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なぜ大手証券会社をやめてまで起業したのか?
コロナ騒動が始まった、2020年2月。大手証券会社のコンサルタント職を辞し、株式会社MARTIN STONEというスキンケア美容液の会社を設立、起業しました。なぜこんな時に?大手の安定を捨ててまで?はじめに起業の想いを記します。なお、写真は証券マン時代の名刺です。
目次
背景:激務と私生活のトラブルで身も心もボロボロ。それを救ったもの。
想い1:俺がやらなきゃ誰がやる!
想い2:日本の美容リテラシーを上げたい
想い3:世界中の肌トラブルの悩みをなくしたい
背景:激務と私生活のトラブルで身も心もボロボロ。それを救ったもの。
働き方改革時代。証券マン時代の晩年は非常に働きやすい環境でした。しかし、新人から3年間くらいは、まだ昭和の名残がまだありました。出社は7時。帰宅は終電。飲み会に接待で肝臓もボロボロ。意に沿わない金融商品の販売。目標未達ならば、何時間でも詰められる…。デスクが壊されるのも日常茶飯事。胃はキリキリ痛み、何度も辞めようと思いました。しかし、私を信じて大事な資産を運用させて下さるお客様を思うと、辞める訳に行かない。頑張らなきゃいけない。そう思っておりました。
また、私を支えてくれる恋人がいました。彼女は真面目で何にでも一生懸命。彼女に一生側にいて欲しい。そう思い、プロポーズしたところ、了承を得ました。これで何でも頑張れる。しかし、これが本当の苦労の始まりでした…。
当時、二人は群馬に住んでいたのですが、彼女は京都出身で、京都に戻ることになったのです。そして、プロポーズしたので、彼女のご両親の了承を得るために京都に挨拶に行きました。
結果は「まだ認められない。」
私も1度や2度じゃ無理だろう。と長期戦を覚悟しました。しかし、2度どころか、半年間、毎週末、群馬から京都に通うことになったのです。日々の激務に接待。飲み会。週末は長距離移動。終わりの見えない日々。元気だった彼女も日に日にやつれて行くのがわかりました。自分の余裕も無くなり、彼女を傷つけたこともあったと思います。
半年経った時、私の両親も見かねて、一緒に来てくれることになりました。職場の上司や同僚も、段々と応援してくれるようになり、「今回は行ける!」そんな根拠のない自信にも溢れ、意気揚々と京都に乗り込みました。結果は…
「まだ認められない。」
私は目の前が真っ暗になったのを感じました。
ついに彼女も私とは一緒になれないと言い放ち、別れることになりました。
その帰り道、顔の半分が動かなくなりました。
翌日、何も考えられない。仕事も出来ない。そう考え、辞表を持ち出社しました。支店では、みんなもう決まると思っていたようで、にこやかに出迎えてくれましたが、私の腫れ上がった瞼や、動かない顔を見て、何があったか悟ったようでした。もう何も考えられない。迷惑をかけて申し訳ないと伝え、辞表を渡しました。しかし、当時の支店長は、「まだ人生終わりじゃない。金ちゃんなら立ち直れる。経歴に傷が付くから診断書ももらうな。俺が守ってやるから、出社して、ただ座っていろ。」と言ってくれました。当時は何も考えられませんでしたが、今でもこの言葉だけは覚えています。
元々テカテカしていたくらいの肌もカサカサになり、フケも止まらない。顔の半分は動かない。突然動悸が止まらなくなり、考えることと言えば、彼女の両親への憎しみばかり。帯状疱疹で顔と首、背中に腰は湿疹だらけ。仕事中以外は通院や怪しげなヒーリングにまでほぼ時間を費やしてました。周囲のサポートで快復に向かい、半年ほどで顔も動くようになり、通常業務は出来るようになりました。
しかし、顔や首、背中には痕が残り、白いワイシャツは仕事が終わると首回りが膿で黄色くなっていました。皮膚科の先生にも匙を投げられ、男で良かったと思うしかないと言われました。一生このままなんだな。と一度は諦めたのです。
それでも、辛いことのあとには良いこともあるのです。彼女から、またやり直したいという連絡もありました。(現在、結婚5年目です)また、知人が韓国の皮膚科学のリーディングカンパニーの日本法人の役員をしておられ、今開発中の成分が君の肌に良さそうだ。使ってみないか?という提案がありました。私は正直、皮膚科にまで匙を投げられたのに、無駄だろう。と思っていました。しかし、そこまで言うなら…とありがたく頂くことにしました。すると、1日でフケが出なくなり、湿疹も痛みが無いような気がしました。1ヶ月でかなり痕も目立たなくなり、3ヶ月ほどすると、ほとんど痕がわからなくなりました。これはすごい!私は知人に感謝しました。知人は「ラクトフォリンとダーマタイド。今度、大手に採用される。」と言いました。発売したら買うと伝えました。
想い1:俺がやらなきゃ誰がやる!
しかし、大手に採用される話がコロナ騒動でストップしたのです。大手は普通、そんな簡単にやるとも止めたとも動くことはありません。そのため、知人は売上を読んでしまっていたのです。そんな時知人から、折角だからやってみる?という提案がありました。今思うと、冗談だったかもしれません。ただ、私は、これを製品化できれば、色々な方々の悩みを解決出来る。俺がやらなきゃ誰がやる!と思い、即断でやることを決めました。当時の証券の上司や同僚には本音も話せず、かなり迷惑をかけてしまい、反省しています。しかし、人生で初めて、心から良いと体験したものを、世界で初めて扱えることにワクワクしました。神様がいるならば、私にこれを広めなさいと言っているのだと思いました。
想い2:日本の美容リテラシーを上げたい
正直、証券マン時代はスキンケアに興味ありませんでした。日焼け止めも一切塗ってませんでしたし、化粧水をつけるだけ。なんとなくヒアルロン酸。帯状疱疹が出て、痕を治すために色々試しました。タンニングマシーンが良いと言うデマに乗り、悪化したのも今では良い思い出です笑
しかし、後になって皮膚科学の会社の知人に聞くと、「日本はなんだって遅い。定義が下手すると100年前のとかだから。そりゃあ、治るものも治らないよね。」と言われました。最近でこそ、ヒト幹細胞やビタミンC誘導体など、肌のバリア機能を高める成分も認知されて来ましたが、今でもスキンケアは保湿としか言わない、日本の常識を変えて行かないと行けない。その想いも強いです。
想い3:世界中の肌トラブルの悩みをなくしたい
日本で肌トラブルに悩む人は人口の60%以上といわれています。単純計算で7000万人以上。世界ではデータが無かったのですが、半分くらいは悩んでると思います。
肌が綺麗な方は、確かに保湿だけでいいんです。でも、トラブルがある方は保湿すると、逆に毛穴が詰まったり、悪化することがあります。私も様々な経験をしました…。
では、トラブルを解決するためにはどうするのか?
抗菌、抗炎症が最も大事なのです。
しかし、安全に抗菌、抗炎症を行う技術は中々ありませんでした。しかし、今回、私の開発したラクトダームにはこれらを両立出来たと確信しています。これで、世界の肌トラブルの悩みを解決出来る!その使命のために、株式会社MARTIN STONEは存在しています。もし、これを読んで少しでも共感頂けた方がいらっしゃれば、応援、よろしくお願い致します!
一緒に夢を掴む仲間も募集しておりますので、お気軽にSNSでDMでもメールでもコメントでもお願い致します!
株式会社MARTIN STONE
金清奎/KIM CHONGGYU
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