ぎおう

 認知症のおばあちゃんも桜の美しさは忘れなかった。

 おじいちゃんがそこで亡くなった老人ホームへ緩やかな坂道がある。そのそばに桜の木が一本ある。幹は白っぽく、樹冠は右に偏った、なんてことのない桜だった。

 おばあちゃんはとてもネガティブなおばあちゃんだったものでその桜の横を通るたびに「ああ、枯れる桜が咲く。枯れるのに咲いちゃうよ〜〜〜」と言っていた。それが3月のことで、4月には「咲いてるね〜〜〜枯れるのに。咲いてるわぁ」と言った。5月はもう「はいはい枯れました。枯れたね〜〜〜、枯れた枯れた」と鼻歌を歌うようにつぶやいていた。

 これだけでも面白いのだが、さらに面白いことは、6月も7月も12月もそんな桜を見に行くということだ。そしてその度に「枯れちゃう〜〜〜」と言うのだ。

 おばあちゃんがどんな気持ちで言ってるのか分からない。人並みならぬ孫並みにおばあちゃんとは接してきたが、彼女には80年かけて蓄えられた謎があったからだ。18年謎解きをしてもまだ62年分は分からなかっただろう。

 惜しんでいるのか、悲しんでいるのか。
 楽しんでいるのか、喜んでいるのか。

 聞いてもはぐらかされるが、確かなのは、惚れていること。淡いピンク色、柔らかな肌、ささやかな形状、舞うときの緩やかさ、その群れ。桜吹雪。すべてがおばあちゃんにとっては美しかった。おじいちゃんのお見舞いに行っているのか桜を見に行っているのか分からないくらいだった。

 実際、分からなくなった。おじいちゃんが死んでからおばあちゃんも体調を崩して家に引きこもっていた。あの老人ホームに入ってもいいのだが、おばあちゃんは我が家を空っぽにしたくなかった。だから桜を見に行くこともなかった。

 田舎だからいろいろな木があって、きんかんや夏みかんを実らせる木もあるし、秋に二階から裏山を見れば紅葉だって見れる。梅の木なんかは桜に似た紅色を見せてくれる。それでも、もう、おばあちゃんは、「咲く」なんてことは言わなくなった。もうおばあちゃんには咲くことも咲かないこともどうでもよかった。桜が一本もないから。

 私が上京して、いろいろな仕事や私事に追われても、おばあちゃんのことが頭から離れなかった。ある日、家電量販店で「ボタンを押すと咲く桜」という造花の超進化バージョンみたいなやつを見つけた。私はそれをおばあちゃん家に送って、届く日に重なるように帰省した。

 おばあちゃんと「え〜〜〜これで咲くの!?ボタンを押して!?」「そうっぽい、押してみて」「あら!咲いたわ!咲いたわね〜〜〜枯れるの?」「造花だから枯れないよ」「見放題ね〜〜〜!」「もう一回ボタン押すと引っ込むって…………書いてある」「…………ホント!引っ込んだ!」というやりとりをした。

 おばあちゃんと桜を見ながら日本酒を飲んだ。上京してからの話、職場の人間関係の話、趣味で描いてる絵がバズった話、爬虫類館に行ったらたまたま中学時代の友達と会った話…………そういう話をした。おばあちゃんは病気の都合であまり飲めなかったが(本当は少しでも飲んじゃダメだったらしい)、それでも愉快に付き合ってくれた。

 私は桜を置いて東京に戻った。おばあちゃんの体調はずっと悪くなるばかりだったが、その日から良くなり始めたと、母親から電話で聞いた。「桜が咲いたおかげだよ」と答えた。

 それから一年後、おばあちゃんは亡くなった。結局どうにもならなかった。それでも、苦しんで死んだわけではないし、あの坂道以外の場所ではいつも明るい人だったので、葬式の雰囲気は軽かった。

 遺品を整理しているとき、埃まみれのボタンを見つけた。あの桜を咲かせるボタンだ。

 4月、桜がほんのりと舞うあの坂道で、空想のおばあちゃんに聞いてみた。

 「どうして咲かせなかったの?」

 「いつでも咲くなら、いま見なくてもいいと思ったのよ」

 あの庭の桜は今日も枯れている。私はボタンを川に投げ捨ててからコンビニで鬼殺しを買って、縁側に座り独りで飲んだ。

 生きていたおばあちゃんの思い出と、咲いていた桜の面影を肴に、ずーずー鳴るまで飲み切った。












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