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2021年ドイツ連邦議会選挙: 最終投票率76.6%は高いのか、あるいは低いのか、について。

さる9月26日に投開票された今回のドイツ連邦議会選挙の最終投票率は、選挙管理委員会の発表によると76.6%であった。投票日の午後にベルリンの旧西側地区のある投票所をのぞいた筆者は、見たこともないような長蛇の列に驚き、今回は投票率がかなり上がるのではないかと直感した。選挙戦自体も、それを予想させる非常に白熱したものであった。

最終的には、前回の投票率(76.2%)を若干だけ上回るという結果であったので、コロナ感染予防のための投票会場内への入場制限の影響も加わり、本来より長い投票待ちの列となっていたのだろうと納得した。ところで、ドイツにも投票率低下の悩みという問題があることを筆者が知ったのは、今から10年ほど前にベルリンのある政治関係者との会合で雑談をした時にさかのぼる。

日本には投票率低下という問題があるのかと問われた筆者は、長年にわたり投票率が低下傾向にあり(先方を驚かせないように具体的な数字の言及は避けた)、地方選挙においてはさらに状況が深刻化していると答えた。先方は、やはり日本でもこの問題があるのか、しかしドイツの問題は非常に深刻だ、と険しい顔で語った。

その表情を見て、ドイツにいったいどのような深刻な問題があるのかと当惑した。先方の言う深刻さとは、ベルリンの壁崩壊以前の西ドイツ時代には投票率は90%近辺だったが、壁崩壊後は下がり続けて近年は70%台に低迷している、今後さらに低下していつかは70%を切るのではないかと心配だ、という内容であった。

日本の投票率の実際の数字を知る筆者は、この話を聞いた時に自らの認識不足に衝撃を受けた。当時、ドイツの投票率が70%台であることを当然知識として知っていたが、それに対して単純に羨ましいことと感じていただけで、ドイツ人がその状況に危機感を抱いているとは露ほども考えていなかったのだ。

さて、今回の連邦議会選挙の投票率は76.6%、前回の2017年は76.2%だったので、どちらの数字も10年前の状況に比べると投票率的には改善しているが、正直な感覚では投票率は現状はしばらくはこのあたりで高止まりとなるのではないかと感じている。歴代で最も投票率が低かったのは2009年で、その時の投票率は70.8%であった。

その後、2013年には71.5%と上昇傾向に転じ、そして上述のように2017年以降は76%台まで回復している。2009年に一旦は谷底に落ちた投票率がその後上昇に転じた間にいったい何があったのか。

実は、2013年の選挙の直前に、極右ポピュリスト政党が新たに旗揚げし、それまで行き場がなかった一部の有権者層を一気に取り込んで勢力を伸ばしたのだ。その影響が、投票率の上昇として表れたと考えてよいだろう。

今回の選挙が、仮にコロナ禍ではない平時に行われていたとしたら、極右ポピュリスト政党はさらに勢力を伸ばして全体的な投票率は80%近くまで上昇したかもしれない。だがコロナ禍が状況を一変させた。

コロナ禍において、極右ポピュリスト政党が実際には困窮する人々に対して具体的な支援策を何ら打ち出すことできないことが誰の目にも明らかになったのだ。その結果、今回の選挙では極右ポピュリスト政党は選挙区・比例ともに特に旧西ドイツ地域を中心に大きく得票を減らした。これが、今回の選挙は全体としては大変に白熱したにもかかわらず、投票率的には前回を若干上回る程度で高止まりとなった要因であろう。

ベルリンの壁崩壊前までの時代の投票率が高かったのは、東西冷戦下の最前線であったドイツにおいて常に安全保障上の強い危機感が存在したことが理由であろう。ドイツは地政学的に対ロシア方面が安全保障上の脅威であり、歴史的にもこの方面に緊張が高まるとそれに呼応してドイツ国内の政治的緊張も高まる傾向がある。

ベルリンの壁崩壊は、ドイツ国内のそうした緊張感を一気に払拭し、それを反映する形で選挙の投票率も次第に下がっていったのだと思われる。それに対して、2013年の選挙で出現した極右ポピュリスト政党は、東西冷戦下の外的脅威に代わるものとして、国家利害と必ずしも一致していない組織体としてのEU、及び流入する難民を対外的な脅威として打ち出し、ポピュリズムを煽ることで支持を拡大させた。

ところが、コロナ禍に対してはポピュリズムは機能しなかった。ドイツ国民にとりコロナ禍は国内のまさに身近にある脅威であり、ポピュリストが扇動に利用する対外的脅威ではなかったからだ。今回のコロナ禍で、極右ポピュリスト政党は鳴りを潜めることとなった。

しかしながら、コロナ禍の終息後には、ポピュリズムは再び勃興してくると容易に想像できる。ドイツ政治は、まさにベルリンの壁崩壊前とは異なる新しい政治秩序を、本格的に思考するべき時代に入ってきたと言えるのではないか、そのように筆者は想う。

(Text written by Kimihiko Adachi)

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