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推しの威力

11ヶ月間、私は地の底にいたのだと、見終わって気づいた。もうそこはライブ会場さながらで、至極のエンターテイナーたちを目の前に、しあわせしかない空間だった。

『ARASHI Anniversary Tour 5 × 20 FILM “Record of Memories”』全国公開初日、舞台挨拶のライブビューイングに足を運んだ。久しぶりにドキドキしながら席に座って、スクリーンに映る『嵐』という文字を、穴が開くほど見つめてた。

11ヶ月前の1月1日から、普通に生きてきた。未曾有の環境を超えて少しずつ日常をやりくりする術を覚えながら、出会いや別れもこなし、悲しみも喜びも味わいながら生きてきた。それは嘘じゃない。

だけどこの日、嵐の真骨頂をスクリーン越しに目の当たりにして「生きてるってこういうことだ」と気づいてしまった。私の中で、普通だと思っていたもの、満たされてると思い込んでいたもの、それが全て満たされていなかった事実に愕然とした。

登場シーンにはもう言葉が出なかった、胸がいっぱいだった。スクリーンで久々に目にする推しの表情が自然と綻べば私も笑顔になる。そんな存在が、私には確実にいるのだと、忘れていなかったけれど改めて認識した。

嵐は、やっぱり5人で嵐だった。それ以外の事実は、いらないとさえ思った。

舞台挨拶ライビュから1日、私はまた深夜の映画館にいた。気づけばDolbyを体感したくなって夜突然出かけた。初日と変わらず、そこには私の会いたかった人がいつもの笑顔でスクリーンの向こう側にいた。

8月に燃え尽きてから長らく引きずっていた傷も完全に癒してくれた。立ち上がれるよう、手をこまねいてくれている。映画最後のエンドロールに、作家名が流れていた。『無理してやらなくてもいいよ、けどやったら楽しいかもね』そう言われているような気さえした。どう頑張っても入らなかったスイッチを、いとも容易く押してくれた。

そして私はいま、雑然としている部屋を片付け、大事なものだけを身の回りに残すことにした。いろいろ頭に浮かぶけど、それは推しの前では塵みたいなものだと、初めて腑に落ちた。

推しの威力を目の当たりにした。11ヶ月をすべて埋めていく凄さ。生きる力をくれて、がらりと日常を変えてしまう。私にとっての推しな存在はそのぐらいのパワーを持っている。

恐るべし、推し。そしてこれからも全身全霊で推します。


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