私はよきファンでいられているのだろうか

長距離、ひいては陸上が好きだから、選手にとってよきファンでいたいと思う。

でも、本当に私は「よきファン」でいられているのだろうか。

とふと考える。私が陸上に沼るきっかけとなった駅伝、長距離とそのファン(私)についてつらつらと書いてみた。

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私は駅伝シーズンになると、ずっとネイビーとゴールドのネイルをして、ネイビーのアイライナーをほぼ毎日使ってしまうほど東洋大学の陸上競技部長距離部門が好きだが、以前にも書いたように「強い東洋」だから好きというわけではない。

厳しい状況の中でも、東洋大らしい攻めの走りや、あきらめない姿勢が感じられたこと。言語化するのであれば、これに尽きるかな、と考えている。往路3連覇や12年連続総合3位以内は難しくなっても、「ここからだぞ!」とチームを鼓舞するかのような走りが何度も見られて、鉄紺の逆襲への期待を抱かせてもらって。「東洋大らしい攻めの走りや、あきらめない姿勢」は今まで何度も目に、耳にしたことのあるフレーズだけど、今回初めて理解できたように思う。簡単にはあきらめないというか、しぶといというか、東洋大学のこういうところが私はすごく好きらしい。(「心を掴むもの」2020/01/07)

好きなところを言葉にするなら、だいたいこういうことだ。でも、もし言葉にすることを諦めていいのであれば、もうこれしかない。

なぜ好きなのかなんて分からないけど、でもどうしても東洋大学が好きなんだもん。しょうがないじゃん。

「つくる、つながる、とどける」を掲げるnoteで文章を書いているにもかかわらず、そのすべてを潔く投げ出してしまっているが、それは仕方のないことなのだ。

だって、好きだから。

東洋大学の何か分からない何かにすっかり心を掴まれている私は、ありとあらゆる場所で東洋大学を応援させてもらっている。

関東インカレに行けば、隣の席の中央大学のマネージャーに負けじと声を張り上げて東洋大学を応援し(張り合うつもりはなかったけど、結果的にそのくらいの大声に…)、反対側の隣の席の品のいいおばさまに「この子は関係者なの?何なの…??」という顔をさせ、記録会に行けば、1周ごとに選手の名前を呼び、「清野くん〜〜〜!!!?!」「吉川くん、ラストファイト〜〜〜!!!!!」という絶叫入りの動画をTwitterに上げたりしている。

箱根駅伝復路の沿道では、もはや何をしているのか自分でも分からないが「東洋東洋東洋東洋東洋…」と念じて祈っていた。10区の帝国ホテル前で待っていたときには、及川くんが走っているのはまだ50mくらい先なのに、叫んで呼び寄せようとでもしているのか???くらいの勢いで声を掛けていた。

現地観戦だけでなく、テレビ観戦するときも似たようなものである。駅伝やマラソンがあれば、1日100ツイートは悠に超えるほど実況ツイートをするし、試合のあとは、とにかく記事ツイート(?)を読んではいいねをして回る。

どうして母校でもない大学をここまで応援するのか。それに対する答えは、やっぱりこれしかない。

だって、好きだから。

「好き」というのは、何をしても許されてしまう気がしてくる魔法の言葉のようだ。でも、「好き」だったら、どんな応援をしてもいいのだろうか。…本当に?


東洋大学が好きだから「よきファン」でいたいと思い、他の大学を含むすべての選手に敬意を払った上で応援させてもらっているけれど、それでも私は本当に「よきファン」なのだろうかと不安になる。好きだからこそしてしまっていることが、競技の妨げや不快感に繋がっていたりしないだろうか、と思うのだ。

例えば、記録会に行ったとき、アップ中やダウン中には声を掛けたり、その姿を写真に収めたりはしないが(そもそも写真は写真を撮るセンスがないので撮らない撮れない)、それでもレース中は動画を撮ったりするし、それをツイートしたりしている(あとで自分で見返したいから)。でも実はこれはよくないことなんじゃないだろうか、とか。

それに、Twitterで非難は一切しないけど、「格好いい…」と1日に何回言うねんくらいの頻度でツイートしちゃうのはどうなんだろう…とか。選手を芸能界のアイドルのように認知してそう言っているのではなく、あくまで陸上選手として「格好いい…」と言っているだけなのだが、ちょっと度が過ぎていたりしないだろうか…と時折頭をよぎる。

気にしすぎなのかもしれない。この前、友人も私のことを女神ファンのひとりだと言ってくれたし(調子に乗りました。すみません…)。

ここまで「よきファン」と何度も書いたが、昨日から4時間以上考えてみたものの、すべての人に当てはまるような定義は分からなかった。でも、「よきファン」の定義が分からなくても、応援したい誰かがいる限り、私はこれからもときどき思い出したようにこの問いと向き合い続けることになるだろう。

私は「よきファン」でいられているのだろうか。

待ちきれないほどの楽しみや圧倒的な喜び、悔しさといった様々な感情を与えてくれる選手を応援するとき、私は私の考える「よきファン」でいたい、どうしてもそう思うのだ。

最後に、応援させてもらっている選手へ

いつも応援させてもらって、幸せをくれてありがとう。あなたたちのおかげで、私の人生は豊かに彩られています。これからも走るあなたたちを、走ることを追い求めるあなたたちを、どうか応援させてください。

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