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香川県 子供の頃の記憶

子供の頃の記憶

 香川県には龍の伝説がある。年間を通して降水量が低く、ダムができるまでは水不足が続くことが多かった。その為人は龍に祈った。またその気候の特徴により、稲作よりも水が少なくて済む小麦の栽培が盛んになり、県民はお米以上にうどんを主食とするようになった。そしてそれが、現在まで続くうどん文化に繋がっているーーー少なくとも私はそう信じていた。
 今述べたことをGoogleで検索する前に、何故私が子供の頃からそう信じていたのかを話したい。昔よく遊んだ公園には龍の伝説の説明書きがあり、龍をモチーフにした遊具があった。子供の頃にはダムの水が減ったので夏場に計画断水が行われたことを記憶している。小麦とうどんに関してはどこかで何かを読んだに違いない。誰かから直接教えられたという記憶はないのである。子供の頃に自分で拾った情報を頭の中で繋ぎ合わせて勝手に納得していた自覚があるので、大人になった今、その話の信憑性を疑っている。
 思い込みか勘違いかもしれない子供の頃の記憶の真偽性を確かめるため、これを書き始めた今、検索をかけて見ることにする。キーワードは『香川 龍 伝説』。最初に出てきたのは神社専門メディアによる田村神社の紹介である。田村神社には馴染みがない、行ったこともないと思う。そのウェブサイトには『龍神伝説が伝わる』とあり、読み進めるとさらに『香川県は雨が少なく、降ったとしてもすぐ海に流れ込む地形のため、昔から水不足に悩まされてきた』とある。降水量が少ないのはまず正解。次に出てきたのは四国八十八景のウェブサイト。『まんのう町に伝わる竜伝説「昇竜しょうりゅうの滝」讃岐地方では降水量が少ない地域に雨をもたらすと言い伝えられた竜伝説』ビンゴ。私の記憶はここから来たに違いない。というのも国営讃岐まんのう公園こそ私が小さな頃よく家族で連れて行ってもらい、弟たちやいとこたち、そして幼馴染と遊んだ場所だったからである。
 では『香川 うどん 理由』ではどうだろう。まずトップに出てきたのは手打ちうどん大蔵さんのウェブサイト。『香川県でうどんが有名になった理由としては香川県の気候が大きく関係していて、香川県では気象災害が少ないことから安定して小麦粉の製造ができることから、小麦粉を美味しく食べる手段としてうどんが県内で広がっていきました。』成程、気象災害が少ない。続けて他のウェブサイトを見ていくと『温暖かつ、雨も少ない瀬戸内海式気候。 そのため、うどんに必要な食材を特産とする』『讃岐うどんの誕生 讃岐地方は降雨量が少ないこともあり、干ばつによる被害がたびたび発生し、安定的な米の生産ができずにいました。 貧しい生活を強いられる中、米の代わりに作られていたのが麦』あながち私の理解も間違ってはいなかったようだ。
 母は香川県の出身である。子供の頃は物心ついた時から、毎年のように家族で香川に帰っていた。父の実家があり、一家で住んでいた茨城から香川まで、父と母が交代で運転して家族全員で車で向かったこともある。車で向かう時に途中で父だけ仕事の関係で新幹線で関東に引き返し母と運転を交換したことも、小学生の子供達だけで飛行機に乗ったこともある。記憶の殆どは夏休みである。単純に祖父母に会えるのが嬉しいのと、買い物好きな祖父に色々買ってもらえたのもあって、帰省した日々は退屈な日常ではなく特別な日々として記憶されている。大人になる前の最後の頃の記憶としては東日本大震災後、福島第一原発の暴走を心配した母の意思によって子供たちだけで香川の祖父母宅に疎開することになったことがある。震災から春休みが終わるまでのほんの短い間だったと記憶している。私が高校一年生から二年生にかけての春である。
 香川での日々で印象深いのは母の実家最寄りの無人駅、うどんを食べに行ってはああでもない、こうでもないと言い合うこと、祖父とのスーパーでの買い物、穏やかで暖かい瀬戸内の海、子供が遊べる公園、善通寺の境内や堅パン、金比羅山の階段と瓦煎餅、うどん学校、夏場に幼馴染のおばあちゃんに連れて行ってもらったプールとお土産にたくさん買ってもらったミスタードーナツ。本当に色んな人によくしてもらったものである。
 香川のことを考えると、子供の頃の自分がいかに帰属意識が高く、自分も香川に所属するものだと思っていたのかがわかる。それは例えば、子供ながらに一丁前に芽生えたうどんの味がわかると思っているプライドであったり、祖父母には甘やかされて当然だと思っていたような図々しさにある。幼い頃は言葉も真似る。大きくなってからは自分は決して香川出身ではないという自覚も強くなる為、下手な讃岐弁なんて口に出せなくなったが、家庭内では父よりも母の言葉が強かった為、茨城でもそれなりに家の中では讃岐弁を聞いていて、ふとした瞬間にそれっぽい言い回しが口から出てしまい、恥ずかしくなるようなことは何度かあった。うどんだって同じである。今なら香川出身でもない私がうどんについて語ろうなんて、とんでもないと思ってしまうが、子供は自分の体よりも大きなプライドの塊であり、私と弟たちはああでもない、こうでもないといちいち食べるうどんに文句をつけていた。それに成長期前の小さな体で平気で量は大(1.5玉以上)を食べていた。完全に周囲の大人たちの真似である。大人になった今では、ほとんどの場合、一玉やそれ以下の小の量で十分である。勿論、今でも機会がある度に香川出身の大人たち、祖父、母、叔母等とうどんを食べにいくことがあるが、彼らが黙ってうどんを食べることはない。昔の方が良かったのだの、もう少しコシがある方が良いだの、天ぷらに関しての好みなど、色々と口にするのである。茨城県出身の私が思うのはどれもこれも適度に美味しい。結局うどんの善し悪しはフランスのシャンパンのようなもので、完全に個人の好みである。
 旅のエッセイで初めに香川について語ろうと思ったのは、これほど馴染み親しみがありながら、今ではもう、自分の帰る場所とは感じなくなってしまった哀しさがあるからである。私は地元の人間ではない。

