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完璧な自己満足で語る藤原基央論

 まず最初に、この音楽論マガジンは、昭和生まれの洋楽オタク(後に邦ロックも)による、完全に自己満足の私見だということを念頭に置いていただきたい。
 そして、プロフィール記事で詳しく書くが、僕が「元ニューヨーカー」で非常にアメリカナイズされた人間であり、邦楽の好きなアーティストで、会って話したことがない人の方が少ないという、友人に言わせるところの「コミュ強」であることも。

 さて、今回「完全自己満音楽論」をしたためようと決めた理由を簡潔に書いておく。最近、仕事ではないのだが、必要に駆られて書くものが多く、本能的に、「自分のための書き物が必要だ」、と思ったから、というのが理由である。
 ツイッターに書きたいトピックを羅列したのだが(フォロー大歓迎)、邦楽を重点的に、と意図したものの、己で引くほど長いリストになった。

 そして今日、ようやく時間ができて、集中して書ける場所も確保できた。
 問題は「誰or何から書くか」であったが、初手は邦楽が良いだろうというチョイスの後、「だったら彼しかいない」と思い、BUMP OF CHICKENの藤原基央氏について私見を述べることにした。

 この音楽論マガジンにおいて、僕は嘘を書きたくない。正直に、過去の自分の当時の思いや考えを記したいと思う。それを不快に思う人がいたら心苦しいのだが、それは悪意から来るものではなく、大好きだからこそ「もっと!」と期待値が上がった結果とも言える。ので、ディスなんかは書きません。酷評したとしても、愛情ありきの評価です。


僕と藤原基央の出会い

 前置きが長くなってしまったが、藤原基央の話だ。
 この記事において僕が論じるのは「BUMP OF CHICKEN」ではなく「藤原基央」である、ということをご理解いただきたい。

 上に軽く書いたが、僕は産まれた時からビートルズやクイーンを(レコードで)聞いて育ち、14歳の時にNIRVANAと出会って洋楽ロック沼にかなり深く落ちてしまった身だ。
 そして、洋楽リスナーにありがちな、「邦楽見下し現象」という病に罹患した。「どうせ日本のバンドなんてUK/USバンドのパクりだろ」といった具合に。

 そんな僕が藤原基央と出会ったのは、持病で入院していた最中、年齢は19歳だったと記憶している。「天体観測」がバカ売れしているのを尻目に渡米したので、バンプに関しては何も知識がなかった。
 そんな退屈な入院時、相部屋だった子が、バンプなどの邦楽ロックを聞かせてくれたのだ(僕は洋楽で迎撃しました)。
 ちなみに、僕が最初に聞いたバンプの曲は……

……「Jupiter」の隠しトラックだった。

 そう、相部屋のあの野郎、最初に笑いで俺の気を引き、その後巧妙にもアルバム全篇聞かせてきたのだ。
 そして、僕は非常に困惑することとなる。理由はシンプルで、

「邦楽なんかクソだと思ってるのに、なんかこの曲良いな、とか思ってる俺の人間証明書はどこだ」

 という戸惑いであった。
 相部屋くんは、バンプ以外にも数組のバンドを教えてくれたが、彼より先に退院した俺は、「Jupiter」の音源を入手し、聞き込んでいった。
 
 ここでハッキリさせておかないといけないのは、僕は「ユグドラシル」までと、例外的に「時空かくれんぼ」と「ray」くらいしか聞いていない、リアタイで追ってライブも行って、という熱狂的なファンとは少々異なる立ち位置にいることだ。
 よって、「最近の曲とか知らねーくせに何言ってんだよ!」という批判は甘んじて受け入れる。だが繰り返すがこれは「完全自己満音楽論」である。
 よし、次だ。

BUMP OF CHICKENは日本の「ギーク・ロック」の立役者

 僕は、オフィシャル・ウェブサイトができるの前の、バンプのサイトを見たことがあるのだが、四人の交換日記が非常に印象的だった。残念ながら印象的だったのは内容ではなく、四人の絵・漫画の上手さである。オタクだ、こいつらオタクだ! と無駄に感動したのを覚えている。

「バンプにハマった」と言うと、友人の女子が、VHSを6本も送り付けてきた。その内容は、現在はもはやファン垂涎レベルの「BUMP TV」であった。もちろん全て鑑賞した。その結果は、

「やっぱこいつらオタクだ……!」

 であった。

 そして、名曲「アルエ」のタイトルの由来を知った時も、

——藤原基央はほんまもんのオタク、オタクの鑑だ!

 と胸熱になった。

「ギーク・ロック」という言葉を使ってしまったが、定義はいくつかある。ここでは「オタクがやってるロック」と捉えていただいて構わない。
 先述の通り僕は邦ロックにさほどあかるくないから、もしかしたら過去にも日本にギーク・ロックバンドは存在したのかもしれないが、バンプほど売れて、こんなに長期間活動し続けているバンドはいないだろう。

「Ray」で初音ミクとコラボした時の、あの子

 一気に年月が飛ぶが、バンプが「Ray」でボーカロイド・初音ミクとコラボした時、僕は普通に「相変わらず藤原は良い曲書くなぁ」と思って聞いていたのだが、コメント欄は賛否両論の嵐。
 その中に、こんな書き込みがあった。

