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【小説】生命の門 (Soul Food 2)

001 

そこは比較的白い空間で、これといって目立つものはただ一つ、ロダンの『地獄の門』にそっくりな門だけだった。僕の隣を歩く衛兵は、退屈そうに槍で地面をこつこつと叩く。その音が高く響いていた。

少し開いた門の扉に向かって、川が流れていた。白い空間の消失点から流れてくるようだった。そして薄桃色をした液体の上に、マンゴーのような色をした丸いものが浮いていた。それらはみな、門へと流れて行った。

僕と衛兵は門の脇に備え付けられた階段を登り、詰め所に座っている別の衛兵に挨拶をした。
「よう」。僕の案内係である衛兵が言った。
「ああ」と詰め所に座っていた衛兵が返した。イタリア語版のゲーテ『色彩論』をテーブルに置き、だるそうに眼を上げた。
「こいつは検問係だ」。案内係は、同じような顔をした詰め所の衛兵を指さして言った。
「それでこの人間は、詩人だそうだ。インスピレーションがなさすぎて、こんな場所まで降りてきたらしい」。案内係は僕を指さした。
「なんか危ないクスリでも使ったのかい?しらふ・・・でここまで降りてくるのは至難の業だろう」
検問係は机の上に足を載せた。
「ドラッグをやらなくても、現代は同じようなディープ・インスピレーションを補助する技術が発達しているんです。ただ、今回は特殊で。研究に被験者として協力したら、こんな場所まで来てしまいました」
ふだん僕は、大学院に通いながら詩人として生計を立てている。謝礼のために参加した先進心理学の脳波エコーを拾う実験でトランス状態に入り、この空間に飛ばされた。(案内係の言う通り、詩のインスピレーションを得るためという理由もあった)
「災難なことだね」
二人の鬼は、ふざけて同情するような顔をみせた。まあ、詳しい身の上話は、時間があれば後でする。

***

「それで、ここで何してるんですか?」
門は30メートルほどの高さがあった。
「俺はね、不良品の選別をしてんだよ」。検問係のほうが口を開いた。短い間だが二人は、どちらが口を開くべきか目線でやり取りをしていた。
「そこに流れているやつ、見えるだろ。ほらそのタラップの下に流れてきている、果物の実みたいなやつさ。たまに不良品が混じっているから、俺たちで処分するんだ。ふつうは丸いんだけど、たまに欠けていたり、色がおかしかったりするんだよ。そういう奴をこの網ですくう、それが俺の仕事。つっても1日に5,6個くらいしか流れてこないからね。3000個のうちの5個。暇な仕事さ」
ちょうど、引き上げられたばかりのものが、机の脇に置いてあった。ジップロックに入っている。
「直で触らないほうがいいぜ」
「これ、どうするんです?」
「定時が来たら、持って帰る。ここに置いておいたって何にもならねえからさ。そのふわふわしたのは薄い皮なんだ。それを剥くと、どろっとしたゲルが入っている。それでウォッカを割って飲む。けっこううまいぜ」
検問係は半笑いでつづけた。
「給料の他にこの手当てが出るのが、検問係のいいところだ。暇だけどな」

***

「門のさきへと流れていった実は、どこへ行くんですか」
僕と案内係は『地獄の門』を後にして、白い空間を別な方向へと歩いていた。門は小さな黒い点になって、はるか左後ろにぎりぎり見えている。
案内係は槍をどすんと地面に打ち付けた。
「お前ん家の近くの産婦人科か何かだろ。川の先で肉体とのマッチングがあるって聞いたぜ。まったく、人間が生まれるってのは、それだけで一苦労だよな」
「あれは人間の命なんですね」
「ああ。そんでね、あの検問係の野郎はそれを間引いている訳だ。『正常じゃねえ』命って言ってね」
「どういう命があそこで間引かれているんです?」
俺は担当じゃないからよく知らないけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、まあ、世界の摂理を乱すような人間になる可能性がある命だろうね。人類は全体として、おおむね同じ方向に進んでいる。それを逆行させたり、大きく乱したりするような人間、進歩に何の貢献もしない人間。そういうのをこっちで減らしておくわけだ」
案内係は槍を突くのをやめ、首の後ろに回して両腕で支えるようにした。
「それを人間は『優生思想』と呼んでいます。生まれてくる命と生まれてくるべきではない命を選別することは、人間として許せないわけです。すくなくとも僕はね、すべての命と存在は尊いという立場です」
僕はそう言った。ここでそういう論理が通じるのかは分からなかったけれど、自分の意見を言っておく必要があった。
案内係は目を見開いて、僕を見下ろした。
「待てよ、お前がそういう風に言うってことはだぞ。人間ですら、そういうことするのか?つまりはさ、肉体とか精神に障害がある可能性が見つかったら、そいつをあらかじめ排除するようなことが」
「そういうこと」
「どっちが地獄かわかりゃしないよ。まったく人間はああいう門を、いくつも作っちまうんだね。俺も昔は人間だったけどよ、そん時の気持ちになって考えても、それは変だぜ」
「僕もそう思うな」
僕らが歩く白い空間は、だんだんと下り坂に変化していった。しだいに左右の地面がせり上がっていき、やがてそれがはるか上空で繋がった。つまりは、ただ広い洞窟のなかを歩いているような形になった。
「峡谷に入ったんだ」
案内係は静かに言った。

***

002

そのうち、天井付近で、白い鳥たちが旋回しているのが見えた。それらは子どもが作った紙飛行機に瓜二つだった。左右の四角い翼を動かすたびに、紙がかすれるような音がしていた。
「鳥だ」
「あれは『目』さ。俺たちの動きを監視しているのさ。俺に関しては、きちんと来訪者と一緒にいるかってことを見ている。お前に関しては、この空間のイメージを崩さないかどうかを見ている。どういうことか分かるか?」
「分からない」
「この空間はね、お前さんの想像力に沿った形をしているんだ。お前はさっきから、『白い○○』とか言っているだろ。それはお前にとってのこの空間のイメージなんだ。それは俺たちとは関係がない。どう、分かるか?」
「それじゃ、もし別の人間がここに来たら、その人にはここが、ぜんぜん違う感じに見えるってこと?」
僕はよく理解できないまま、そう言った。白い地面は地面として、きちっと僕の靴を受け止めていたからだ。
「そう。俺たちはね、こういう姿をしているとは限らないんだ。俺たちは自分がどういう形をしているのか知らない。ただそれは、お前のような他人が俺を見ることによってはじめて、ひとつの形を持つのさ」
「なんだ、そういうことね。人間だって同じかもしれません。他人がいないと、自分がどういう人間か分からないし」
「まあ、それをちょいと複雑にしたのが、この空間ってことよ。で、あの『目』は、お前がそのイメージを崩さないかを監視している。俺たちのグロテスクな部分をお前がなるべく感じないように、感じそうになったらお前の存在を消すようにって。そういう監視の仕方をしているんだ」
「十分グロテスクですよ。僕が現実に戻ったら、『白いグロテスク』って名前で詩を書きます」
「現実に戻れるといいけどな」
僕らは歩みを止めず、鳥は旋回を止めない。

つづく

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