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人生で最も幸福だった10日間−30万円使った初めてのヴェネツィア旅③

例の友達と次回はハノイに行くことになりました。初ベトナムです。
彼はバックパッカーとしてヨーロッパ5カ国を旅した経験があるので、また私たちらしい旅に出ることができます。
そのためにはまず、パスポートをなんとかしなくては。

さて、前回からの続きです。


人生2回目の飛行機は関空発ドバイ経由ヴェネツィア行

日記をつけていた当時の私に拍手を送りたい

今回から当時つけていた日記を読み返しながら書き進めていきます。

この日記は飛行機の中やホテル、ヴェネツィアのカフェなどで書いていました。

これ裏だ

読み返していると「あったあった!」「なつかしー!」となってさらにキーワードから指が離れるのですが笑、やっぱりこういう記録って取っておくといいですね。
こうして読み返すことができるし、それによって何かを思い出したり、改めて考えることもできます。

さて、日記によりますと、夜中の12:00頃(日本時間ですね)に軽食を出してもらいました。
有名(?)な"fish or meat "を聞いた私は「あ、聞いたことあるやつだ!」と内心はしゃぎながらmeatを選んでいます。
海外旅行に行ったことのある友人から「機内で軽食は出ないよ」と聞いていたので、おなかが減らないように関空で既にオムライスを食べていた私ですが「割としっかりした軽食が出た」と書いています。思ったより量が多かったのでしょうね笑。

割とどこでも眠れる私はエコノミー席で「とりあえず一睡もできなかったということはまぬがれた」と書いています。音楽を聴いているうちに眠ったみたいです。
うん、たしかにそうだった記憶があります。

日本時間の7:00過ぎに朝食。
「オムレツ、フライドポテト、きのこ料理、パン2つにジャムとバター、オレンジ、りんご、メロン」だったと書いてます。フルーツ多めの朝食です。

朝食を食べてしばらくすると、乗り換え地点であるドバイに着きました。
ドバイ。当然初めて来たのですが、ドバイらしいことを何もせずに(それが何かわかりませんが)早速私お得意の「行き当たりばったり」を連発していきます。
どうぞツッコミを入れながらお読みくださいませ。

ドバイの空港で迷子、ブラジル人と出会う

空港に到着したあと、みんなに続いて飛行機から降りていけばよかったものを、ボーッと呆けていた私は割と最後の方まで残ってしまっていたのですね。
とりあえず空港に降りてみたはいいものの、ヴェネツィア行の搭乗口がどこなのかわからない。ちなみに今いる場所が空港のどこなのかもわかっていない。

ドバイへようこそ。うん、それはわかる

かろうじて英語は読めるけれど、本当にただそれだけ。今ならもっと事前に調べてから行くと思いますが(いや、どうだろうな…)、当時の私は本当に準備というものをしない人だったのですね。自分で書いていてちょっとひいてます。

空港の職員さんに「ヴェネツィア行きの搭乗口はどこ?」と質問したけれど、私の英語レベルが低すぎて伝わらないし、周りには誰もいないし、途方に暮れました。

というような調子でやらかしていきます。暮れている場合じゃないんだよな。

日記によりますと、どうしたらいいのかわからずにフラフラしていたら名前もわからない黒人(空港の職員さん?それすらもわからん)にエレベーターみたいなところまで案内してもらい、なんとか総合搭乗口みたいなところに行くことができたそうです。

そうです、というかガッツリ覚えていますこれ。めちゃくちゃ感謝しました。

まだヴェネツィアに着いてすらいないのに、早速親切な人に助けてもらいました…もう国とか関係ねぇなと思いましたね。自分も日本に帰ったら人に親切にするぞ!とも。

そこで突然、後ろから「すみません」と声をかけられ、日本語?!と振り向くと目鼻立ちのはっきりした顔の男性が立っていました。短髪黒髪、目がぱっちりと大きくて鼻が高い。

これが日本に働きに来ている32歳、ブラジル人のDさんとの出会いでした。

簡単な単語でなら日本語を話せるDさんの話を伺うと、彼はドバイ経由でブラジルに帰るつもりだったのだけれど、飛行機を降りたら途中で道がわからなくなったとのこと。
私と一緒じゃん!泣

道がわからなくなった者同士、30分以上空港を歩き回って
なんとかそれぞれの搭乗口を探し出すことができました。
ドバイ国際空港広いんすよ…ほんとに。

安堵したところで改めて空港を見てみることにし、ようやく観光客みたいなことを始めました。
2人で免税店に行ってみたのですが、ドバイの物価が高いのか、それとも商品そのものがそもそも高いのか。
どれも私には買えるような値段で売られていなかったので、本当に見てみるだけ。
何も買わずに空港の中をぶらぶらするだけ。

