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##NAME##を読んだ感想

⚠︎下記よりネタバレを含みます。閲覧は自己責任でお願い致します⚠︎
⚠︎自身が読了後、感じたことをそのまま書いているため自己解釈多めです⚠︎

児玉雨子氏の『##NAME##』を読了した。
小説のタイトルを見た時からとても気になっていた。あらすじも何も見ない段階で、ただタイトルが気になり、チラッとTwitterでパブサをした際、二次元キャラのアイコンが「この『##NAME##』って、やっぱり、あの『##NAME##』だった...」とツイートしていたのでより一層気になった。

端的で率直な感想

この作品を読み終わって真っ先に感じたのは、
【『君の名前で僕を呼んで』よりもっとグロくて、「闇」な作品だけど、でもこれも一種の『君の名前で僕を呼んで』だよな。】と言うことだった。(他の作品を出して申し訳ない)

##NAME##という題名はどこまでいっても【##NAME##】という題名に相応しい物語だった。確かにこの作品を表すには##NAME##しかなかった。

同じく##NAME##を読み終えた人が、この感想を見たらどう思うか謎だが、私はこの作品は「そういう風(綺麗な文字列の羅列でコンパクトにまとめられて、完)な終わり方をするんだ」と言うのが率直な感想だった。

学校・家・そして大人になってからはバイト先と、今まで、心落ち着けるちゃんとした居場所がなかった雪那の心情的に、唯一自分と深く関わってくれた・レッスンシュートの内容を知っていてもそれを抜きで自分と向き合ってくれた美砂乃は輝いていて、それくらい大きい存在で、と思ってしまったんだろうな、と感じた。そう感じている雪那なら確か、この作品をあの綺麗な終わらせ方で締めくくるだろう。まあ、雪那が神のように慕っている美砂乃も「児童ポルノ」の被害者だったわけだが。

実際、読み進めても過去の活動がバレたことで、友人関係にも問題が生じていたり、親との関係性が良好になっているわけでもなく、恋人の存在が描かれることもなく、22歳になる雪那が深く関わりをもった唯一の存在として、美砂乃は作中でどこまでもみずみずしく透明に描かれていた。それこそまるで、美砂乃がなりたかった偶像ーiDOLのように。

細々と、感じた事について列挙

この作品は自身の人生や経験によって見方や感情移入する登場人物がかなり変わってくる作品なのではないだろうか。
以下、細々と感じた事について自身の解釈や思った事を書いていく。記録用でもあるため、書きたい部分しか纏めていない。ので、お含みおきを。


美砂乃と雪那の関係

雪那は「恵まれた」家庭出身ということで、本人には意図せずに芸能活動がダメだった時の現実での学歴やキャリアといった逃げ道が用意されていた。実際芸能活動よりも中学受験を優先していた時期があったり、中高一貫の(第一志望でなくとも、お受験を頑張ったんだろうなあと思える)私立に通っていたり。そしてそういう事を美砂乃に対し平然と言えてしまう純粋さを持てた環境にいた。逆の立場である美砂乃視点になって考えると、それに対して美砂乃が何も思わないはずがなくないか?これは遅かれ早かれ美砂乃が耐えきれなくなって縁を切っていただろう、というのが私の率直な感想だった。

大人になった雪那の<結婚おめでとう>DMにも返信をくれないあたりが女性間の友情のリアルを描いてるなと思う。そもそも、雪那は自身のどういった部分が美砂乃の癪に触ったのか省みたことはあるのだろうか?成人を越えた雪那がそういった反省をしていないで美砂乃にDMをしていたら、「気持ちの押し付け」という部分で雪那母が雪那にしている事と似ているんじゃないだろうか。
まあその頃、美砂乃はきっと目の前の現実(お腹の子供や新婚生活)しか見えていないだろうし、雪那のDMに目を通したとしても「ああ、そんな子もいたな」で今更大きく心が揺れることは無いだろう。


