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「休めた日々」から「踏ん張る今」へ

体に痛いところがあると、困ります。

頭痛持ちですが、頭が痛い時は、書くことも考えることも誰かと話すこともうまくいきません。
つまり仕事ができません。
だから、体に痛いところがない方がいいんです。

これって当たり前なんですけど、むかしを思い返してみると、高校生の時、ちょっと体調が悪かったり、怪我していたりすると、部活を休めるし、学校行かなくていいのでちょっとラッキーと思っていた自分いましたね。

体が痛いこと自体は嫌だったんだろうけれど、それ以上に「休めること」をラッキーと喜んでいた記憶があります。

あれから20年近くが経ち、大人になった今、体調不良はもはや「ラッキー」な機会ではなく、日々の生活や責任に対する大きな障害となります。

仕事を休むことは業務の遅れを意味し、子どもの面倒を見る責任は、体調が悪い時でさえ重くのしかかります。

高校生の時には感じることのなかった「踏ん張らねば」という圧力が存在します。

なぜ、体調不良に対して、高校生の時は「ラッキー」と思えて、今では「困る」と感じるようになったんでしょう?

自分だけのことを考えていればよかったことから、自分ではない誰かのことも大切にしていることが関係しているのではないかと思います。

仕事のあいてや家族。

若い頃は比較的軽かった責任や義務が、誰かを大切に思うことでだんだんと増してくる。

体調不良に対してのこの変わる捉え方は、僕が何を大切に思うかを示す指標ともなっているんでしょう。
自分の価値観がどのように変化しているのかを意識するいい機会となりました。

こうして考えてみると、自分自身の体をしっかりとケアしていくことは、自分以外の誰かを大切にすることに繋がりそうです。

自分の体大切にしていきたいですね。

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