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君の人生辿って住所は聖域

引っ越しをした。
思い入れのある家だったから、寂しい。

世田谷区にあるそこは、
家から都庁もスカイツリーも渋谷スクランブルスクエアも見えていて、田舎出身の私は深夜それらを見るたびに、
「ああ、憧れた東京に住んでるんだ。」
と実感して、幸せを噛み締めていた。

東京に憧れたきっかけの、バンドの曲を地元にいた頃と同じように朝焼けの中で聴いたりもした。
山と空しか見えなかったあの頃とは違い、新宿〜渋谷のビル群が朝焼けに染まるのを見つめながら聴くのが好きだった。

ずっとずっと憧れていて、初めて行った時は涙が出るくらい嬉しかった下北沢も、終電も気にせず歩ける範囲だったし、実際夏は毎日のように午前1時頃散歩をして、夜な夜な徘徊しては生ぬるい風にあたっていた。

下北沢ERA、新代田FEVER、私が好きなバンドがインディーズ時代お世話になっていたライブハウス前まで歩ってみてた。人の目を気にしなくていい時間帯ということもあり、付近の道を歩き回っては「ここを彼らも歩ってたのか、どんな気持ちだったんだろう?」と一人で感傷。泣いたこともあった。きのこ帝国のクロノスタシスを聴きながら下北沢で夜の散歩をして、感傷。高校時代の私がこれを知ったら涙を流して喜ぶだろうなと思っていた。

この時間が、この景色が、この距離感が大好きだった。あの家に住んだことは一生の宝物だな、なんて、そんなことを住んでいるうちから思っていた。本心だった。

景色がいい、便がいい、となると当たり前だけど家賃が高い。そもそもこの家を選んだのも好きなバンドが関連していた。好きなバンドマンたちが私と同じ年代を過ごした地で私も過ごしたい。好きなバンドの歌詞に出てくる街に住みたい。そんな思いからだった。就職が決まった時期に借りた家だった。好きなバンドマンのような20代になれないなら、せめても好きなバンドマンと同じ景色を見て過ごしたい、そう思って自分を慰めるために借りた家だった。

社会人になって私は倒れた。

要因なんて沢山ある、人のせいにはしたくない。自分に悪いところだっていっぱいある。というか、悪いところしかない。
でも倒れたあとに思ったのは、好きなバンドマンのようになれなくてもいいから、自分も本当はやりたかった好きなことをして生きていきたい、それで無理だったとしても構わないから、過去に諦めたことを、やっぱりずっと続けて生きていきたいということだった。

でも自分は要領も精神も悪い。
好きなことをするとなると心の余裕も、稼ぎも足りない。
稼ぎが足りないとこの家に住めなくなる。
(世の中金ですね、、、)
そして自分が出せるギリギリの値段で借りれる家の広さなんてたかが知れていたから、創作活動をするとなるとどうしてもこの家は狭くて、憧れた生活と自分の諸々の余裕を天秤にかけて引っ越しをすることにした。

音楽に救われてから、好きなバンドを神格化してしまってから、初めて「自分自身」の問題で何かを決めた瞬間だったかもしれない。
もちろん創作をしたいという本心の根底の根底には、憧れた彼らみたいになりたいという気持ちがあっただろう。だとしても、こんな些細なことでも、私にとってそれは大きな一歩だった。

今はもう既に新居に住んでいる。
私はここでどうしても出したい小説の新人賞がある。
私は憧れも、弱さも、自分の人生も、何も捨てることなく残りの20代を過ごしたい。

この2年間、毎日見ていた世田谷区三階建てのアパートから見えるあの景色、ずっと忘れませんように。いつかまた見れますように。たかだか家でも、私はあの空間も景色も愛していたんだ。

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