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昔、バイト先にヤ◯ザが来た話

働く人の姿はカッコいい。
先日、引っ越しに立ち会う機会があったのだが、作業員の兄ちゃんたちはとてもカッコよく見えた。「本当に働いて、本当のお金をもらっている」という感じだ。

ひとり、部屋に引きこもって脚本という与太話のようなものを書くことで報酬を得ている私は自分の仕事に対して初めて後ろめたさのようなものを感じてしまった。が、これが私の仕事である。それしかできないのだから今後もこれで金を稼ぐ以外に方法はない。

そんな私も若かりしころはバンド活動と並行してバイト生活を送っていた。それは思い返すとまるで自分の人生ではないような今の仕事とかけ離れた日々で「汗水をたらして」働いていたような気がする。

あのころの生活はキツかった。
肉体的にも金銭的にも。
バイトをしながら精力的にバンド活動に励んでいたにも関わらず、なぜか音楽仲間や同僚たちと朝まで酒を飲む暇はあり、そんなことやってるから働けど働けどいつも金がない。バンドメンバーに「あー、月初なのにもう6万しかねーよ」とこぼしたら「あるじゃないですか6万も」と返される地獄の底で生きる餓鬼のように救いがたい会話をしていたが、そんな日々を懸命に生きようとしていたは未来に夢と希望があったからだろう。

若いということは無限の可能性を秘めているのだ。今、あのころからもう一度、人生をやりなおせと言われたら、いかなる可能性があっても絶対に乗り切れる自信はないが。

そのころは自身の未来がどうこうというよりキツいバイトがあったからこそ、スタジオで音を出すことや飲み会などそれ以外の時間が楽しかった。そういう意味では人生にある程度のストレスというものは必要なのかもしれない。

そんなことで。
今回は私のバイト生活での貴重な経験のお話。

パチンコ店のバイト

18歳のとき、それまで勤めていたイタリアン・レストランを辞めてパチンコ店でのバイトをはじめた。理由は単純で自転車で通える範囲でもっとも時給が高いバイトだったからだ。

私が育った東京郊外にある小さな町の駅前には、とにかくパチンコ店が多かった。5店舗はあったと思う。東京といえども畑があるような北部の町にはそれだけ娯楽がないということを物語っている。

5店舗もあれば、どこかしらが雇ってくれる。私はもっとも暇そうな店舗を選び、そこで働くことになった。

個性あふれるバイト仲間たち

一緒に働くことになった他のバイトには実に様々な人間がいて、私のようにバンドをやっている者、CGデザイナーを目指す者、プロボクサー、高校を卒業してなんとなくフリーターになった者、一度どこかに就職したものの続かずにフリーターになった者、なかには前科がある者までいた。

こんな経歴の人々と一同に介する機会など社会人となれば皆無だろう。絶対に交わらない縁が交わってしまうバイト時代。同じ店舗で働いているという共通点だけで人間関係が構築できてしまうのも若さゆえだったのかもしれない。

ボクサーについてはプロ、アマ含め3人もいて、どうやら地域内にある元世界チャンピオンが会長を務めるジムに所属しているらしかった。その店の店長が会長と親しく、ジム生に働く場所を提供していたのだ。

そのうちの一人が仕事終わりにタバコを吸いながら「俺は世界チャンピオンになるからよ」と言っているのを聞いて「この人はかなり強いか、相当アホかのどちらかだろう」と思った。のちに彼はチャンピオンどころかライセンスを持っていないアマチュアであることがわかる。さらに、このとき24歳という自分の器がわかるはずの年齢だった。残念ながら私が直感したところの後者ということになる。

鑑別あがりのおバカさんとCGヲタクの昼行灯

バイト仲間には仕事をする上で二種類の人間がいた。「言われたことしかやらない人間」と「言われたこともできない人間」しかも後者の中には言われてないのに余計なことをするヤツもいるから実にタチが悪い。だいたいの場合、それらはボクサーたちなのだが……

店長の考えは「できないヤツは仕方ない。やらないヤツは許さない」という理不尽、極まりないもので比較的まともなバイトたちがこき使われた。私も一応、比較的まともな部類である「やらないヤツ」に含まれており、同類の人々と「できないヤツ」の失態で、とばっちりを受けたことなどを笑い話としていた。「できないヤツ」は我々のコミュニケーションだけには貢献していたことになる。人間、間接的にでも何かしらの役に立つものだ。

