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読書note:『決定版 三島由紀夫全集』第26巻 評論1〜その1〜

7月1日にnoteをはじめて、この記事がちょうど100記事目。記念すべき100記事目に、作家・三島由紀夫氏に登場してもらおう。

三島由紀夫は1945年(大正14年)1月14日生まれ。ということは、昭和元年に1歳、昭和20年に20歳となる。大正の生まれだが昭和とともに生きた人である。
亡くなったのは1975年(昭和45年)11月25日。

さて、この秋はなんとなく、三島由紀夫に触れてみようと考えた。

何を読もうかと書店に並ぶ新潮文庫のオレンジ色の背表紙を眺めては見たものの、どれも食指が動かない。これまで幾度か挫折している過去が眼前に蘇る。

ある日、地元の図書館で新潮社刊「決定版 三島由紀夫全集」がズラッと並んでいるのをみかけた。そして、何気なく手にした巻は、「評論」だった。
その時、これだ!彼の評論を読破しよう!と思いついた。

三島由紀夫は数多くの評論を書いている。
評論の多くは短編小説のように短めである。そして小説や戯曲よりも三島由紀夫の思想がダイレクトに現れている、と思う。

反面、思想が直球なために理解が及ばない可能性が極めて高い。いやもう可能性が高いとか言う次元ではなく、必然的だろう。だが、それはそれで仕方ない。
我が脳味噌の悲鳴、絶叫、失神が今から楽しみだ。

この全集は全42巻。評論はそのうちの26巻から36巻の11巻分ある。結構な量だ。読み甲斐がある。

図書館で借りているので期日までに返却できるかが、心配だ。
とはいえ、他に借りる人もいなさそうだから、一旦返却してまた借りればいいだろう。
また、忌日までに終わらせたいが、これも無理かもしれない。

なにはともあれ、まずは26巻の評論1。これらは三島由紀夫の本名である「平岡公威」名義の作品が続く。

「桜」
「春の雨」
「端午の節句」
「初等科時代の思ひ出」
「三笠・長門見学」
「分倍河原の話を聞いて」
「支那に於ける我が軍隊」
「土耳古人の学校」
「菊花」
「秋深し」
「狸の信者」
「無題(「東の博士たち」説明・梗概)」
「下ノ番叙景」
「紫陽花」
「童話三昧」
「伊藤永之介氏著「鶯」を読みて」
「谷崎潤一郎氏著「吉野葛」読後感」
「田中冬二小論」
「オリムピア」
「ラディゲ」
「惟神之道」
「編輯後記(「輔仁会雑誌」一六七号)」

内容も評論というよりエッセイに近い。
「紫陽花」は三島の幼少期の話であるが、その文体は泉鏡花に似せているので面白い。

伊藤永之介「鶯」、谷崎潤一郎「吉野葛」あたりから評論的な傾向を帯びてくる。「吉野葛」はかつて読んだ。おぼろに思い起こしながら三島の評論を読んでいると、もう一度読み返してみたくなる。
上にある「輔仁会雑誌」というのは学習院の校内誌であり、学習院中等科の頃までの作品かと思われる。

このあと巻26には「芝居日記」と記された中編が掲載されているので、まずはここまで。小説や映画だと読みかえし見直しがわりと可能ですが、演劇はそうゆう点で難しく、ついていけるかどうか。
いやいやもうすでに周回遅れなんですけどね。


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