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190年(初平元年) 曹操(36)は河内(かだい)に移動した。 袁紹本初は、玉印を上げて見せ、…
191年(初平2年) 黒山(こくざん)の賊、于毒(う・どく)、白繞(はくじょう)、眭固白兎(…
192年(初平3年)4月 司徒の王允らが董卓仲潁を殺害した。 192年(初平3年) 青州の黄巾賊百…
192年(初平3年) 棗祗(そうし)が曹操(38)の元に来て仕官する。 曹操は棗祗を東阿県令に…
193年(初平4年)7月 曹操(39)は、父親の曹嵩巨高の敵討ちと称して、陶謙恭祖(62)を征討し…
194年(興平元年) 濮陽(ぼくよう)にて呂布奉先(りょふ・ほうせん)と曹操(40)は百余日の…
195年(興平2年) 曹操(41)は再び定陶(ていとう)を攻撃した。 195年(興平2年) 曹操(41)は定陶(ていとう)を落とし、兵を分けて諸県を平定した。 呂布奉先(りょふ・ほうせん)は東にいる劉備(35)の元に走った。 張邈孟卓(ちょうばく・もうたく)は呂布に付き従ったが、弟の張超(ちょうちょう)に命じ家族と共に雍丘(ようきゅう)を保持させた。 また、東平(とうへい)出身の畢諶(ひつしん)も張邈と共に呂布に付き従った。 195年(興平2年)8月 曹操(41)は
196年(建安元年)7月 楊奉(ようほう)と韓暹(かんせん)は天子を擁して雒陽に帰った。 献…
196年(建安元年) 曹操(42)は羽林監(六百石)の棗祗(そうし)や韓浩元嗣(かんこう・げん…
197年(建安2年)9月 袁術公路(43)が陳に侵入したので、曹操(43)は征伐のため東方に赴いた…