美砂乃と雪那、それぞれの母親との関係性

本作では雪那視点で描かれるため、どうしたって雪那の母親の「ヤバさ」が際立ってしまうが、美砂乃の母親も「ヤバい」ことは想像するに容易い。2人は、ベクトルの違う「良くない母親」の元で生活していたんだろうと感じる。

小学生時の美砂乃の「ミサ、ばかだから」はこれは母親に事あるごとに「あんたってバカだよね」などと言われていて、それを美砂乃も事あるごとに反芻しているのだろう。そう考えると雪那の母親は「過干渉」で美砂乃の母親は「ネグレクト」に近いのではないだろうか。実際2人が仲違いするキッカケになった会話で美砂乃は、勉強している暇などはなく、お金を稼げるだけ稼がなきゃいけない旨の発言をしている。小学生時代には、父親とはほとんど会ったことないという発言をしており、家庭環境や金銭面でも金井家では余裕が無かったのではないだろうか。そして母親は美砂乃に関心がなく、学業に専念するだけの環境を整えるに至らなかったのではないだろうか。
そんな美砂乃からすると、教育を含めいろいろな事にしっかりとお金をかけて貰えて、娘の芸能活動を応援する雪那の母親はどれほど羨ましく・美しい母娘関係に見えたことだろう。

雪那の母親は、読み進める中で徐々に「毒」の部分が顕著になっていった。母親の機嫌を伺い、雪那が自分の気持ちを抑える場面が作中何度か出てくるが、私個人としては母親が「読者モデル」を若い頃数回やっていた、という部分に注目した。この母親は自身が叶えられなかった「何者かになる・芸能界で有名になる」という自身の夢を娘である雪那に重ね、託していたのだろう。まあ、分析的な事をつらつらと述べたが22歳になった成人済みの雪那が数日「帰宅報告」を母親にしなかっただけでやれ警察に相談しただの、やれ大学に連絡しただの言う親は「ヤバい」以外の他ない。そして作中でこの答え合わせが容易にできてしまったことが悲しい。


【児童ポルノ・被害者】を真の意味で理解できていない尾沢

尾沢の存在もこの物語には欠かせない。
端的に言ってしまえば「児童ポルノ」とは...【性被害】のことであり、尾沢は【性被害者の雪那】に面と向かって、「なぜ【性被害】の経験を・こんな世界がある事を小説として書かないのか?賞とか取れそうなのに(略式)」と言っているのである。これは他者の心を思いやれない・創作中毒とでも言うのだろうか、どんなことでも世間に向けて放出し、問いかけることが正義だと信じ切っている尾沢の愚かさが招いた、酷な出来事だろう。
それを言われた雪那は尾沢が正しいと感じていたようだが、【性被害】という、より端的な言葉に置き換える事で尾沢の不躾さが際立っていく。雪那も言葉で言い返すのではなく墨汁をかけるという行動に出てしまったのは良くなかったが、口達者な尾沢の減らず口をどうにかして黙らせたかった雪那の気持ちもよく分かる。読者の私からしても、自分が食べたいものを我慢してまで懸命に頑張っていた芸能活動や、活動の中で出会った仲間の事まで『』という言葉で全て簡単に丸め込まれてしまったは、それは言葉では言い表せない「怒りたかった」気持ちが出てきて、突発的な行動をしてしまうだろうと思った。


