【鷹取山@神奈川】ゆっくりと自然を味わった低山ハイキング〜登山日記#5
ゆっくり自然を見たいな、そんなふらーとした気持ちで、鷹取山に行ってみた。
鷹取山は標高139m。
もはや山なのか丘なのかわからないけれど、この低さが登山を堅苦しくしてしまっていた自分をゆるめてくれる気がした。
♢
東逗子駅で降りて街中を歩くと、すぐ登山口が見える。
道に入るとあっという間に別世界になった。
整備された石畳の道と、両脇を囲うように生い茂る植物たち。
あまり見ない形の葉っぱ。
シダ科の植物で、ミゾシダというらしい。
なんだか東南アジアのような雰囲気もありつつ、でも乾燥している空気とのギャップで、異世界にいるような気持ちになった。
ところどころに立つ山火事注意の看板。
この乾燥だと確かに危ないなと思いつつも、看板の朱色とフォントがかわいらしく思えて、つい見入ってしまった。
あちらこちらに太い木が生えていて、その巨根は芸術作品みたい。
うねうねと生えてバランスが悪そうだけどしっかりと本体を支えている。すごいなぁ。
見上げると空がひらけている。
木々の合間から見える空がとても好きだ。
青と緑と茶色と、そこにミスマッチの色がないのが不思議。
生い茂るというのか自然というのか、こういう山道を見るとわくわくする。
どうぞ〜と言われている感じ。
お邪魔しますと心でつぶやきながら進む。
木の表面につたう植物。
フウトウカズラだと思われる。
カサカサの表皮に、ツヤツヤの葉っぱ。
生と死が共存している違和感があり、でも美しく成り立っている。
石畳を歩く。
誰かが整備してくれた道だから歩くことができるんだよなぁとしみじみ思う。
次第に壁や道が苔むしてくる。
自然の絨毯というべき美しさ。
きれいであろうと努力しているわけでもなく、ただ生きているだけで美しいと思わせる苔。
もう少し歩くと、神武寺に着く。
その静けさと美しさに見惚れてしまう。
苔の緑と、寺院の朱色。
計算されているようでいないような、ぴったりとはまった調和を感じる。
しばらくゆっくりして、また登り始める。
ウォーキングしている人たちとすれ違った。
健康目的や散歩など、思い思いに楽しんでいる。
ゆっくりでも早くでも、どんな歩き方をしても間違いも正解もない。
ただ受け入れてくれる場があるだけなんだなぁと思う。
少し登ると見晴らしが良いところに出た。
前に広がるのは葉山の街並み。
山と海に囲まれた美しい街。
葉山にはおいしいパン屋さんがある。行きたいなと思ったり。
鎖をつたって登るアドベンチャーな道も多い。
前を歩いていったおじいちゃんもここを通ったのかと思うとびっくりする。
小さなアスレチック気分を味わいながら、素手で岩や土を触るのはずいぶん久しぶりだと感じる。
手が汚れるのを嫌がる気持ちがふと出てきて、そんな自分を客観視する。
汚れとか、きたないとか、そういうことばかり気にしてるなぁ。
山頂はまるで古代遺跡場みたいだった。
巨大な岩がでんでんと並んでいる。
ボルダリングする人もいるらしい。
岩に登るのか、すごいと思いつつ、その圧巻な大きさに、人間の小ささと人間の挑戦心を感じた。
山頂には小さな公園。
この先にもまだ道はあったけれど、少し疲れたので戻ることにした。
帰りのルートは行きと同じ。
今回の登山はなるべく頭を使わず、ひたすらリラックスして登りたかったからだ。
何度も立ち止まって植物を見る。
自然を感じて、深呼吸する。
忘れていた登山の楽しみ方をもう一度思い出してきた。
風が吹いて木が揺れる。
サワサワと葉がすれる音がして、上を見上げると緑色の空が広がっていた。
うわぁぁ。
心がじんわりして涙が出そうになった。
すごく気持ちがよかった。
同じルートだけど、行きと帰りで見える景色が違う。道は同じだから迷うこともない安心感もあって、ゆっくり楽しみながら歩いた。
139mの標高で登山とはいえないかもしれないけれど、わたしにとっては大好きな登山道になった。
♢
帰りは逗子駅に寄って、ひそかに好きなカレー屋さんへ向かった。
登山帰りは、普段はあまり食事をしない。
帰りの電車でお菓子を食べたりつまみ食いをするくらい。
でも今回はちゃんとご飯を食べて帰ってみようと思った。
逗子駅近くにある、spice treeというカレー屋さん。
海鮮ココナッツカレーを注文。
辛さが心配だったけれど、辛さを和らげるヨーグルトをくれたり、食べ方を教えてくれたり、お店の人たちが優しく気遣ってくれた。
肝心の味は、とてもとても美味しい。
口に入れたとたん、味の深さを感じる。
おそらくマスターがスパイスの調合にすごくこだわっているんだなと思う。
細かくは感じ取れないけれど、手間と愛情を感じるカレーだった。
♢
お腹いっぱいになって、どんどん眠くなってそのまま家に帰った。
たまたま読んでいた本に、心にしみた言葉があった。
何十年と植物を見続けている、絵本作家の甲斐信枝さんの言葉。
甲斐さんですらわからない、自然のこと。
頭で理解しようとすると突っぱねられて、だけどわかりたいともがいてしまうのが自然な気がする。
登山はいつも使い過ぎている頭が安まっていくのを感じる。
ひたすら足を動かしていると、「意味」とか「あるべき姿」とか、自分の武装を剥がしていってくれる。
だけどそう感じるのは、自分の勝手。
自然はなにも言わない。
なにも伝えてこようとしない。
だけど触れるたびになにかを学べるのが、わたしにとっての登山なんだと思う。
今回の鷹取山は、登山と自分をもう一度繋いでくれた山だった。
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