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#君羅文庫 ユーモアとしての僕の頭の中

今でこそ「全然違う話題なんですけどね」と前置きして会話の中で違う話題に移行するようになったけれど、仕事をし始めた時は「君羅くんは話が飛ぶねぇ」とよく言われたものだ。学生の時から、話している話題とは違う「コト・モノ」が次から次に気になり出して、つい口から出てしまう。「いや今そのこと話してない」「それ今の話と関係ない」「また話題変わったのね」と呆れらていた。自分の中ではそのこと(これから口に出すこと)を考えているので話は飛んでいないんだけど、話している相手からしたらいきなり違う話題が飛び出す「空気が読めない」話し相手だったことだろう。

それと妻からは「話を聞いてない」とよく、本当によく言われる。質問されたり、頼まれたりすることとは違うことを考えているから聞こえないし、気づかない。妻からしたらなんて「ノリの悪い」夫だろうと、自分でも思う。

自分でも分かっているんだけど、気になるとそちらを深追いしたくなってしまい、でも考えているうちに違う話題に目移りしてしまう。こんな態度は改めなくちゃなぁと思って、仕事の上では冒頭のような態度を取れるように訓練してきたつもりだ。

でも、この『勉強の哲学』を読むと、「空気が読めない」や「ノリが悪い」「深追いしているうちに目移りする」というのは「勉強」にとっては有意義な態度であるとわかる。

勉強とは、今までとは別の考え方をする環境への引っ越しであり、今までのノリがわからなくなる「自己破壊」である、と

アイロニカル(皮肉っぽく)に根拠を疑い、ユーモアで場に多様な見方をもたらす。

僕の「飛ぶ会話」の場合は、見方を多様化するための「目移り」としてのユーモアが過剰になることで会話のノリを転覆させてきたのだと理解する。このユーモアをあえて発揮することで勉強を深めることができると本書は教えてくれる。深追いしつつ目移りしながら、勉強を続けていく上でユーモアが大切なのだと感じる。

ノリが悪いと言われる人、会話の内容がよく飛ぶ人、それが勉強に向かう姿勢なのだと考えると、楽しく勉強できるようになる気がしないだろうか?少なくとも僕はこの「目移りし過ぎてしまう自分の頭の中」を、否定的に捉えるだけでなく、好きになれた気がする。


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