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うちの子と仲良くしてあげてね。

数日前、私がエールを見ていたら
母が言ったんです。
「うちの子と仲良くしてあげてねって言い方は好きじゃないんよね」と。
「じゃあなんて言うん?」と聞くと
仲良くしてやってねって言う」と返事が。
「…………なるほどね!」
ほうほうほうと一人納得していた私でしたが
母は続けて言いました。
「でも殆ど“あげてね”の方がテレビとかでも使われてるから、そっちの方が正しいんかもしれん。それでもお母さんは“あげてね”とは言わんけど…」

ふむ…。
そこから二人で考察大会が始まりました。


「自分の子どもと遊んでって言うんだから“あげてね”だと自分の子どもに対して丁寧語?尊敬語にならん?」
「誰視点かによるよね」
「でも、遊ぶのは相手の方だからその人から見れば“あげる”でおかしくはないよね」
「相手は“あげる”でもこっちは“してもらう側”だからね。やっぱり“あげてね”って言うのはおかしくなくても好きじゃない」



私はこういう会話が大好物です。
色んな角度で見てみたり
それこそ頭も今までと違う使い方をするので
新たな発見があったりと視野が広がります。

結論はどちらが正しいかは分かりませんでしたが
うちの母は「遊んでやってね」と言う人だという事は分かりました。
きっとこれから先、私も母と同じように
「遊んであげてね」ではなく
「遊んでやってね」と言うようになるでしょう。

特に意識している訳ではないのですが
こんな風に誰かの影響を受けて言葉遣いを改める事って
私の場合、意外と多いような気がしていて
もちろん、一番影響を受けているのは母です。
あと次兄がちょっと変わっているので
その辺にも受けているかなと思います。

母はコテコテの大阪人。
なのに全然関西弁が出ません。
父もコテコテの薩摩隼人なのに
全然、鹿児島訛りがありません。
転勤族の影響もありますが
家族の中で一番訛っているのは私です…。
愛媛の伊予弁があり広島弁があり
東京の東京訛りが全てミックスされているので
どこの人?って感じです。
家族五人で話していたら
みんな西の訛りになります。
(関西弁に近いですが関西弁というと関西弁の方に失礼な気がするので西の訛りとしておきます)
でも、お嫁さんと話す時は東京の言葉になるんですよね。
みんな切り替えスイッチがあって
使い分けが上手です。

愛媛で仕事をしている時は
私は結構丁寧語で話していたので
伊予弁の訛りが出ず、これが親しくなる障害だったりもしました。
慣れてくるとだんだん崩して話せるようになり
少しずつ訛りはじめ
その方が仕事相手、仕事仲間との壁がなくなった気がします。

話がそれましたが、そんなちゃきちゃきの大阪っ子の母は
国語の成績は良かったと自分で言うだけあって
文章は上手だし、字も大人な感じのキレイで
口調は物凄くお上品な感じみたいです。
キレイな言葉を使うイメージを周りの方に持たれています。
実際、家族以外と電話や外出先で話しているのを聞くと
丁寧な日本語って感じはします。

その母の影響か、私もなるべくキレイな日本語を話すように心がけるようになっていました。
それは凄く自然な事だったので
学生時代、お下品な言葉やギャグなど全く言わない私は
カッコつけてるとやいのやいの友達に言われたりもしました。
でも、その頃の私はとても逞しくて
「なんでそんな事言わないかんの?」
と強気で返す事が出来たので
別にそんな風にいじられてもなーんにも思いませんでした。
変なノリに私が乗っからないのでしらけさせてしまう事もありましたが
そもそもそんな事で盛り上がったり楽しむのがどうかと思っていたので
可愛げはなかったかもしれません。
友達も私はそういう子だと認識していってくれました。

それは今もあんまり変わってないとは思います。
周りが大人になってバカバカしいふざけた事を言わなくなっただけ。
私にとっては過ごしやすくなりました。



間違った日本語は改める。
知らない言葉が出てきたら調べる。

そんな習慣も自然と身についており
そのせいでドラマの中のセリフ
一言一句に対してのこだわりが強く
聞こえないとすぐ巻き戻すので
一緒に見ている父には嫌がられます。

まぁ、でも、出会った時がチャンス
その場で調べたらものの何秒。
後でやろうと思うと絶対忘れる。

だから出会いって何も対人だけでなく
対モノ、対コトバでも大切だと信じているので
これからも時間のかかるドラマの見方をしながら
いつかは本当にキレイな日本語を話せるようになりたいなぁと思った一日でした。


あ、その前に話す相手を探さないと……笑



仮にサポートを頂けましたら大変貴重ですので大事に宝箱にしまいます。そして宝箱を見て自分頑張ってるねと褒めてあげます(〃ω〃) ♪