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【焦りと不安】本が読めない精神状態

母は優秀な人である。同時にとてもストレスを感じやすい人である。この間久しぶりに私は母と会ったのだが、看護師として働く母は数か月前よりもだいぶ体重が落ちてしまっていて、見たままを表現すると身体や髪が水気失って乾いているように見えた。憔悴というと大袈裟であるし、目の輝きも完全に失われてはいないのだけど、なんだかしょぼんと枯れてしまったようでとても心配になったのである。

「本が読めんのよ」

職場内で異動があってから慣れない環境で辛い思いをしているというのは聞いていた。

「焦りと不安があって、何も集中できないし何も欲しくない。仕事から戻ると家事も何もできへんの。だから休みの日は息子たちに順番に公園で散歩に付き合ってもらって、何とか気を紛らわせとるんやけど」

母は自分は欲しいものはないのだけどストレスを紛らわせるために買い物がしたいのだと言って、私をショッピングモールに連れて行ってくれた。ありがたく色々買ってもらいながら、母が話すのを聞いていると、慣れない仕事環境に加えて人間関係で酷くストレスを抱え込んでしまっているようだった。

私と母は似ている、と思う。昔は感情的な母に自分ばかり傷つけられてきたと思っていたが、それはさらに傷つきやすく繊細な母が自分を保つための唯一の術だったのかもしれなかった。生きている環境は全く違えど、母の痛みはわかる。同時に何もできない自分はただ話を聞くことしかできなかった。

母が言う焦りと不安で何も手が付かないというのは、私も経験したことがある。貧乏役者時代は常にそうだったといっても過言ではない。やりたいことをやっているはずなのに、将来への不安、明日の心配や「自分は何者でもないのだ」「何かを成し遂げなければ」という焦りが私に暗く重くのしかかっていた。公演ごとに変わるスケジュールに合わせる為(また単純に飽きてしまっただけということも多かったが)バイトを転々として収入も全く安定していなかった。貯金も次の当てもないのに、数か月お休みを貰った後に元のバイト先に戻るのが辛くてそのまま辞めてしまったり、日雇いで食いつないだりということを繰り返していた。稽古があればまだ良いのだが、オーディションにも落ちるわ、プロデュース公演にも呼ばれないわで、本業の筈の役者業で当てがないと、もう一体全体何のために生きているのかわからなくなるのである。

こんな状態で数年間生きていたというのが驚きだが、当時は基本的には大好きな筈の映画やドラマも観れないし、本も読めなかった。エンターテイメントは努力していない、成長していない自分が楽しむべきではないという罪悪感から集中できず、文章から世界観を脳内で再現しなければ楽しめない本など開いても、ものの数秒で違うことを考えはじめてしまっていた。そうして益々自己嫌悪に陥るのである。

生きている意味も分からないし、何かを成し遂げなければ存在意義もない。(認めるのは非常に恥ずかしいのだが)自分は本当は他者から注目を浴びるような凄い人であるはずなのだ、でも現実は一生何者にもなれずに終わるのだ、だから何もしたくない、生きている意味が分からない、となってしまう自分の思考の根本的な部分が私をずっと苦しめてきたのだと思う。理想と現実の差に溺れて、生きにくさを感じているのだと思う。これでは無気力になって、努力どころか何のやる気も起きなくなるのは明白であって、今でこそ当時の自分に息をして何とか食いつないで舞台に立っていただけでも凄いよ、と言ってあげたくなる。

私の焦りや不安の正体は理想の華々しく活躍している自分と、部屋に閉じこもって何もできずにぼーっとしている現実の自分とのギャップ。そして金銭的な不安定さが生み出したものだ。

不安に自分の内側が征服されていて、そいつが重く喉元までせりあがってくる。脳内は焦りでいっぱいで、答えの出ないことをぐるぐるぐると考えてしまう。頭も心もぱんぱんで爆発しそう。余裕がなくて泣きそうになる。ふいに理由もなく涙が流れ出す。心臓の鼓動がばくばくとなる。手先が痺れ視界がぼやける、どっと疲れて眠りに落ちる。あ、また何もせず無駄な一日を過ごしてしまった。

救いは芸術である。あまりの美しさに罪悪感など消し飛びその世界観に陶酔する。曲がりなりにも役者をやっていたので、この感覚・感情は自分の表現のためになるのだと安心する。固くこわばった心が解けていく。騒がしい音楽には責められる心地がするが、クラシック音楽には癒される。

。。。

結局自分の話ばかりしてしまったが、何が言いたいかというと「焦り」や「不安」に囚われてしまうと本来の自分を見失うということだ。母の状況は私のそれとは全く違う。それでも、とても辛くて逃げ場がなくて、心の持ちようを変えたり整えたりするのがとても難しいということは分かる。環境を変えない限り、救いがないようのかもしれない。これについてはもう少し考えてみる。


画像は絵本作家の みと吉 禮子様からお借りしました。あくまで個人の感想ですが、白鳥はうつむいていて固まっているようで孤独なんだけれど、絵全体は細部までしっかり色で埋め尽くされている感じが、脳内が爆発しそうなぐるぐるとした不安や恐怖を連想させてなんだか落ち着くけど落ち着かない。素敵な作品です。

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