そんな職場で今も印象に残っている人間がふたりいる。

ひとりは鑑別所に数回、入っていたことがあるという男・Kくん。彼はいつも口を半開きにして前歯がない口内をだらしなく晒し、理由もなくニヤニヤしているような危ないヤツだった。しかし、なぜか彼は愛されるのだ。バカゆえに憎めない可愛いところがある。ただ犯罪に対するモラルが破壊的に欠落していたのだと思う。そういう人間も世の中にはいるのだ、と学んだ。

そして、もうひとり。
大学を出てから専門学校でCGデザインを学ぶ20代なかばのUさん。この人はバイト歴も長く、仕事も「それなりに」こなし、口数は少ないがたまに放つ知的で黒い冗談のキレで存在感を放つ人だった。私は彼に同胞意識を抱き、彼の映像作品の音楽を作ったりして親しくなった。この人は私が人生で出会った中でトップ5に入る優秀な頭脳を持つ人間だった。ただ周囲からは覇気がなく何を考えてるかわからないように見えていたようである。

ヤ◯ザが店にやってきた

バイトは早番、遅番のシフト制で私はいつの間にか遅番専門要員のようになっていた。これは前述のボクサーたちが練習のため早番に配置されることが多かったのが大きな理由だと思われる。

そんな遅番で働いていた夜。
白いスーツを着た完全なるヤ◯ザとその弟分らしきチンピラが店内に現れた。それ系の客が来ることはそれほど珍しくないのだが、このチンピラがその日、一緒に働いていたKくんの友人だったのだ。それも驚くほどのことではない。

驚くべきことは閉店後に起きた。

23:00の駅前にて

仕事を終えた我々バイトが店外に出ると、そのふたりの「お客様」が待ち構えていた。
とりあえず怖い。別に何もしてないけど何かされそうで怖い。もし何かをされたとしてもゲリラ豪雨に遭ったとか蜂に刺されたとか、そんな泣き寝入りするしかないレベルの話だ。

そしてふたりは、我々と一緒に店を出たKくんに近づきチンピラのほうがヤンキー丸出しの口調でこう言った。
「おめぇんとこ、ぜんぜん出ねぇじゃねーかよw」
それに対してKくん
「ヤ◯ザもんには出さねぇんだよwww」
というや否や。as soon as.

ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!

Kくんが本職ヤ◯ザのパンチを五発、顔や腹に浴びていた。あっという間に壁まで吹っ飛んだKくんは鼻に手をあて、うずくっている。そこにさらなる攻撃を加えようと近づくヤ◯ザ。

眼の前で起きていることに私を含め全員が呆気にとられ、こちらに飛んでくるかもしれない火の粉に恐怖していた。

ただ、ひとりを除いて。

Kくんとヤ◯ザの間に割って入った男がいた。
Uさんである。
そして彼は呟くようにヤ◯ザに向かって、こう言った。

「勘弁してやってください……」

かかかかかかか、かっこいい……!!
「漢」と書いて「オトコ」と読むってヤツだ。
そこにシビれる!憧れるゥゥゥゥゥゥゥゥ!

ヤ◯ザも止めに入ったカタギの人間を攻撃することはできなかったようで、拳を引っ込めてくれた。だが、それではメンツが立たないようでUさんに
「おまえが店長か?」と詰め寄る。
Uさんは当然、違うと答えた。
するとヤ◯ザが低く迫力のある声で言う。
「ヤ◯ザもんには出さねぇってのは店の方針なのか?店長、呼んでこい」
Kくんに目配せをするUさん。
「よ、よ、呼んできます!」とKくんは店内に消えた。

その後……

私が知っているのは、そこまでである。
なぜなら直後に逃げるようにその場を離れたから。
店長とヤ〇ザが何を話して、事態がどう収まったかは知らない。

翌日からKくんは店に来なかった。要するにクビになったのだ。いくら愛されキャラであろうと鑑別所あがりな上にヤ◯ザと店を巻き込むトラブルを起こすヤツを雇い続ける理由が店側にあるわけがない。その後、Kくんとは会うことも連絡を取ることもなくなった。彼の消息を知る同僚は誰もいない。

Uさんとは今でも連絡を取る仲だ。
彼は結局CGを仕事にすることができず、なぜか近所の建築会社に就職し、毎朝4時に起床して現場に向かうという生活をしている。

彼ほどの頭脳があれば派遣社員として大企業に潜り込み、正社員に登用されるくらいは余裕で可能だったと思う。しかし頭脳労働系の就職先を探すことも電車通勤することも最初から考えになかったようである。彼は優れた頭脳を無効化するほどに面倒くさがりなのだ。惜しい。

ともかく今回、書かせていただいた一件も私にとっては貴重な経験だ。そして、ヤ◯ザを止めたときのUさんほどカッコいい人間に未だ出会ったことがない。恐らく今後も出会うことはないだろう。

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