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第四回「ダンサーが数人集まるとお金や人生の話になり、アーティストが数人集まるとステイトメントの話になる件。」


ダンサーが数人集まると、なぜかダンスの話ではなくダンスをする生活や人生やお金の話になる。
これは多分、偶然の出来事ではないと思う。

出てくる話は、
「助成金がおりづらくなった」
「公演をしたから借金がある」
「ダンスと生活(仕事)の折り合いのつけ方」
「出産後に踊る場所がない」
などなど、みんな何かに困っている感じだ。

別の言い方をすれば、みんなあんまり自分の関わっている作品の意義や目的、活動のポリシーみたいなものの話は、なんでか後回し。
というか、問題意識が経済面に集中しているというべきか。

一方、アーティストはどうなんだろうか。
と思い返してみると、彼らはいつも自分のクリエーションの話をしている。
自己紹介も兼ねて、自分がどういうことに興味があり、どういうことに問題意識を持って、それをどういう風に作品としてアウトプットしているのか。その一連の考え方を滔々と話し出す。

そこにはアート界に対しての問題意識や、社会全般に対しての問題意識など様々あるが、
自らの作品の例も使って話し出すことで、自分がなぜアートをやり、どういうスタンスを取っていうのかということを明快にしている。

ここで
「ダンサーもなんで踊っているのか明確に言うべきだ!」

と言うつもりはない。
ただ、なんで「ダンサーが3人集まると経済的な話になりやすいのか」と言うことはとても興味深いし何かしらのヒントがあるように思う。

おそらく下記のようなことがあるのだろう

・ダンサーは作品を構成要素であり、アーティスト本人にあたるのはコレオグラファー(振付師)
・ダンスは社会へのアンチテーゼとして生まれた表現方法でもない
・ダンスは個人競技で(あまり)できない
・ダンスは最終的な発表形態が似通っているので、それまでのクリエーションの過程はお互いに(あまり)興味がない
・ダンスは抽象表現の部分が多く、言語化して伝えると言うことを好まない(人が多い)
・ダンスの代表作や作風、傾向は、その場で複数見せることはできず、時間がかかる

しかし、
「(そんなに大変だと言うのに)なんで踊ってるんですか?」
と聞くのはあまりに、
なんと言うか、
直球すぎて、
暗黙の了解としてあんまり聞かないことが多いなぁと。
改めて自分の無意識の行動を認識することになったのでした。


みなさんの周りの人は、3人集まるとどんな話をはじめますか?

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