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ラグジュアリー投資の意味するところ

日本は美しい、優しい、美味しい…と自画自賛したくなるのだけど、インバウンドがここまで盛り上がっているのは、その魅力以上に、やはり為替(円安)の影響が大きい。日本がこの千載一遇のチャンスをモノにする準備ができていたかというと、そうでもない。慌てて進めてるガイコクジン観光施策や、ヤスモノを場当たり的に値上げするような事業者だらけで、訪日客をガッカリさせてもいるのだろう。

ザンネンの典型が、京都あたりに国内資本が建てている(お値段だけ)高級ホテル。はっきり言ってヒドイの一言。「サラリーマンや一般人が考える高級」と、富裕層や文化水準の高い方達が求めるラグジュアリーは全く違う。まるでタワマンのショールームか、「キルビルで描かれてる日本?」みたいな虚飾。正直、日本の文化、素材、工芸、建築技術、そして景観や環境を丁寧に紐解いて作られた、外資資本のホテルの方がよほど日本らしさを体現・尊重している。

この数十年、日本で一番失われたのは、文化教育や審美教育、そして(ものづくり、ことづくりの意味での)技術教育なのだろう。コンテンツやテクノロジーばかりに傾倒し、コンテクストやテクニックへの理解が希薄になっている。

例えば、企業や自治体さんから引っ張りダコの某有名建築家。そのトレードマークである、外装に木材を貼り付けた"和っぽい"建築が、僅か10年、20年でボロボロとか。建築家、事業者、自治体のいずれも「建てっぱなし」にしておきながら「施工業者が悪い、塗料が悪い、木材が悪い」と言い出す始末。優れた素材や工法で建てられ、きちんと手入れされ続けている木造の寺社仏閣やお屋敷を見てごらんよ。その在り方と比して、皆さん大好きな"サステナビリティ"や"レジリエンス"を、改めて考え直す機会だ。

この国は少子化、高齢化、人口減少などが続き、底を打つまであと15年以上もある。円安基調ということは、輸入依存度の高い日本社会全体の高コスト体質は続く。 AIやロボティクスなどのヒト代替(省力化)テクノロジーも期待するほどの効果を得られず、既に幻滅期に突入している。そんな中、省力化やコスト削減ばかりを追い求めて、ラグジュアリーを描くチカラのない企業や事業者に未来があるわけがない。

とはいえ。
まだまだ「日本、終わった」というわけではない。

運が良いことに、しばらく日本のチャンスは続くと言って良い。(他国の金融・雇用政策による相対的な要因以外に)自力で円高に振れる要因があまりないから、ひとまず2045年くらいまでは円安基調のままだろう。つまり、暫くは日本のものごとを売りやすいし、わざわざ日本に来てくれてお金を落としてもらえる。にも関わらず、そのハイエンドな部分については外国資本の懐に入ってしまうのも、なかなかの気持ち悪さが残るではないか。

日本で投資すべきは、
言うまでもなくラグジュアリー。

繰り返しになるが、一般大衆やサラリーマンが描くような高級ブランド品とか、ただパッケージをオシャレにして値段を上げただけの商品を増やせ、という意味ではない。むしろ旧来型の欧州ハイブランドすら、これ見よがしに身につけていることが「恥ずかしい、古くさい(ダサい)こと」とされる時代になりつつある。気付け、日本のオッサン&オバハン達よ。

ラグジュアリーとは、なんだろう。

それを得る、体験する、贈り贈られる人にとってオンリーワンな、ユニークな意味がある(ようにデザインされている)ものごと。それが品質、技術、歴史、環境と、関わる人の思想や在り方に裏打ちされている(願わくば、その在り方が社会の分断や搾取を生まないものである)こと。
そして、そのものごとがやがて人の価値観や行動を変え、新しい文化を形成していくこと。それほどに多義的でありながら、可能な限りハイコンテクストであり、過剰な言葉や説明が排されている(ことで、深い関心や探究の対象となり得る)こと。

これこそがラグジュアリー。答えのある世界ではない。人の思想や感情の表現、意味の込め方・伝え方・捉え方によって生まれる「人間の世界」だ。そして今、世界は「新しいラグジュアリーの在り方」を模索し、日本にもその可能性を求めて探究の対象とされている。こんなチャンスはない。

日本で未だにAIだとかデジタルテクノロジーだとか言っている投資家や企業は、早く目を覚ました方が良い。そんなものは何兆円もかけてアメリカ人にでも開発してもらって、道具として使えば良いのではないか。すでにそういう状況になってるし、石油や小麦を輸入するようなもんだ。もう諦めろ。

日本はこのラグジュアリーを早く理解(自分たちなりにデザイン)し、国を挙げて投資して、世界一を目指せば良い、と思うのだ。

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