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君は甲斐庄楠音を知ってるか?

※この記事は3分で読めます

こんにちは
好きな画家っていますか?
僕は趣味で写真を撮っていますが、プロの写真集はあまり見ません。
しかし参考の為に画家の画集はよく見ます。
今日は僕が写真の参考にしている画家とオススメの画集を紹介します。
第一弾は【甲斐庄楠音】

甲斐庄楠音の画集
表紙からインパクトが凄い

甲斐庄楠音

甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)
1894年〈明治27年〉生まれ
大正ロマンを代表する画家で耽美で退廃的な彼の世界観は一度観たら激しく脳裏に焼き付く強烈なインパクトを持っています。
昭和に入ってからは映画業界での仕事が多く衣装担当した【雨月物語】ではアカデミー衣裳デザイン賞も受賞しています。
生涯独身で若い頃に婚約者に裏切られたショックからか、男色趣味であったと言われています。
(趣味は女装)
1978年〈昭和53年〉死去

二十代の頃
アンニュイな雰囲気をお持ちですね

作品集

綺麗だけど怖い
そんな人の心を惹きつけて目が離せなくなる代表的な作品を紹介します。

横櫛
綺麗だけど怖い
しかしそれだけじゃない猛烈な
違和感に心奪われます
幻覚(踊る女)
虚ろで狂気をはらんだ目は
一度観たら忘れられません
春宵(花びら)
人間のドロドロした部分をここまで
描いてしまっていいんですかね

上手く行かなかった人間関係

彼の独特の画風は大正ロマンの代表として評価される一方、日本画壇の重鎮達からは度々批判もされました。
その急先鋒が土田麦僊(つちだ ばくせん) 。
麦僊の描く正統派美人画に比べ、人間の内面に潜む醜さを含めて表現される甲斐庄の退廃的な美人画は当然批判されます。
国画創作協会第5回展に絵を出展しようとした、甲斐庄に対し麦僊は断固出展を拒否。
絵の出展を求める甲斐庄に対し麦僊が最終的に放った有名な言葉が「穢(きたな)い絵は会場を穢くしますから」という、最大限の侮辱。
この言葉のショックからか、甲斐庄の画風は目に見えて勢いを失い作品の評価も人気も下がっていきます。
結局は日本画壇の人間関係を嫌い映画界へ活躍の場を移すキッカケとなります。

晩年の作品
初期の頃の勢いは完全に失われていますね

その後と再評価の流れ

唯一無二の画風を持ち高い評価を受けた甲斐荘は、日本画壇を嫌い映画界へ行ってしまいますが、1949年(昭和24年)にはまた絵を描き始め1978年(昭和53年)、持病の喘息の発作により死去。享年83歳でした。
最近では小説家岩井志麻子の本の表紙などにも使われ作品が再評価されていますね。京都出身という事もあり京都国立近代美術館が多くの作品を所蔵しており、定期的に企画展をやっていますのでぜひ一度生で観てください。
モニターで見る以上の妖艶さと不気味さを兼ね備えた絵に必ず心を奪われる事でしょう。

2023年3月現在
京都国立近代美術館で
甲斐荘回顧録がやっています

最後に

いかがだったでしょうか?
人間ってこんなに気持ち悪いけど綺麗なんだと思わせてくれる唯一無二の画家ですよね。
僕もいつか甲斐荘の作品のような写真が撮りたいです。
気が向いたら他の画家も紹介していきたい思います。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
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