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【短編】マヨナカ・ランドリー

熱い夜だ。こんな日は、誰も格好つける余裕などない。どのクラブにいる女も男も、シャツの背中に卵型の汗ジミを作ることに精進している。

私も「PLAY!」のハートが胸に入ったポロシャツに汗を吸わせながら、乾燥機が終わるのを待っていた。環七沿いの古いコインランドリーには、イケアの青いバッグがあちこちに引っ掛かっている。都市生活者の汗と汚れが、この場所に集約しているのだ。
スマートフォンの画面右上、時刻は0:29を指している。時おり店の外を通り過ぎるバイクやいかした外車を見るたび、巻き起こる風を想像しては、涼しさを妄想する。
 
ランドリーはビルの一階にあり、コンビニエンスストアの跡地を改装してできたものだった。待合用の丸椅子は二か所にあり、ドラム式洗濯機の列を隔てた向こう側には、中年のおじさんが座っていた。ちらりとそちらを見ると、何か文庫本を読んでいる。きっと司馬遼太郎か何かだろう。私はおじさんが本を読んでいると、司馬遼太郎を読んでいるようにしか思えない。なぜか?それは不明だ。
 

さておき、私のスマホに流れてきたのは、新作の洋服のリールたちだった。短い動画で、ちょっと容姿が整っている都会の男女が、気の利いたブランドの新作を紹介してくれる。私は西武池袋に入っているブランドのショップスタッフをしているから、仕事柄、ついつい見てしまう。
流行にはデザインのみならず「カラーリング」という要素があるわけだが、今期の流行は「モスグリーン」という色だった。まあ、どんな言い方よりもわかりやすいのは、苔の色と説明することだろう。ビリー・アイリッシュの髪の毛が貧血になった時のような色をしたスカートを、モデルがもれなく勢揃いして着ている。MSGMもSacaiも苔色の製品を出してくるものだから、これはもう致し方ない。流行を決めている人は、さぞ人間観察が楽しくて仕方ないだろう。みんな自分の決めたナニカに影響されているのだから。
 
私はおもむろに立ち上がって、おじさんの服装を確かめてみた。ゴルフコースの芝生の色をした、ラコステのポロシャツ。それをリーバイスの細身の白いデニムにタック・インしている。そして足元はスぺリー・トップサイダーのボートシューズだろうか?まるで村上春樹の小説に出てくるようなアイテムを身に着けている。私は村上春樹の小説でいちばんおもしろいのは、ファッションの描写だと思う。まあ、これも仕事柄だろう。
それにしても彼は、流行のカラーリングを拾っているではないか。瘦せ型の細い体にフィットした、縦長のシルエットのポロシャツ。坂本龍一のような白髪がいい味を出している。観察が長丁場になると感づかれるため止めにしたものの、彼はやはり、比較的イケてるおじさんであるようだった。
 
だからといってここで恋愛が始まるわけではないので、それを期待していた人にはお引き取り願いたい。ただ、この次に起きたことによって、私はこのおじさんに注目せざるを得なくなった。
 
私の左後ろにある乾燥機が鳴り、彼が立ち上がってドアーを開けた。私も自分の乾燥機を眺めるために立ち上がり、席に戻るとき、ふと彼のほうを見た。その彼はなんと、同じ色と形をしたラコステのポロシャツを乾燥機から何度も取り出し、パタパタと自分の周りで叩いていた。そしてその全てが、あの、苔のような緑色をしていた。
 
私はその意外さに少し動揺し、席に座るといくつかの可能性を考えた。
その① あれは彼の仕事のユニフォームである。
その② あれは彼の家族の服である。彼らはペアルックを家族規模で行って
いて、みな、ワニのマークのポロシャツを着ている。
その③ 彼はトレンドを遵守している真面目な人間だ。たとえばラコステのポロシャツは、カラーリングの豊富さで有名だ。彼はシーズンごとに、トレンドカラーに合わせた、7着のポロシャツを買って着まわしている。
その④ 彼は服飾界の重鎮で、正真正銘のトレンドセッターである。世の中の流行のカラーリングは、じじつ、彼が購入したポロシャツに基づいて決定されている。
私は①から順に、それが事実であることを祈っていった。特に④は恐ろしいことだった。なぜ恐ろしいか?ファッション業界がそんな単純な構造で右に左に動かされていたとしたら、私は耐えられないからだ。だいいち、ラコステのポロシャツをコインランドリーで気軽に洗うような人間には、そんな服飾王者の座についていてほしくない。

