「はぐれ者たちの詩」
たまに平日が休みの日になると、私はよく散歩に出かけることが多い。
朝の遅い時間に家から出ると、静まり返った住宅街や道路が、どこか物憂げに見えるものだ。すでに会社員は仕事へ向かい、子供たちは学校へ行き、それぞれの義務を果たしている。道で見かけるのは、立ち話をしているお年寄りや私と同じように、時間を持て余している若者だけだった。
しばらく歩き続けていると、一人の少年にあった。
見た目はまだ、中学生くらいといったところだった。大きめの青いジャージを着て、両耳にヘッドホンをしていた。その二つの瞳は、すさんでいたものの、鈍い輝きを放っていた。
不思議なことに、彼とすれ違ったとき、私の記憶の内側で、緑の風が吹きあがり、コンクリートの崖にまつわる蔦の葉が揺れるのを感じた。
今から十年前、私も不登校の中学生だった。
まだ覚めやらぬ、寝ぼけ眼を手の甲でさすりながら、私は家から逃れるように、見慣れぬ道をただひたすらに歩き続けていた。すでに時刻は10時を過ぎていた。本当なら今頃は、教室の席について他の生徒たちと、授業を受けているべきところなのだが、そうする必要は私にはなかった。なぜなら、私は学校に「行きたくなかった」からだ。理由はいろいろあるが、あとで話すことにする。さっきも、学校のことで、両親からとやかく言われた。
概して、大人が子供に忠告するとき、子供の気持ちを考慮していることはまずありえない。とにかく、将来のため、大人になったあとのことを彼らは心配しているのだから。学校の先生でさえ、問題を抱える思春期の子供の気持ちを完全に理解してくれる人間はめったにいない。
「親が大事というからさ。」
太宰治のこの言葉が示すように、親は子供たちに尽くす自分たちのことを、なにより誇りに思っている。しかし、父親に関しては、次のように言うことができる。これは、
萩原朔太郎からの引用だ。
「父親は常に悲壮である。」
しかし、これらのことを、子供たちは決して真に受けてはならない。
なぜなら、自分たちが大人になって、子供を持つようになったとき、かつて親に言われたこととと似たようなことを、子供に対してさとすことになるからだ。前書きが長くなりだしたので、ここでやめにして、物語を始めることにする。
「仲間たちとの出会い」
私がまだ、通ったことのない道や、見知らぬ土地を歩いていると、ある一画に密集した住宅街を見つけた。そこからさらに奥へ入っていくと、広い公園があるのを発見した。近づいてみると、いくつかの話し声が聞こえてきたので、その場で立ち止まった。耳をそばだてて聴いたところでは、子供の話し声みたいだった。
「タクヤったらさー、それはないよねー。」
「えー、なんで。」
「ていうかさ、昨日面白いことがあってさ。」
「なになに。」
「わたしとリキトで、バイクに乗って学校の近くを走ってたんだけど、前におまわりがいたの。あ、やっべー!って、捕まるかなと思ってたら、なぜか後ろで走ってたバイクが呼び止められてさ、なんで?ってなったの。」
「あー、おれもそういうの一回あった。」
「あれ、そういえば今日、ヒロトは来ないの?」
「どうかな、おれは何も聞いてないけど。あいつがいないとなんか寂しいよな。てか、これからなにする?せっかく4人集まったことだし。」
「そうだねー。アカネはなにがしたい?」
「わたしカラオケがいいなー。」
「えー、またー?この前もいったじゃん。しかも、歌ってるのほとんどあんただし。」
「えへへ。じゃあナギサはなにがいいのー?」
「わたしはなんでもいいかなー。みんなが行きたいとこなら。」
「ミツハは何がいい?」
「ボーリング。」
「それ昨日も行った。」
「タクヤは?」
「あ、みんなで映画見るのはどう?」
「いいねー。」
「でも、お金ないよ。」
「じゃ、やめるか。」
「ていうかさー、わたしさっきから気になってたんだけど、、、。」
「どしたの、ナギサ?」
「向こうで誰かがわたしたちのこと見てるよ。」
「えっ、だれだよ。」
「なになに?不審者?」
「いや、違うよ。ねー!そこでずっと見てないで、こっちきたらどう?」
私はおそるおそる公園の中へ入っていった。
「なんだー、まだ子供じゃん。ま、うちもだけど。」
「君いくつ?」
「13。」
「うちらと一緒じゃん。もしかして、きみも学校サボってるの?」
「まあ、そんなとこかな。」
「ちょうどよかった、これからうちらで遊びにいくんだけど、君もくる?」
「ちょっと、ナギサ、やめなよ。まだ会ったばかりでしょ。」
「なんでよ。この子も仲間なんだから、一緒に連れて行こうよ。」
「まあ、この子が良いっていうなら別だけど。」
「あの、これは何の集まり?」
「まあ、一言でいうなら、「ダーラーズ」、はぐれ者の集まりよ。」
「ちょっと、なにそれナギサ、そんな変な名前つけた覚えないんだけど。」
「いまわたしが思いついたの。ロアルドダールの「あなたに似た人」みたいにね。」
「ふーん。わたしにはよくわからーん。」
「てことは、みんなそれぞれ、家庭に問題を抱えてるってこと?」
「当たり前よ。じゃなきゃ、ちゃんと毎日学校に行ってる。」
「そういや、名前なんての?」
「ミツヨシ。」
「おれはタクヤ、よろしくな。」
「じゃあさ、ミツヨシくん、お金持ってる?」
「え?」
「これから遊びに行くんだけど、うちらお金全然ないんだよね。出してくれる?」
「持っているけど。」
「やったあ。よし決めた。ゲーセンに行こう!」
「お、良いこと言うね!」
「うちもさんせーい。」
「まったく、これなんだから。」
「ちょっと待ってよ!これってカツアゲじゃん!」
「そうよ。悪い?」
「かわいそうよ。」
「あのねー、お金がなきゃなにも出来ないし、どこにもいけないよ。他の遊びはもう飽きちゃったし、ミツハだってそう思うでしょ?」
「それはそうだけど。」
「あの、この間お小遣いもらったばかりで、ここに一万円あるから、使って良いですよ。」
「ほら、良いって言ってるじゃん。」
「んー、じゃいいか。」
私はこのとき、なぜか逆らおうとは思わなかった。というより、自分の事も、なにもかもがどうでもよくなっていたのだ。なににこだわることもせずに、彼らの言葉に協調した。
しかし、そのあとは結局、お金だけ奪われたまま、私の人生にとって二度目の絶望を味わうことになったのは言うまでもない。
仲間ではないかと、わずかでも信じていた人たちの中に、私は入ることができなかった。
つまり、「はぐれ者たち」の「はぐれ者」になってしまったのだ。こうなると救いようがない。
私は改めて学校の存在意義と、義務教育の必要性を認めないわけにはいかなかった。
けれど、「戻る」という選択肢も好きではなかった。
公園のブランコに乗って、虚空を見つめながら考え事をしていると、上空から、キャロットケーキの妖精が現れて言った。
「私とともに来なさい。」
「どこへ行くのですか?」
「この世ではないところ。」
「行きましょう。」
こうして私は空の一部となって消えた。
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