりも価値はない。落札した人間はよほどの物好きだろうと関係者は語っています。

と評される絵画についての物語のようだ、と分かった頃には展開が気になっていました。

〈ある観覧客の話〉〈ある贋作家の話〉といったように章が変わり、視点も変わってゆきます。
語り手の言葉によって、少しずつ「空」という絵画について分かってきますが、依然として、つまらないだの、価値がないだの。
ならば、なぜ語り手たちは「空」について語るのか、視点の切り替えによってぼく自身もその一つに組み込まれたような錯覚に陥りました。

「」だけの章があったり、その他にも、「おお」と思うところがあり、作者さんは芸達者ですね。

僕が惹かれたのは、前半の〈ある観覧客の話〉では、たまたま美術館に雨宿りに入った男女が登場し、三人称で描かれていると思いきや、最後に、

 私が誰ですかって。私は雨宿りにこの美術館に入った一人旅中のしがない観覧客です。

と、急に、“私”が出てくるんです。しかも、この“私”が誰だか明かされないんです。(もしかして、語り手の誰かなのか?)
明かされない、というのに凄みを感じました。

そして、さいごまで「空」そのものは、つまらないものとして終わるんです。

でも、読んでいる僕にはそうは思えない。ほんとうは、すごい画なんじゃないか、って思っちゃんですね。
描かない、というのが上手い作品でした。


【8作目】咲川音『ハーバリウムの小部屋』/ 固着した時間


https://twitter.com/sakikawa_novel


あらすじ(投稿サイトより)
現時点の医療技術では治療困難な病気を治すため、人々が宇宙船に乗り込み未来の地球へと旅立っている時代。
難病患者のマコトは、大人っぽい少女ニナと宇宙船の中の一室で共同生活をすることになる。
二人はだんだん打ち解けていくが、ニナは宇宙船に乗り込んだ経緯を一切話そうとしない。
ある晩、地球での思い出を語り合っていたマコトはひょんなことからニナの悲しい過去を知ってしまう。
ニナの価値観を理解できないマコトは苦悩するが、やがてニナにとっての幸せの形を受け入れるようになる。


美しさを閉じ込めたオイルまみれの小部屋は幸福か。

設定がうまいなあ、と、まず思いました。
未来の医療技術に賭け、高速で移動する宇宙船に乗り込む難病患者。生をつなぐ代償に、大切な人と離ればなれになる。時も、距離も。

時空レベルで離ればなれになるのは、しんどいですね。

「ねえニナ、地球に帰ったら何年経ってるんだっけ」
「予定通りにいけば、二十年」
「二十年か……重いなあ、二十年は」
 肺に溜まった絶望を押し出すように、長いため息をつく。
「お父さんとお母さんなんて、六十七歳になっちゃってるよ。古希だよ、古希。もうおじいちゃんとおばあちゃんじゃん」
 そして、祖父母は確実にこの世に居ない。
「友達も三十七歳かあ。みんな結婚して子供とかいるんだろうなあ。私は高校生のままなのにさぁ」

そのしんどさを、会話のなかでごく自然に読者に提示してきます。

そして、核心部分である、ニナが宇宙船に乗っている理由。それは、自分のためではなく愛する人のためだったのです。

「『もう大切な人を失うのは嫌だ』って言ってた。私が生きているという状態がずっと続いて欲しいんだって。あの人は、死んだという事実が確定してしまったら何もかも終わりだという考え方をする人だったから……私が早死にするとしても、宇宙船の中で数週間も過ごしていたら、地球にいるあの人の中では十数年間、私は生きていることになる」

正直、僕はニナの恋人気持ちめっちゃ分かります。
会えなくても、「大切な人がこの世にいる」という事実は、「大切な人の死んだ世界」よりはるかにマシです。

愛する人の命をつなぐには、離ればなれにならなきゃいけないなんて、ロマンチックじゃないですか…と思っていると、

「でも! そんなのっておかしい。その人はずっとニナが生きていて幸せかもしれないけど、ニナの幸せはどうなるの?」

とマコト。

たしかに…。僕は、僕の幸せしか考えていなかった。僕だけの気持ちのために、相手は小さな部屋で退屈に過ごさなければいけない。
それに、いつか僕も死ぬ。そのときに残された相手は?

もう完全に感情移入。

でもね、ニナはそれが自分の愛だって言うんですよ。
もう僕には何も言えません。

もう一度マコトとニナが会えるといいな、と思える締めくくりでした。

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