幸せを捨てた駐妻
最近、私は幸せを捨てた。
幸せを目指すのをやめた。
思えば会社で働いている頃から、
まぁ、結局幸せならいいか。
そう思って生きてきた気がする。
でも駐在生活するようになって、幸せが苦しくなってきた。
人間関係がない中で、幸せを感じると言うのは結局、"幸せに見られているかどうか"に依存してくる。
見られているかどうか、も結局主観でしかない。
自分では幸せに見られている、だから幸せなのだと思っても、それは結局自分の中で完結している幸せでしかない。
そんなもの目指しても意味あるがあるのかな、とふと思った。
どう思われてもいいや。
幸せでも幸せじゃなくても明日はやってくる。
幸せじゃないと、それ以外が全て不幸せになってしまう。
でも幸せを捨ててみたら、幸せ以外は別に不幸せじゃないことに気付いた。
天気がいい、体の調子がいい、ご飯が美味しくできた、
お茶が美味しい、そんな毎日の些細なことに気づけるようになった。
何も無くなった自分が惨めに見られていないか、思えばそんな考えまであったのかもしれない。
どう思われているかなんて自分の中の想像でしかないのに。
だから私は幸せを目指すのをやめた。
そんな今、わりと毎日楽しく生きている。
やりたいことがはっきりとわかってきて、うずうずしている。
駐妻歴一年半ちょっと。
新しい私にもうすぐ出会えそうだ。
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