*** 

考え込んでも、どうしようもない。私は思いきって、彼に声をかけた。
「ポロシャツが好きなんですねぇー」
深夜のランドリーで初対面の女にこう言われたら、かなり不気味なようにも思えた。言ってしまったことには仕方ない。
「あ、これ?そうそう。私ね、ポロシャツには眼がないの」
彼は思ったよりフランクな感じで、手に持っていたポロシャツをパタパタとはたき続けた。
「いきなり話しかけてすいません。そんなに同じ種類の服を持っている人、なかなか見ないから。気になっちゃって。それって一週間分ですか?」
「そうそう。服をルーチン化するのは本当にいいんだ。スティーブ・ジョブズじゃないけれどね。どこに行っても、白髪にポロシャツのおじさんということで通る」
彼は見た目にかなり気を使っている人間がそうするように、私と彼の間の空間を見るようにして言った。
「なるほどですね。私もその気持ち、わかる気はします」
「ひょっとしてあなたも、毎日その恰好をしているクチかい?」
「いや…。おじさんの言いたいことはわかるってだけで、実際の私の生活はその対極です。同じ服はなるべく着ないです。トップスなら、少なくとも2週間は空けるかな」
「なるほどね。そりゃそうか、まだ若い子だもん」
彼は少し落胆した様子で、はたいたポロシャツたちを重ねていった。これで6枚目だから、丸太のように巨大な乾燥機はこれで空であるはずだ。
「そういえば、どうしてその色なんですか?芝生みたいな色」
「え?これはね、2024年の春・夏の流行カラーなんだよ。なんて言ったっけな、名前…」
「モスグリーン!でしょう」
「それそれ!よく知ってるね。私は毎シーズン、ラコステのお店の兄さんに流行を聞いて、その色の服を7つ買うの。あまり洋服には詳しくないけれど、まあ、世相を反映しているってことだ」
なんだ、そういうことだったのか。私は胸をなでおろした。ことファッションに関しては、彼は変わったコダワリがある『普通の』人間だった。

***
 
話すべきことがなくなったので、私は自分の荷物が置いてある椅子のほうへ戻ろうとした。
彼はそれを制するように、こう言った。
「実は私ね、タイムトラベラーなんだ」
一瞬、彼が言っていることの意味が分からなかった。我に返った私は、驚くというより、警戒を強めた。なんといっても深夜のランドリーだ。厄介なことが起きる可能性もゼロではない。
「タ・イ・ム・ト・ラ・ベ・ラー。聞いたこと、ある?」
私は椅子から立ち上がり、うなずいた。彼は変わらない調子で、6枚のポロシャツをはたき続けている。
「ならよかった。私ね、2024年のこのコインランドリーに戻ってきて洗濯をすることが好きなの。いつも洗濯物が溜まると―つまりは7日置きなんだけれどね―、この年のこの場所に戻ってくるのよ」
「あれ?でも、それなら、毎日違う色のポロシャツを着ているはずですよね。来年の流行カラーは違うでしょう」
「えっとね、私が戻ってくると、ちょくちょく流行の色が変わっているのよ。同じ2024年なんだけれど、少しずつ世界の様子は違っているの。だから、それが移り変わったときに、新しいポロシャツを7着買うの。ここしばらくはこの苔…なんだっけ…みたいな色」
「モスグリーン」
「そうそう。それのまま」
「へぇなるほど、2024年を基準にしているんですね」
「そう。それが落ち着くんだ」
私は目の前で起こっている会話を、妙に冷めた感じで見ていた。もし彼が私をからかっているとしたら、嘘がどこまで精工なのか確かめてみたくなった。私の乾燥機は、『残り27分』の表示が出ていた。

***

「あのさおじさん、私をからかってる?」
「いや。私はマジのタイムトラベラーだよ。訳ありで詳しいことは言えないけど」
「じゃあどうして私にそれを言ったの」
彼はポロシャツを使われていない洗濯機の上に置いて、考え込むしぐさをした。
「特に理由はないな。君が私のポロシャツに質問をしてきたから?」
「いや、それならタイムトラベラーって言わなくてもいいじゃない」
「あぁ、確かに」
「そんなドジでいいわけ?」
「ドジでも何とかなってるんだよね、これが」
彼はそう言って笑った。私も苦笑いした。
 
