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息子の太郎のことだったら、いくらでもわかるだろ?

ペルソナって言葉がマーケティングをしているとたまに出てくる。

名前、年齢、家族構成、趣味、行動範囲…まああれこれとプロフィールを作って、よりイメージしやすい人を作ってみようという感じのものだ。

とはいえ、ペルソナがうまく使われる場面は正直見ていても多くない、むしろ害があるように感じることが多い。

そこを深く話すのは今回の意図ではないが、別にペルソナを作ったから、画期的なアイデアやサービスが生まれるわけではないと思っているということだ。

では、私の思うペルソナなるものがどう役に立つと思っているかと言うと、
「ただただ、アイデアを出しやすい。考えやすい。だってイメージ湧きやすいでしょ?」である。

ただ、思いついたものをそのままペルソナが使ってくれそうという理由で採用するのは間違いだと言いたい。

それなのに、ペルソナを絶対視して、ペルソナならこういうはずだ!とか、ペルソナがペルソナが!とこだわるのは害がある。

だって、ペルソナって、ただの架空の人物像の一人であって、そんな人は存在しないから。

もし一人しかお客さんがいないなら、ペルソナじゃなくて、そのお客さんに聞いたらいいし、いっぱいいるならもはやペルソナとは違うよね?

だから、ペルソナってなにもない中でアイデアを考えるのが難しいときに、
ちょっと考える切り口のために用意するものであって、実際のお客さん像とは分離したほうがいいと思っている。

理想は、息子の太郎を思って、考えること。
ただ現実に多くのお客さんの個人個人を考えることは難しい、だけど何かアイデアの取っ掛かりがほしい。そんなときに一人太郎的な何かを作ってみる。

そんな役割がペルソナだと思っている、それ以上でも以下でもない。

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