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「 ガブリ 」

ガブリは、自信がありませんでした。自分が存在するだけで誰かを傷つけてしまう。でもいつも行動しなければと思っていて、うろうろと迷っていました。


ガブリは、自分はここにいることを証明をしたいと思っていました。でも同時に、誰も自分を必要としていないのではとも思っていました。

「分かって欲しい。でも、どこに行ったらいいの?」


ガブリはいつも孤独でした。

「僕って、なんでこんな体をしているんだろう。どうしてここに、存在しているの?誰か、僕をつかまえていて、お願い。そうじゃないと、またどこかへ行っちゃう。」


ガブリは「考えることは得意ではないけど、感じることはできるよ。」と言いました。

自分が動くと、周りのものたちはざわつきます。


「道を空けてくれたり、たくさんの物質が自分を留めたり。ああ、一人じゃないって、思えていたんだ。誰かがいてくれて、あ、自分って、いてもいいのかもって思った。
でもどこからか、声が聞こえたんだ。『もうやめて』って。泣いているみたいだった。
でも、止まれないよ。僕もここに、キミと同じようにいるんだから。どうしようかと思った。みんなに言えなかった。言えばよかったのかな?

でも僕が話しに行こうとすると、みんなを傷つけてしまう。
僕が歩くと、ふかふかの絨毯は破れるんだ。すぐに別の何かが取り囲んで、話を聞いてくれないんだ。僕はどこへ行ったらいいの?ずっと分からなかった。

でも今、初めてキミに出会って話をしているよ。僕の話が分かっているんだよね。伝わっているんだよね。

こんなに嬉しいことってあるのかな。

まだ僕を捕まえていて。お願い。僕、逃げちゃうから。」


ガブリは悲しそうで、嬉しそうで、困っているようでした。


『少しだけ、一緒にいよう。』

ミーコーはそっと語りかけました。

ソファに座ったまま、目では見えないけれど、確かにそこにあるガブリの体を掴みました。


『少しだけこうしていよう。せっかく縁があって出会ったのだから。』

「縁って、なに?」とガブリは言いました。


彼が話すと、その歯がカチカチとミーコーの首に当たりました。ミーコーはガブリの位置を胸元に移動させてから、『一緒に学ぶってことだよ。』と言いました。

「一緒に成長したってこと?」ガブリは訊ねます。


『うん。見ているものは違ったけど、一つの体の中で、同じことをしてきたんだ。』

ミーコーは続けて言いました。

『ねえ、ガブリ。今日は一緒に出かけてみようよ。君の誕生祝いをしなくちゃ。』

ガブリは言いました。

「お祝いされたことなんて一度もないよ。」

ミーコーは、『だからするんだよ!準備をするから待っていて。』と伝えました。


ガブリは頷くと言いました。

「いいよ。でも僕を絶対、離さないでね。離したら、どっか行っちゃうから!」


ガブリを左手で掴んだまま、ミーコーは自分の髪を梳かしました。

とても不便だけど、ガブリとは紐で手を繋いでも、彼は両手についているハサミのようなもので、切り離してしまうと思ったからです。

ガブリは言います。

「本当は僕のこと、騙そうとしてるんじゃない?きっとそうだ…。騙そうとしている!信じていないんだ!」


ミーコーは言いました。

『そんなことないよ。見ていて。あなたに私は向き合っている。』


ミーコーは耳に、お花のシールを貼りました。キラキラしていて、お出かけの際につけるお気に入りのものでした。
『ガブリにもひとつあげる。』ミーコーがガブリのおでこに、ペタッと貼り付けると、ガブリは目をカチカチと動かしました。


出発しよう、とミーコーは鍵を手に取ったのですが、バスで行くか、自転車で行くかで迷います。


『ガブリに何をしてあげられるだろう? そうだ、私の好きなところに連れて行ってあげよう。あんみつ屋かな。それとも、ハンバーガー?』と迷いながら玄関を出ました。


外へ出ると、白いふわふわとした綿毛のような犬が散歩をしていました。

ミーコーは、太陽に押されるようにして歩き出しました。


『そうだ、ガブリにお花を買ってあげたいな!あの公園の向こう側に素敵なお花屋さんがあったはず。』


しかし残念なことに、お花屋さんはやっていませんでした。しかも、お店自体も閉じてしまっているようです。『少し前まではあったのにな…。』とミーコーは悲しく思いました。