その間中、Dさんとずっと喋っていましたね。
Dさんは出稼ぎ的な目的で日本にひとりで来ていて、ブラジルにいる彼の妻は彼の両親と同居していて、みんな彼の帰りを待っていること。
ところが最近、勤めていた会社をリストラされてしまったこと。
今はアルバイトでお金を稼いではブラジルに住んでいる妻とご両親にお金を送っていること。
妻から「早く帰ってきて」と言われていたこともあり、アルバイトで稼いだお金もある程度まとまった額になったから一旦ブラジルに帰ることにしたこと。

初対面なのに、色々なことを話してくれたDさん。

私はもうこの時点で友達みたいな距離感で話していたのですが、それはたぶんお互いにタメ口で話していたことも関係しているんじゃないかなと思うんですよね。

Dさんと話していると、日本語の「敬語」が苦手そうに見えたんですよね。頻繁に聞き返されるし、困った顔をされるのです。

敬語。正直私もだいぶ怪しいくらいですし、Dさんにとってはなおのこと。想像に難くないです。

でも話したい。伝えたい。

その結果、途中から完全にタメ口になりました。というか、自然になっていました。

「おっしゃった」も「言った」ってことでしょ、要はさ。

くらいの感覚です。

使う言葉も極力シンプルにして、なるべく短いセンテンスにして、
抽象的な表現を避けて、具体的な表現を多用するようになりました。

この経験がヴェネツィア入りしたあとに実践することになる
「なんとかして英語で会話する」に活きてくるんだから面白い。

思い返してみると、この旅をきっかけにして私の言語感覚に新しいものが加わった気もしてきました。難しい言葉を使って伝わらないくらいなら、厳密さを横に置いてとりあえず大筋を伝えようよ、みたいな。話はそれからでしょ、みたいな。

思い返してみれば、ですけれどね笑。当時はただただ必死なだけです。

サッカーとビールと日本の女の子が好きなDさん。
「じゃ、私、行く」と言った彼は8時半にサンパウロに向けて飛びました。
日記には

「こっから本当にひとりだ」「気をひきしめて楽しもう」

と書いてあります。緊張してるなぁ。

日付変更線を超えて遂にヴェネツィア入り

半分しか開いていない目で窓を覗くと雲がすぐそこに見える。飛行機は雲の上を飛んでいて、私たちはヴェネツィアに向かっている。

私の隣には同い年か少し上くらいのブロンド髪の女性が座っていて、サービスの炉リンクを受け取った際、ささやくような小さな声で「thank you」と言っていた。

「サンキュー」でも「テンキュー」でもなく「thank you」です。
私のは「サンキュー」。

ヨーロッパに来たんだなと思いましたね。10時間以上かけて、日本から。

日記によると、日本とヴェネツィアの時差はサマータイム導入で-7時間。このときの日本時間が19:51だったので、現地時間が12:51。予定では14:10にヴェネツィアに着く予定だからおよそあと1時間で着くというところ。

この辺りでにわか知識しかない私が超絶簡単に説明しますと、ヴェネツィアにはざっくり言って「本島」「離島」「本土」があり、私が宿泊するのは本土に位置する「メストレ」という地区です。

ご存知の方も多いと思いますが、サンマルコ広場やリアルト橋といった、所謂メインの観光地はヴェネツィア本島に集中しています。

それで…まぁ端的に言って本島に泊まると宿泊費がものすごく高いのです。貧乏フリーターだった私にはとても払えない額でした(もっと探せばリーズナブルなホテルもあったのかもしれませんが)。興味ある方はぜひ有名なホテル「ダニエリ」とかで調べてみてください。

よって、私が組んだプランは

メストレ地区にあるホテルに宿泊し、朝のバスでヴェネツィア本島に渡り
→徒歩と水上バス(どこかで説明します)で移動して観光
→日没までにバスでメストレ地区まで戻ってホテルに帰る

というものでした。往復のバス代を含めてもこちらの方が断然安かったんですよね。バスについては乗り放題チケットが買えたので、ある程度時間がある人にはおすすめの方法だと思います。

…と書いていて気づきましたが、10年くらい前の情報を元におすすめしても信憑性が無いですね笑。
今はどうなっているのかな?

いよいよヴェネツィア入り、まずはメストレへ

ひたすら歩けばホテルは見つかるもの

空港からメストレ駅まではバスで移動するのでチケットを購入し(英語)、バスに乗車。
メストレ駅からは徒歩でホテルまで移動するのですが、看板に書かれている道案内がイタリア語か英語。

地上から行くのか、目の前にある暗い地下通路から行くのかがわからず、同じ場所を行ったり来たりすること30分。
意を決して地下通路を通ってみるとどうやら正解だったらしい(らしいって何さ)。

ホテルまでの道のりを、ずっとそんな調子で進んでいきます。気分は地図を持っていないRPGゲームです。

一応、メストレ地区の街並みも眺めたりしながら歩いてはいましたが、あんまりキョロキョロしていると怪しいのではないかとか、あるいは悪い人に目をつけられて危ない目に遭うのではないかとか考えていて、顔だけは澄ました顔で歩くよう心がけていました(出来ているかは別)。
だからあんまり覚えていないし写真も撮っていないです(もったいなさすぎ)。

