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元気だった高齢の母親が突然の長期入院。そこで大人の階段をのぼった家族の話

みなさんこんにちは、ikekayoです。
こちらにライターとして書かせていただくのは少しお久しぶりですが、いつも編集をお手伝いさせていただいているフリーランスのライターです

今回は、2021年の夏から現在にかけて自分自身に起きた出来事を、備忘録の意味も込めて残しておきたく、書かせていただくことにしました。

母こける

忘れもしない2021年8月4日、その日はオリンピックの野球の準決勝で、日本vs韓国戦。わたしは食い入るようにテレビにかじりついていました。結果はご存知のとおり日本の快勝で、ひとりで勝利の美酒に酔っていた頃、父親から電話が。
ひとしきり日本がアツかった話をしたあと一呼吸おいてから父親がひとこと、「お母さんが大変なことになった」。

実家は岡山県北部の田舎なのですが、母親はその日の昼間に庭でこけて膝を重度の複雑骨折。近所の目を気にしてすぐに救急車を呼ばなかったそうなのですが、友人や父親の説得で救急車を呼び、こけて数時間後に即入院になりました。
2日後に手術をして、担当医からは3ヶ月入院の超重症であること、退院しても後遺症は残ること、杖が必要になるだろうこと、本人がどれだけリハビリを頑張れるか次第、というようなことを電話で聞かされました。

わたしはこれまで自分自身含め身内がここまでの重症で長期入院するという経験がなかったので、なにをどうしていいのかわからずかなりパニックになりました。しかもコロナ禍で緊急事態宣言下、面会は基本的にできず、県外の人間は敷地内にすら入れず(わたしは兵庫県在住)、父親が濃厚接触者になれば父親も病院に入れなくなるので、帰省することもできず。あんなにコロナを憎んだことはありません。

父74歳、はじめてのおつかい

実は母が入院したことで、最初に心配だったのは母よりも父のほうでした。
もちろん、母についてはこの先どうなるかを危惧すればきりがないのですが、そこはもう病院というプロ集団と本人のがんばりを信じるしかない。
かたや父は、これまでなにもかも母親にまかせてきた典型的な「昭和のお父さん」。末っ子で甘ったれで、掃除洗濯炊事はいわずもがな、ATMからお金を引き出す方法もわからないと言うのです。

父、母、わたしの3人だけの家族は、バラバラにそれぞれ1人でがんばらなくてはならなくなりました。毎日のように父、母と電話で話しながら、印鑑のありかとか、公共料金の支払いがどうなっているかとか、洗濯機の使い方とか、炊飯器でお米をどうやって炊くかとか、実家の近所に住む母親の友人も巻き込んで、何時間も話していました。

母は、病院の面会室を借り切り、車椅子でそこに連れて行ってもらって、電話で1時間ほどかけてお金の引き出し方を父親にレクチャーしたそう(苦笑)。

結果、父親は人生で(たぶん)はじめて、自分ひとりで現金の引き出しに成功しました!まあ、実際には親切な農協のお姉さんがATM操作を手伝ってくださったそうですが……。

そして、炊事洗濯などの日常のことも、なんやかんやでいざやらねばならない状況になったらそれなりにやっているようです。「今日はナスの一夜漬けを作って、冷凍ごはんをチンして食べた」「今日は掃除機をかけた」とか言うております。
やったらできるんですね。成長です。
結果的に、コロナ禍でわたしが帰省できなかったことは、父の自立という点においては功を奏したと言えるかもしれません。

「いままでどれだけお母さんがいてくれてありがたかったか、よくわかるね」と、父親と言い合ったものです。

そして、地元のご近所さんや親戚がどれだけ励ましてくれたか。
父に対しておかずのおすそ分けをしてくれたり、ねぎらいの声をかけてくれたり、母へも電話して励ましをくれたりと、感謝してもしきれないほど。
父は、人の優しさがほんとうに身にしみたと口にします。同時に、それはいかに母が周囲から愛されている存在なのかを思い知ることにもなったのです。

日本に住んでてよかった

とはいえ心配だったのはやはりお金のことでした。入院費用はもちろんですが、介護認定を受けるレベルの母の後遺症によって、古い日本家屋の実家はいろんな場所をリフォームせねばならなくなったので、そのための費用も上乗せです。ウン100万、もしかしたら1000万超え…?!と、戦々恐々としていたのです。もちろん父もです。

そんななか、病院のスタッフさんと電話でいろんなやりとりをする中で知った「後期高齢者医療制度」。母は77歳なので、この制度の適用対象者です。
この制度のおかげで、入院費+食事代+おむつ代(歩けないから)で、1ヶ月でトータル10万ちょっと。

マジで……?!そんな額でいけんの…!??