ガブリは、歩道に咲いていた草花を指差して言いました。「これでいいよ!買う必要なんかないよ!すごくキレイだ。」

ミーコーはカメラを取り出すと、その写真を撮りました。ガブリと一緒に見た、美しくかわいい草花たちです。


その時、キラッと光るものがありました。

「あれは何?」ガブリは驚いて言いました。


それは自転車の反射板が、太陽の光を受けて、一瞬だけ光ったものでした。

ミーコーは『あれは光だよ。』と言いました。

「ひかりって、いいね。」

『光を見るのは初めて?』ミーコーは訊ねました。


「初めてじゃない。ほんのり明るいのは見たことがあるけど、キラッとはっきりキレイなのは初めて。速いんだね、ひかりって。ぱっと伝わっていく。ほら。」


ミーコーとガブリは、太陽が出ている方角に向かって、更に歩くことにしました。

歩道に沿って、お店がたくさん並んでいます。

『あれはね、カバンの修理屋さん。直して使うんだよ。』

ガブリは黙ったまま、一緒に歩いていきました。


いくつものお店を通り過ぎると、一軒のカフェまでやって来ました。

ここはミーコーのお気に入りの場所でした。
『そうだ、ここがいい。チキンソテーとクリームコロッケのランチプレートに、ショートケーキを付けよう。』

ミーコーは、本当はベリーのタルトが食べたかったのですが、今日はガブリに譲ろう、と思いました。

けれどその時、カフェへ来たのに、本を一冊も持って来なかったことに気づきました。
また、夜の食事のことや、買い物に行かなければならない事などを、あれこれと考え始めた時でした。


ガブリは言いました。

「僕の名前、忘れたでしょ。」

『え……?』(本当に一瞬だけ出てこなくなったのです。)

「……ガブリだよ。」


ガブリはミーコーから離れると、ひとりで隣の建設現場の中を歩いていきました。

たくさんの積まれた木が、クレーンで持ち上げられていきます。
ミーコーはふと、『今の私が住む家も、こんなふうに造られたのだな』と思いながら眺めると、何だか、ありがたい気持ちになりました。

そして同じようにじっと眺めていたガブリに向かって言いました。

『やっぱり、さっきのお店に、一緒に入ろうよ。』



チキンプレートが運ばれて来ました。

ガブリは黙っていて、ミーコーも黙っていました。


とても静かな時間でした。

店内の音楽は激しく鳴っているけれど、同時に湖畔を眺めているような、穏やかな心地でした。

ミーコーは『ガブリ、向かい側の席に座ったら?』と言いましたが、ガブリは「僕が座ると椅子が傷ついちゃうから立っているよ。」となかなか椅子に座ろうとしません。

ミーコーは言いました。『いいから。傷ついてもいいし、でも大丈夫だから、座って。』

そわそわしていたガブリですが、恥ずかしそうに、ミーコーの向かい側に座りました。

『いただきます。』
「いただきます。」


食事を口に運びながら、ふたり同時に、全く同じように、味と感覚を分かち合っているようでした。

全て食べ終えると、ケーキが運ばれてきました。

「わあー!いちご!ふたつも乗っている。」


ガブリはびっくりしながら言いました。
ミーコーは椅子に座るガブリの写真を撮りました。ガブリは固まっていました。

『ガブリ。いつの日か、正解な日付は分からないけれど、お誕生日おめでとう。あなたの未来が明るいといいな。』


その時でした。ガブリの右手のはさみがひとつ、ぽろりと落ちました。

『あなたの進む先が、光であって欲しい。美しくてキラキラまぶしくて、見た人はきっと嬉しくなる。ひとりで迷っているあなたじゃなくて、どこにいたらいいか悲しむあなたじゃなくて。あなたには、たくさんの喜びを感じてもらいたいよ。』


