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JW24.5 長髄彦の議

【神武東征編】EP24.5 長髄彦の議


狭野尊(さの・のみこと)一行が敗北を喫した孔舎衛坂(くさえのさか)の戦いより、数日前か数か月前にさかのぼり、ここで、いったん、中(なか)つ国(くに)の方で何が起こっていたのかを紹介したいと思う。

中つ国を治めていたのは、饒速日命(にぎはやひ・のみこと)(以下、ニーギ)と『記紀』には記されているが・・・。

ニーギ「その通り。私が中つ国を治める饒速日だ。」

そこに、息子の可美真手命(うましまで・のみこと)(以下、ウマシ)が異論を唱えてきた。

ウマシ「おとん・・・。残念や。おとんは、もう死んではるんや。」

ニーギ「ど・・・どういうことだ?」

ウマシ「実は『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』では、おとんは死んでるんや。」

ニーギ「な・・・なんだと?」

ウマシ「天(あま)の磐舟(いわふね)で降臨したあと、おかんと結婚したんやけど、わてが産まれる前か、産まれた直後くらいに死んだことになってんねん。白庭台(しらにわだい)の山に眠ってんねん。」

饒速日の墓1
饒速日の墓2
饒速日の墓3
饒速日の墓4
饒速日の墓5

ニーギ「ね・・・眠っている?」

ウマシ「ちなみに、降臨した場所は、現在、磐船神社(いわふねじんじゃ)になってます。大阪府、交野市(かたのし)の私市(きさいち)にある神社だす。磐舟も祀ってはります。」

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磐船神社鳥居
磐船神社拝殿
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ニーギ「華麗にスルーさせてもらうか・・・。では、私は生きているようで、実は死んでいる・・・。どこかの聖書みたいな状況になっているということか?」

ウマシ「よう分からへんけど、『先代旧事本紀』の記述が事実やったら、わてが中つ国を治めてたことになるわな。」

ニーギ「ふっ。これでは道化だよ。」

ウマシ「どないしましょ? わてが治めてる体(てい)で、話、進めましょか?」

そこに、饒速日の妻、三炊屋媛(みかしきやひめ)が乱入してきた。

三炊屋(みかしきや)「だんなはん、何を気落ちしてはるんや。死んでても、生きてることにしたらええやないの。」

ニーギ「だが、死んでいるのに、出演してしまっては、話がややこしくならないか?」

三炊屋(みかしきや)「都合のええ時は出演して、都合が悪うなったら退場すれば、ええんだす。」

ニーギ「そ・・・そういうものか?」

ウマシ「おかんの言う通りやな。都合が悪うなったら、わてが主君になるっちゅうことで、行きましょか。」

ニーギ「すまんな、ウマシ・・・。まさか、死んでいたとは・・・。」

三炊屋(みかしきや)「それより、だんなはんの一番上の息子はんは、どこに行ってはるんです? 高千穂のサノとかいうやつが、中つ国を狙ってはる時に、何をしてはるんです?」

ニーギ「天香語山(あまのかごやま)のことか? あいつなら、また熊野(くまの)に行っているんじゃないか?」

三炊屋(みかしきや)「その名前は、降臨する前の名前でっしゃろ? 今の名前で呼んでおくれやす。」

ニーギ「あ・・・ああ、高倉下(たかくらじ)だったな。」

三炊屋(みかしきや)「どんだけ、木が好きなんでしょ。あの子は・・・。」

ニーギ「血がつながっていないとはいえ、母として、あいつを育ててくれたこと、心から感謝しているぞ。三炊屋・・・。」

三炊屋(みかしきや)「突然、何だす? 気色悪い・・・。」

ニーギ「い・・・いやっ、読者向けにだな・・・。」

そこへ、三炊屋媛の兄がやって来た。長髄彦(ながすねひこ)(以下、スネ)である。

スネ「あにさん、遅れてすんまへん。」

ニーギ「えっ? いや、呼んでないが・・・。」

スネ「あっ! そうでしたな。わてが勝手に来たんでしたわ。」

ニーギ「どうした? 何か急な報せでも届いたのか?」

スネ「高千穂のサノとかいう、天孫(てんそん)もどきのことだす。」

ニーギ「サノ殿が、どうした?」

スネ「ついに本性を現しましたわ。わてらのシマ、奪おうと、軍船引き連れて来たんだす。」

ニーギ「い・・・いやっ、それは、汝(いまし)が勝手に最後通牒を送ったからではないか。」

スネ「とにかく、わてらのシマを荒らすやつは、何人(なんぴと)たりとも許さへん。叩きのめしてやりますわ! あにさん、吉報を待っててください。」

こうして、長髄彦は勝手に軍勢を整え、鳥見(とみ)の白庭山(しらにわやま)に陣を敷いた。

現在の奈良県は生駒市(いこまし)の上町(かみまち)である。

今は、長髄彦本拠地と書かれた石碑が立っている。

長髄彦本拠地の碑

ニーギ「鳥見の白庭山とは・・・。私の眠っている・・・そして、本拠地ではないか?! 勝手に、ここに陣を敷いたということか?」

スネ「あにさんを守るためですわ。すんまへんけど、堪忍(かんにん)してください。」

こうして、孔舎衛坂(くさえのさか)でサノ一行を打ち破った長髄彦は、意気揚々と凱旋(がいせん)した。

このとき、長髄彦軍は勝鬨(かちどき)の声を上げた。

その場所が、勝鬨坂(かちどきざか)として伝わっている。

スネ「今の生駒市、白庭台(しらにわだい)にある坂や。白庭台幼稚園の側面の道やな。ならやま大通りとちゃうで、その道とティー字路で重なってる道や。」

一同「てぃーじろ?」×3

スネ「わてらも、そのネタやるんですか? あにさん?」

ニーギ「い・・・いやっ、一度やってみたかっただけだ。それで、サノ殿・・・もといサノを打ち破ったわけだな?」

スネ「へいっ。とことん追い詰めちゃろ思いましたが、天孫もどきっちゅうんは、弱腰の弱兵ですな。ピーピー泣き叫んで逃げ惑ってるん、見てたら、追い討ちかける気もなくなりましたわ。」

勝鬨坂
勝鬨坂2
勝鬨坂3
勝鬨坂4
勝鬨坂風景

長髄彦によって、山越えに失敗したサノ一行。

矢傷の重い彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)。

彼らは中つ国に辿り着くことができるのか?

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