この金額の見通しが立ったときはほんとうにほっとしました。父親も同様に、いっきに電話の声のテンションが上がっていました(笑)。
また、75歳未満でも高額医療の限度額適用認定を申請すれば、一定額以上は払わなくてもよくなるという制度があるなんて、母がこんなことにならなければ知らなかったことでした。

リフォームもしかりです。
介護保険のおかげで、ある程度の額は補助してもらえるし、自治体独自の制度も活用すれば「えっマジで」という額を補助してもらえることがわかりました。

また、社会福祉協議会にコンタクトをとるようなことも、今回の出来事がなければしなかったことでしょう。

こんなふうに、日本はすばらしい社会インフラがきちんと整備されている。なんやかんや問題がないわけではないけれど、きちんとコンタクトすれば、どうすればいいかをみんなが親切に教えてくれる。怪我して手術しても、人生が終わるわけじゃない。

なんて素晴らしいんでしょう。このときほど、日本っていい国、と思ったことはありません。
とはいえ、まあそのぶん日頃から払っているのですけどね。文句言わず、しっかりお支払いさせていただいております。

そして、リフォームの内容についても、信頼できる工務店さんがしっかりサポートくださり、進めています。コロナの影響で資材の調達が遅れたりなんやかんやで、2021年11月7日現在、まだ完成はしていないのですけど、以前このくらしのふふふで編集のお手伝いをさせていただいた記事、建築士さんによる介護リフォームの考え方については、今すごく参考になっています。

プロの設計士に聞く!介護リフォームほんとのところ?!森川圭悟さん(一級建築士):前編

「手すりは横じゃなくて縦にしてね」と言うておきました。

得たものはたくさんある

母がこんな怪我をしたことはもちろん辛いことです。本人がもっとも辛いし不安でしょう。
しかし、不謹慎かもしれませんが、母が怪我をしてくれたことで、わたしにも父にも、そして母にも、ポジティブな作用というものは起きたのです。

①対話するきっかけになった

自宅のリフォームは、数年前からちょこちょこ行っていたのですが、今回せざるを得なくなったトイレとお風呂は、両親がずっとさわらずに来た箇所でした。
理由としては、おおがかりになるし、水回りをいじることを風水?的な観点から慎重になっていた母親の意向です。
しかしもうひとつ、もう娘はこの田舎には帰ってこないだろうという思い込みがあったがゆえのようでした。わたしは独身子なしひとりっ子ですから、わたしが実家へ帰らないなら、自分たちの代でこの家は終わり、ならばそんなに大掛かりなことはしなくてもよかろう、と思っていたと言うのです。
わたしは、両親に「もう実家には戻らない」なんて言った覚えはないのですが、かといってきちんと会話をしたこともありませんでした。盆暮正月には必ず帰省しているのに、そんなこと思ってたの?!とこちらも驚き。
自由にどこでも仕事ができるフリーランスになれたからこそ、田舎の持ち家は多拠点生活にもってこいです。両親があの世へ旅立ったとしても、生まれ育った自分の持ち家があるということが、どれだけ自分を安心させてくれるか。いっさい帰らないなんていうつもりはないよ、地元での仕事もしたいと思ってるよ、という会話を、はじめて具体的にきちんと両親とすることができたのは、母が怪我をしたからなのでした。

それで俄然張り切りだした父、「庭にお前の事務所を作らんといけんじゃろ」と、急に話が大きくなったので「そこまでは今しなくていい」と止める事態になりました(笑)。

②杖をついて歩く人や段差に意識が向くようになった

いままで、なんとも思っていなかったバリアフリーや階段やエレベーターや、杖をついて歩く人に目が向くようになりました。
それは、バリアフリーじゃなきゃいけないとかそういう意識ではなく、「あ、ここお母さん歩けるかなぁ」とか「ここにお母さんつれてきたら別の経路あるかなぁ」とか、そういう意識が生まれました。