「嘘でしょ? バンプだけは信じてたのに!」

 あのオタク集団の何を信じていたんだキミは。 
 彼女は「アルエ」のタイトルの意味を知らなかったのだろうか。最近の若い子はルーツ巡りをしないと聞いているが、それ以前の問題だろう。

 と、いうわけで、BUMP OF CHICKENは日本のギーク・ロック代表選手だ、と僕は考えている。

藤原基央というギフト

 皆さん、「バンプの何が好き?」と聞かれたらどう答えるだろうか。
 曲の良さ? 歌詞の良さ? 四人の絆?
 選択肢は多々あるが、僕は以下のように即答する。

「藤原基央の声と歌唱法」

 とても暖かくディープで、テンポが速い曲でも耳障りでない落ち着く声。声の張り方がユニークだが、ライブでは完全に無表情に歌うギャップもある。

 正直、最初にライブ映像を見た時は驚いた。あんなにエモーショナルな曲とか詩を書く人間が、能面のように無表情で、かつ口も大きく開けずに歌っている姿に。

 バンプが売れてから、藤原基央フォロワーのような、似たような歌い方をするシンガーが増えたと、僕個人は思っている。僕の現在の最推しである米津玄師も、初期曲では「あ、今のシャウト藤原っぽい」と思うことが少なからずあったし、バンプが好きな母が別のバンドの曲をバンプだと思い込んで聞いていて、僕が訂正した、なんてこともあった。

 具体的な話をしよう。藤原基央の歌唱法。
 これは彼がソングライターでありリリシストであるからこそ成立することでもあるが、まずは声の張り方。大声を出しても、うるさく感じない。
 次に、アクセントを置く位置。「え、普通ここで大声出さない?」みたいなポイントを軽く歌ったり、逆に「ここのシャウトは長くてもいいんじゃないか?」ともったくなく思えるほどシャウトをスタッカートにしてしまったり。
 続きまして、歌と歌詞のマッチング。
 日本語にはひとことで訳せる単語がないのだが、英語に、こんな言葉がある。

「Word-painting」
 
言葉による生き生きとした叙述

英辞郎 on the web

 僕がニューヨークの大学の音楽のクラスで知った時は、「曲調に合わせて歌詞の内容をそれに合わせたり、逆に相反することを歌う(意訳)」と教わった。
 言うまでもなく、藤原基央はそれを体現している。

藤原基央チルドレンの台頭

 いや、これは造語ではあるが。
 先ほど、僕の現在の最推しは米津玄師だと言った。更に彼は音楽を作るようになったきっかけはバンプの曲のFLASH動画だったと公言している。
 しかし、米津は「神格化し過ぎていて、幻想が壊れるのが恐いという気持ちもある」と、かなり最近まで言っていた。

 だが、ネットやSNSを見ていると、ツーショや一緒に飲んでいる画像が多数散見される。
 突然だが、ちょっと土下座させていただく。

どこの局でもメディアでもいいから、とっとと対談動画出してください!

俺の野望の伏線

 さて、話を米津玄師に戻すが、僕が若い米津ファンの子達とスペースで話していると、たまたまバンプの名前が出たので、「藤原の声は良いよね」といったことを言うと、ひとりは「誰ですか?」、もうひとりは、「あ、あの雰囲気が米津さんっぽい人ですよね?」と返してきたので喫驚した。いや、喫驚どころじゃない、目玉が飛び出すような驚愕だった。
 僕は震える声で、
「よ、米津さんが音楽を始めるきっかけになった人ですよ……」
 とだけ言ったが、内心では、

 逆じゃああああああ藤原基央ありきの米津玄師じゃあああ!!!

 と怒りに似た咆哮を下腹部あたりであげていた。

ロックバンドはテレビに出れば「売れ線に走った」ことになるのか

 これはだいぶ古い話だが、僕はパンク寄りのバンドばかり聞いていた時期があって、そういったバンドが地上波の、深夜番組などではない、プライムタイムの音楽番組、まあ今はMステしか残っていないが、そういったテレビ露出が決まると、「セルアウトした」「売れ線に走った」と叩かれたり、去って行くファンすらいた。
 そして逆にテレビしか見ない人種は、アルバムのプロモーションでテレビ露出をしていたバンドがツアーに出たりそれを終えて次のアルバムの制作に入ったりしてテレビに出演しなくなると、

「あのバンド、消えたね」

 と錯覚してしまう人も多い。

 で、話はBUMP OF CHICKEN、主に藤原基央である。
 先に僕の私見を書いてしまおう。

「若い頃ならともかく、もういい歳だし、こだわりかなんか知らんが、テレビ露出ガンガン増やして、日本国民に藤原基央の存在を知らしめようぜ」

 身も蓋もない物言いだが、これが僕の野望であり希望だ。
 あんなにも稀有で才気迸るアーティストを、一部のロックリスナーだけが(数は多いが)支持している、という現状に、昔は何とも思わなかったが、自分も年を重ねていくと、ただただ「もったいない」という短絡的だが切実な思いが込み上げるのだ。

おわりに

 プロフィール記事より先にいきなり4000字越えの自己満記事をアップしてしまったが、プロフ記事にも着手しているし、お許しいただきたい。
 
 音楽論マガジンは今後も続けたいと思っているので、ちょっとでも貴方の何かが動いたら気軽にスキやら何やらお願い申し上げます。また、ツイッターが今の僕のメインフィールドなので、こちらもフォロー大歓迎です。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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