「ていうか、それってどんな仕事なの?」
「わかりやすく言うと、デジタル化されていない情報をアーカイブにするための仕事だね。たとえば『1970年2月18日の、日本の茨城県水戸市の市役所の2階にある男性トイレの奥から二番目の個室には、5個の予備トイレットペーパーが存在した』とか。そういう情報を残しておくんだ」
「なんで、そんなことするの?」
「私が属している時代の人たちは、そういうことが気になって仕方ないんだよ。なんかね、『あなただけが知っている情報』をたくさん持っている人が偉いんだ」
「へぇ。それは興味深い。じゃあさ、私だけが知っている情報、たとえば『私は今日、6枚のパンツをこの乾燥機に入れている』とかの情報は、すごい値打ちがあるってこと?」
「そいつはいいね。私はけっこうな額を稼げるよ、それで。さっきも言ったように、戻るたびに『2024年』は少しずつ違っているんだけど、情報はわかっている限りのものでいいんだ。君が偉人じゃない限りは、たいした問題じゃない。誤差の範囲だ」
私は未来にも、偉人として扱われることはない。少し残念だが、安心した。
「あれ、それなら偉人とかは、タイムトラベラーがその人生すべてを観察すれば、もう一度その人間を未来に復活できそうじゃない?」
「なかなか鋭いね、あんた。『時間を使った人体解剖』ね。それは総力を挙げてやっていることだよ。これまでにね、キリストとか仏陀とかは作り終えて、彼らは今、電子空間にいるのよ」
「なんか…それっていいことなのかしら?」
「さあね。あたしらに言わせれば、面白いからいいでしょって感じ」
彼は首を小さく傾げて、塗料があちこちで剝がれているランドリーの天井を眺めた。
「申し訳ないんだけど、ちょっといまいち、おじさんがタイムトラベラーだというイメージができないわ」
私は正直にそう言った。出来の悪いSF作家でも、彼が言ったことくらいならでっち上げられるだろう。
「そうだね。それでいいよ。時間の感覚を組み替えることができるようになった後じゃ、まともに人間でいることも難しい」
「大変そうね」
「まったくだ。あんたとの会話も、何を信じたらいいのかよくわからないのよ」
「ほかのタイムトラベラーが、窓の外から聞いているかもしれないもんね」
大きく『クリーニング』と書かれたガラス窓の向こうには、タンクトップ姿の老人がママチャリを流していた。ガラスの上のほうで、蛾が何度も体当たりをしている。私たちは黙ってそれを見ていた。
 
***
 
「ねえ、あんたは不安じゃないわけ?」
タイムトラベラーは、カバンを広げてポロシャツをそこに閉った。
「つまりね、すべての現実は、タイムトラベラーに覗かれうるってことなんだよ。これってどう思う?実は私ね、あんたの反応を見たいの。『普通』の人間が、こういうことを聞かされた時にどう思うかってことをね。いい値打ちの情報になるからね」
彼は急に軽薄そうな笑いを浮かべた。
「別に?」
私は立ち上がって、乾燥機のドアを開けた。この時の熱っぽい匂いが好きだ。
「あなたがどう言ったって、私には私なりの楽しみがあるもの。おじさんは遠い未来の話をしているけれど、私は来週にUnited Tokyoから発売されるサマーニットを楽しみに生きている。だからね、なんか、あまり何も感じない。きっとおじさんの時代から見たら、滑稽よね」
「もしかすると滑稽かもしれないね」
私はそう言って、自分の乾燥機から6枚のパンツを取り出した。それらはパーフェクトに乾いていた。時刻はすでに1時を回っている。明日は遅番だが、さすがにそろそろ眠りたい。
「タイムトラベラーって聞いたから、もっとドラえもんみたいに愛らしい存在だと思ったんだけれど」
「ある意味では、それに近いかもしれないね」
「まあさておき。今日の『くだらない現代人』からの意見を使って一儲けして、乾電池ステーキの重油仕込みソテーでも食べたらいいんじゃない?」
私はイケアの青いバッグにすべての洋服を閉まって、蒸し暑い月曜日の夜へと戻った。
「じゃ、またね」
彼がコインランドリーに現れることは、二度となかった。

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