日本昔ばなしの背景のような風景美


 成人するまでは専ら新幹線と電車を乗り継いでの移動が多かったのだが、最近では専ら国内線で羽田から高松へ飛んでいる。数年のアメリカ留学を経て香川の上空からその土地を見下ろした時には、今まで旅してきた国立公園も顔負けの青々とした自然を見つけて驚いた。後に中国地方をバスで移動した時にも同じような印象を受け取ったのだが、山が多い地方の緑は本当に鮮やかで、例えばアニメで表現されるような、現代人のイメージ通りの自然の姿そのものある。それでいて人の住むエリアとの区切りがはっきりとしていて、小柄な山々と人里と比率には程よいバランスを感じられる。海も同じである。とにかく明るくて綺麗で、自然の脅威ではなく優しさを凝縮したようなある意味での理想郷が見える。
 上空から見下ろしたその印象は飛行機を降りてからもさほど変わらない。決して広くない道路は殆どが充分綺麗に整備されていて、田舎だというのに荒れ果てた田畑は見当たらず、人口が多い印象は受けないのに、道に人はいないのに、きちんと手入れされて整っているような印象を受ける。上空から見ても、空港周辺の自然の多いエリアを車で走っていても、香川の景色は無条件に安心できて、これが香川ですよと誇りたくなるようなジオラマ的な完全さを湛えている。綺麗な瀬戸内の海に浮かぶ島々。四国に上陸すれば形の良い山々、きちんと手をかけられた田畑。ある時、成田空港から実家の善通寺市にレンタカーで向かいながら母が言った。
「茨城でよく見るような、放置されたショベルカーみたいなのがないね」
 その通りなのである。私たちの比較対象は茨城の県南地区で、関東平野のど真ん中、山もないが小さな林や荒地は多い。昔は綺麗な田園風景が広がっていたのかもしれないが、過疎化の影響か田舎に行くにつれ、自由に育ち切った末にそのまま枯れ果てた力強い雑草たちが道の端や道路のひび割れからあちこちを向いて生えていて、ガードレールは雨風にやられて見窄らしく禿げているところへ、人に放置されたような重機や建物の成れの果てを見ることは決して珍しくない。つい最近できたような気がする建物も、数年ですぐに色褪せ砂を被ったように汚れてしまっている。建物は灰色で、広々としているのに荒れ果て、どことなく見窄らしく、人はまだまだ沢山住んでいるはずなのに、美しいばかりではない自然ーー主に天候や植物の強さに押され、整備は後回し、観光地のような景観の美しさとは無縁であるという印象が強い。
 それに比べると、である。香川の景観はなんと穏やかで手が行き届いていることか。これは自然の優しさだろうと私は思う。雑草も茨城のそれに比べれば可愛いものである。僻みではないが、やはり天候の乱れや降雨量が少ないことも影響しているに違いない。香川に住む人たちが毎日せっせと草むしりをしているから綺麗なのではなくて、する必要がないに違いないのだ。
 ここまで景観への称賛を述べてきたが、空港から走り続けて市街地に入るとまあ普通である。私の知る範囲にとどまるが、日本の他の場所とたいして変わり映えのない印象で、大規模なショッピングモールや色合わせた道路沿いの店舗たち、大衆向けレストランや食事処とチェーン店が目に留る。そんな中でもやはりうどん屋さんが多いのが地域性か。

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