方向音痴の私は東西南北すらわからず、上述のように迷いに迷って、なんとかホテルに到着。
道を訊こうにもイタリア語はもちろん英語もできないので、ただひたすらに歩き回って到着しました。
※これまでにお伝えした通り、当時の私はろくにGoogleマップが使えない人だったのです

ホテルにチェックインする際、受付の女性に頑張って「Buon giorno!」と声をかける。笑顔で「Buon giorno!」と返してもらう。緊張で脈拍がおかしくなる。

今後のやり取りについて「Italy?English?」と訊かれたのでもちろん英語を選び、観光税の支払いを求められたけれどその言葉が英語であったためその場ではわからず(宿泊費はクレジットカード払いにしていたので、予想外だったのです…)、あたふたしながらなんとか支払ってチェックイン。

予約していた部屋はシングルルームなので、荷物を置いたらとりあえずアメニティを確認。
ユニットバスなのですが、日本では見慣れない形の洗面台?みたいなものがあり、「あ、これが例の足を洗う用のやつか!」とはしゃいだりしつつ、とりあえず手洗いうがいして歯磨き。

この左下のものが足を洗うやつです、たぶん

部屋に置いてあるものの使い方をひとつひとつ手探りで確認し(どうやって水を出すのか、止めるのか、とか)、ようやく一通り終わったあたりでベッドにダイブ。もう、ほんとに、疲れた。

それで、とりあえずテレビをつけてテニスの試合を見ました。

何も考えず、ぼんやりと眺めるだけ。試合の内容も入ってこないし、本当にただただ眺めるだけ。

日本にいる間はテニスを観ないのですが、このときはなぜ?言葉がわからなくてもスポーツならなんとなくわかるからでしょうか。
しばらくそのままテレビを眺めていました。他のチャンネルはニュースとかバラエティだったのでね。。。

日記には「なんか外国に来たんやなー」と書いてあります。ねー、ほんとねに。外国にきたね。

ビールとバナナが夕食です

夕食はホテルから提供されていないので、スーパーマーケットかどこかで買ってこようと思ったのですが、どこにあるのかわかりません(何度目…)。
わからないなりに街をぶらついていると偶然日本語を話す集団を見つけたので(観光客っぽかったです)、なんとなく着いていってみるとスーパーマーケットに入っていくではありませんか!怖いくらいにラッキーでした。

さて夕食の買い出しです。
食欲はなくはなかったのですが、ひとり分の食事をどのように買えばいいのかわからなかったんですよね。ここについては日記に書いていないので朧げな記憶なのですが、見つけた食品が肉の塊とか、ものすごく大きなパンとかだった気がします。

肉の塊を買ったとして、冷蔵できるなら数日保ちますが、部屋に冷蔵庫はありません。パンもたぶん当日にひとりで食べ切るみたいな用途ではないような気がしました。でかいし。

誰にも訊いていないので正解はわかりませが、たぶん近くに住んでいる人が買って帰って、家にいる家族みんなで食べるのではないかと思います。
ひとりで食べるにしてもたぶん当日に食べ切るとかじゃない。と思います。たぶん。

当たり前なんですけれど、おにぎりとか無いんですよね。国内旅行でメインの食品だったので、ヴェネツィアでもその感覚でいたのだと思います。もっとよく探せばあったのかな。

そういうわけで、その日の私は限界を超えていた頭でなんとか「常温保存できるもの」「当日に食べ切らなくてもいいもの」「せっかくだからちょっとビール飲みたい」みたいなことを考えて買い物をしました。
ホテルに戻り、シャワーを浴びたついでに服を洗濯し

ビールとバナナを夕食としました。

写真が残ってました

どんな食事だよと自分でも思うのですが笑、この日の私にはこれが精一杯だったのだと思います。シャワーも浴びて服も洗濯して「今日やるべきことはやった」みたいな感じでドッと疲れを感じたことを覚えています。

なんかわかんないけど泣く

ベッドに入り、ものすごく日本語が聞きたくなった私は、日本語が聞けるものをスマホで見ることにしました。どうやって見たのかは日記には書かれていないのですが、たぶんニコニコ動画じゃないかなと思います。

で、気がつくと泣いていました。泣いたみたいです。えーっと日記にはこのように書かれています。

それでなんかわかんないけど泣く。
孤独とは言葉の壁がつくってるんじゃないだろうか。

泣いたみたいです、じゃない。あの日の感覚は手触りとして今の私にも残っています。

話しかけても言葉が通じない、言われている言葉もわからない、どこに何があるかもわからない。
知っている人がいない、困ったときにどうしたらいいのかわからない。

入ってくる情報が多すぎて限界だったのでしょうね。きっと。
人と話すことが怖いと思いました。

今の私は孤独をこのようには捉えてはいませんが、当時の私の実感としてはこのような言葉だったのですね。

泣いたあとそのまま眠り、起きたら翌朝の6:00。
明日はヴェネツィア本島に渡ります!


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