ガブリがキコキコと目を動かすと、口元のトゲは1つ、また1つと落ちていくのでした。

『ガブリ、ケーキを食べよう!あなたと私の記念すべき日に。あなたのいつかの誕生日に。ただ一緒に、楽しみたいんだよ!』

ふたりでケーキに向き合いました。


たったひとつですが、なんだかケーキの海に飛び込んだ気分です。

ミーコーはフォークで、ガブリは手で、一心不乱に食べ始めました。


ガブリの体からはトゲが次々と落ちて、かわいい葉っぱのような手が見えてきました。

もう片方の手も見えて、ガブリは両手で口にいっぱいに頬張っています。

イチゴが赤く、艶をたたえたバラのように微笑んでいました。


ガブリの体はふわふわと浮いたり沈んだり、色が濃くなったり薄くなったりしました。

最初に見た彼と違って、まるい部分がいくつか見えてきたのです。

ガブリは言いました。

「おなかいっぱいで、眠くなっちゃった。」

『寝ても、いいよ。』


ミーコーは思いました。

「もし私に子どもがいたら、きっとこんな風に、愛おしい気持ちが溢れることでしょう。ずっとずっと、あなたを見ずに、話もしようとせずに、いなくなれとばかり、批判してごめんね。』

ガブリは寝息を立て始めました。

シュー、シュー、シュー……。


ミーコーは、今までガブリが生きてきた孤独のことを思いました。

『私も誰にも言えない時があるけれど、まったく側に誰もいない、ということはなかった』と思ったのです。


ガブリはずっとひとりだった。いつの間にか誕生していて、なぜいるのか分からなくて、何かをしなければといつも悩んでいて、進めば傷つけてしまうし、いつも何かに止められていた。

ガブリにとっての自由とは何なのでしょう?


これは、ガブリを誕生させた自分に、答えがありそうだ、とミーコーは思いました。

『私は何のために、この苦しむ存在を誕生させたのだろう。それと一緒に祝って、今、私は何をしているのだろう?』


ミーコーは、目の前で寝ているガブリをそっと撫でました。

もし、ガブリの持つトゲによって血が流れても、また傷つくとしても、もういいと思えました。

自分はどんな風になっても、彼を撫でてあげたいし、あたたかいものを伝えたい、と思いました。

『ごめんなさい。ありがとう。ごめんね、ありがとう…。』


そして何だか、今日ふたりで見た光に向かって、話しかけたいと思いました。


『私とガブリを、ひとつにしてください。それぞれが異なる状況で存在するのではなくて、ひとつの存在として、生きることはできませんか?ただひとつに、ひとつに。』


眠っていたガブリは、手のひらに乗るほど小さくなっていました。

体をだんごのように丸めて、自分の体のトゲでミーコーを傷つけないように気遣ってくれているようでした。


ミーコーは話しかけました。

『ガブリ、寝ているの?起きているの?』

ガブリは何も答えません。

ミーコーは、ボールのようにじっとしているガブリを左のポケットに入れると、カフェを出ました。


秘色(ひそく)の空には、半月が浮かんでいました。

ミーコーが見つめていた、その時でした。


左ポケットから、ガブリの丸まった体がふわりと浮き上がり、月へと向かって上昇し始めたのです。

ガブリは言いました。

「ちょっと行ってくるよ。」

『あなたひとりで?』

ミーコーは訊ねましたが、ガブリの声は聞こえません。

まあるいボールのようなガブリが、半月の薄い黄金色へと向かって、真っ直ぐに、高く登っていきました。

そうしてガブリは、すっかり見えなくなりました。

ミーコーは、ガブリのいなくなった左ポケットに手を入れて歩きました。

図書館のベンチまで歩いて来ると腰をかけて、しばらく月を眺めながら、ガブリを待ってみました。

しかし、ガブリが戻ってくる気配はありません。


明るい笑い声の学生たちが、後ろの階段を降りて行きました。

ミーコーは、ガブリを急に失って、悲しんでいる自分がいることを知りました。

『ガブリは自らの意志で月へ行ったのでしょうか。それとも、私がガブリを月へ放ったのでしょうか。』考えれば考えるほど、分からないことばかりでした。


そしてしばらく風の中にいると、一つの結論に達しました。考えなくてもいいのだ、と。ミーコーは、『どうであれ、すべてはいいんだ。』と、受け入れることに決めました。


『ガブリの意思でも、私の意思でも、もう考えるのはおしまいだ』と、自分の奥深くで分かっていたからです。


広い空を見上げると、雲が向こう側からゆっくりとやってきました。

それは家を出てすぐに見た、ふわふわとした白い犬のような綿雲でした。




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