光を選んで
世の中は目をそむけたくなることばかり。疲れて、もう見たくない。そう思って人との交流を減らし、精神的に引きこもっていませんか?
そう感じるのはあなただけではありません。実は日本神話にも、神の「引きこもり」が描かれています。
私が悩んでノートに向かっていたとき、ふと浮かんだメッセージをご紹介します。事実かどうかはさておき、神話を読むような気持ちでお読みくださいね。
☆ ☆ ☆
今、あなたがたが直面していること(※人の心が荒んでいることによって起こる出来事)は、神の御みよ代にもあったのです。むしろ光と闇はとても近く、表裏は一体であったので、善なる行いと凄惨な行いは、拮抗し、ともにありました。
しかし、どのような神々にも存在する意味があり、他の存在への貢献があったのです。そのことを忘れてはなりません。
私たちの世界は、ずっと、荒ぶる神や現あらひとがみ人神の激しさを鎮めてきました。
決して激しさが悪いのではありません。ちょうどよい風ならばみなが喜びますが、すべてを吹き飛ばす風は、おそろしい被害を呼ぶのです。
激しいエネルギー、爆発的なエネルギーを秘めていながら、誰にも及ばない、どうにもしようのない形で表現するのではなく、みなが喜ぶ形に変えて、表現し造形していく。それが知性なのです。
あなたがたの中にも力があります。地球がマグマを吹き出し、島をつくり出すようなパワーです。すべてを覆い尽くす死と再生の力もあります。
でもそれは、突如現わされれば、そこに住まう生き物にとっては、青天の霹へきれき靂。
古代の人は地球の変動がわかっていました。それを予知し、共生していたのです。
地球の出す無言なる言葉に、耳を傾けなくなったとき、人は地球との会話を放棄し、地球を理解不能な父、あるいは無力な母、あるいは意志なき星とみなしたのです。
いいですか。地球は決して無言などではありません。
風も波も地球の声です。
あなたがたには、その声を聞き取る力が備わっている。
ただ、その耳を閉じているだけなのです。
「天変地異」というけれど、それは悪でもないし、罰でもない。起こるべくして起こっているのです。
あなたがた一人ひとりが地球の一部であり、地球の命運を握っています。ゆめゆめこのことを忘れてはなりません。
光と闇の混在は、神の御代にもあったこと。
光と闇はともにあり、私たちは光を選んだ。
それが我が君、天あまてる照の神をいただくならわしです。
天照の神が最も尊ぶべき神だと、そのような優劣があるのではありません。
「私たちは光に目を向けて生きます。どんなときも、闇に飲まれそうなときも、光を志向して生きます」
そう宣言をすることなのですよ。天照様をいただくことは、自らへの宣言なのです。
心の扉を開きなさい。心を閉ざし、暗い内へとこもることがあなたを闇へ向かわせます。外に出なさい。
外には喜びがあります。
歌いなさい。踊りなさい。
自らの言葉を口に乗せ、体を使って感情や喜びを表現なさい。それが天あまの岩いわ戸ど 開びらきです。
外の世界にはあなたを傷つけるものばかり。
そう思えばその通りの経験を重ねるだけ。
この世界は、内も外も、あなたの思いに忠実です。
内なる疑いは、心の暗闇を食べて増殖します。
それを育てるのもあなた。
心の扉を開けて光を取り入れ、疑いや心配を信頼に変えていくことも、あなたにできること。
天照(神)は太陽です。そして愛です。
さんさんと降り注ぐ光を浴びなさい。
光に目を向けるのは、あなた。手を伸ばすのも、あなた。
あなたにゆだねられていますよ。
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このメッセージの中に、日本神話におけるクライマックスシーンの一つが登場しています。それが天の岩戸開き。
弟神とされるスサノオノミコトの暴力的なふるまいを憂い、岩戸の中にこもってしまわれた天アマテラスオオミカミ照大神を、神々が協力して岩戸からひっぱりだし、世界が再び光に満たされた……というくだりです。
詳しい方ならピンとこられたかもしれません。この場面で活躍した神が、岩戸の外で上半身裸になり歌い踊ったとされる女神アメノウズメノミコトです。思い込みかもしれませんが、上記のメッセージをくださったのは、アメノウズメ様のように感じられました。
神話は比喩にあふれています。そしてこの世界も、私たちが思っているよりずっと比喩的なもの。
引きこもることが必要な時期もあります。時が来たら、それぞれの天の岩戸開き(ハートをオープンにすること)をしていきましょう。