盛り塩越しに見る「オタク・ファン」の軽薄さ

物語終盤、『両刃のアレックス』の続編が無事に発表された。その事について盛り塩とDMする「ゆきじ」こと雪那。盛り塩の<楽しみなこといっぱいある!>に対して「ゆきじさん」の返信は<私は、もう楽しみじゃないです。わざわざ〜>からのアカ消し。盛り塩さんはそれに対してどう思ったのだろう。焦った?怒った?それとも、「この件、ゆきじさんの【地雷】だったのかな...?」とか考えたのだろうか。(【解釈違い】という言葉も合う気はするが...)
創作物を愛したことがある身として、愛する作品の続編を楽しみに待つ盛り塩さんの気持ちも分からなくはない。でも盛り塩さんは『両刃のアレックス』の一ファンで、『両刃のアレックス』って言ってしまえば趣味な訳で。私がこう思うのは雪那視点で世界を見ているからだろうか。盛り塩の浅はかさには、ましてやそれを他人にDMで伝えてしまうという行動を、「趣味を盾にして被害者がいる事件を有耶無耶にしていいという訳ではないんだよ」と私も(うまく言い表せないが)憤りを覚えた。勿論、盛り塩も被害者を蔑ろにしたという意識はないだろうが、原作者が所持していた児童ポルノの映像や画像=その対象となった幼い少女たち、その当事者たちの苦しみを・それでも今を生きていかなければならないという、「創作物」ではない、辛くても巻き戻すこともできない苦しい苦しい現実を軽薄に扱いすぎだと感じた。

個人的に①、私はある震災の被災者なのだが、その震災を元にした作品が公開された事がある。私は自身が被災し、生活が一変したあの震災がどう描かれているか見たいと思い、その作品を見た。簡潔にいうと震災前〜震災後のあの日々を見ているようで、震災前のもう戻ることはできない幸せな思い出と震災後の辛い思い出が一気に込み上げて来て観覧中涙が止まらなかった。その後、その作品を見た友人たちと感想を言い合った。その際(友人も私が震災のの当事者だと知っているが)、一番の感想として「いや〜推しの演技が良かった!あれは見るべき!推しの演技がいいのでみんな見るべき!」と言い放った。その言葉を聞いた瞬間の気持ちが、盛り塩のDMをみた雪那のシーンを読んでいて、再び湧き上がった。被害者がいる話を、貴方の「趣味」だけの視点で軽薄に語るのは、違うのではないだろうか?


大人になった「美砂乃ちゃん」

大人になった「美砂乃ちゃん」のなりたかったものって「誰かの妻で、お母さんだったの?」というのが私の率直な感想だった。だが本作で描かれていた事から察するに美砂乃は、金井美砂乃ー完全に本名のまま芸能活動及びレッスンシュートや撮影会をしていたのだから、芸能活動が下火の成人した今、それ以外で幸せになる道が思いつかなかったのだろうなと容易に想像できる。芸能活動を辞めて一般人になろうと就職活動をしたところで、名前を検索すれば直ぐに眼帯を結んで作ったような局部すれすれの衣装を見に纏った写真が採用担当に見つかる可能性があるのだから。一般人として就職して、会社員の男性と結婚して...というのはもう諦めるしかなかったんだろうな。美砂乃が中学時代「水着を着たくない」と言った旨の発言をしていたから、大人になった自分の現状に悩んでいなかったワケがないと思うし。

個人的に②、好きなグラドルさんがいるのだが大人になった美砂乃の活動がその方の活動の仕方と瓜二つで、「リアル」に想像できてしまい胸の中のモヤがより一層刺激された。その方も本当はアイドルになりたかったとインタビューで言っていた。
本書のテーマが「児童ポルノ」なため、判断力を持たない未成年のうちからそのような活動(水着やコスプレを着て、性を連想させるアイスを咥える様子を撮影など)をさせられていた少女が大人になっていく過程・また自身が「児童ポルノ」の被害者でありそれでも生きていかねばならない苦しみが描かれているが、児童ポルノを取り巻く問題の一面である「闇の一部」は今この瞬間も根深く呼吸していて、実際その狭間で苦しんでいる女性たちは現在進行形で多いんだろう。「児童ポルノ」には当てはまらないけど、かつてアイドルを夢見て上京したという好きなグラドルの、肌色が多いインスタグラムのプロフィール画面を眺めながら思った。


長々書いたが、
私は今度は・また出会い直せたら、
「普通に」、大人の私利私欲なんてない世界で『みさ』と『ゆき』で友情を育めればいいと感じた。
生きてくってきっとこういう事背負ってくって事なんだろう。

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