家の中も外も、基本的には段差だらけ。それがいいとか悪いとかではなくって、もしかしたらもうここはお母さんとは来れないかもしれないのかなぁ、というちょっと切ない気持ちと(もちろん、母はまだリハビリ中なので先のことはわからないんですけど)、でも、それはそれで、杖とか歩行器とかエレベーターとか、いろんな方法があるよな、という、健常者としてだけじゃない視点が、少しだけわたしのなかに備わったのです。

そして、サクサク歩けないことは、別に致命傷なわけではない。
街を見渡せば、杖をついたりカートによりかかったり歩みがゆっくりだったり膝が曲がりにくかったりする人がそこらじゅうにいます。
家族3人ともおかげさまで基本的に元気でしたから、いままで目に入っていなかっただけ。母に後遺症が残るであろう事態になったことで、わたしは新たな視野を得たのです。

③人は弱ることがわかった

当たり前ですが、人は老いて弱っていくということを知りました。
そして、それに過剰に抗うことって違うよな、とも思うようになりました。
母は77ですから、若い人に比べたら治りも遅いし、体力もないし、リハビリも時間がかかる。もとどおり歩けるようになるかどうかはわからない。それを、最初は嘆いたりしたんですけど、でも、怪我したり老いたりすることそのものが「生きる」っていうことだなと思ったんです。
そして、もとどおり歩けるようになることばかりを目指すのではなく、そのときそのときの母自身の状態で、快適に生活できるような環境に変えていくことこそが、大事なんじゃないのかなって思うようになりました。

車椅子や杖や歩行器を使うなんて…と、抵抗があったんですが、でもだからって生活できないわけじゃない。杖をついてても歩行器を使っていても、使えるツールはどんどん使って、母本人がやりたいことができていればいいじゃないか、と思うようになりました。

もちろん不便はあるでしょうし、本人の心の中まではわかりません。
でも「杖をつくなんて嫌だ」というのは、本人以外の他人が思うのはある意味「エゴ」ですよね。
杖をついてもしわくちゃになっても弱っても、その時その時の母をそのまま受け入れること、これこそが家族の役目なのかなって思っているのです。

④幸せに対する考え方がちょっと変わった

今回のことがあるまでは、わたしにとっての幸せの定義って「心配事がないこと」だったんです。
でも、今年の8月4日を境に、わたしの日常には常に「心配事」が居座るようになりました。
母や父やお金のことや、将来のこと、いままで以上にリアルに大きな心配事として、のしかかってくるようになりました。
でも、じゃあ、だからって、それにひっぱられて不幸せになるのって、なんか違う、と思ったのです。母のせいで不幸になっているようなものですから。それって嫌だなって。

入院直後、どうすれば母が元気になるかをパニクった頭で考えました。自分が母の立場だったらどう思うかと考えました。
そこで導き出された答えは「わたしが元気で楽しく生きていること」でした。

わたしは独身子なしだし、両親もこれまで命に関わるような怪我も病気もしませんでしたから、きっと人よりもお気楽な人生だったのだと思います。
それが、今回のことで少しだけ人生の機微を知ったとでもいいましょうか。

今回自分におきた不幸なんてほんとうに、そこらじゅうにあるありふれたものだと感じています。母は死にはしませんでしたが、それでもいつか弱って死んでいく。人間の死亡率は100%ですから、大切な人の死も、自分の死も、この世の全員が等しく受け止めなければならないタフな事象です。
でもだからって、わたしたちは不幸なのでしょうか?
死に直面するときはけっして幸福とはいえないでしょう。でも、それすなわち不幸ということでもない。

大切な人がいるのなら、自分自身が元気に楽しく生きること、これ以上の恩返しってないんじゃないか。

わたしたち一家は、これでひとつ「大人の階段上る」ような感覚でいます。
母も父もわたしも、それぞれ離れた場所で、それぞれの役割をがんばってこなしています。
コロナ禍のせいでほぼまる2年帰省できていないのですが、この年末年始こそは、家族揃っていろんな意味のご褒美のような時間を過ごせたらいいなと思っているのです。

Text by ikekayo(フリーライター/編集者)

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