双極性障害になって自分を愛せるようになった
病気になって失ったものしかない、得たものなどないと思う人には辛い内容になっているかもしれません。そのように思うことは決して間違いではなく、受容のプロセスの途中であると言うつもりも毛頭ありません。私が私のため、楽に生きるたけに綴った文章であることを最初に言わせてください。
双極性障害は自分のアイデンティティ
私が双極性障害と診断されて、もう7年くらい経つでしょうか。精神的な不調で苦しんでいたのは12年前からですが、自分の病気を受け入れられるようになるには干支が一周するくらいかかりました。長い道のりでした。
私は今29歳なので、今までの人生の40%を精神の不調と共に生きてきたことになります。自我が目覚め、大人になってからずっとです。もはや双極性障害と共に生きてきたことは、私のアイデンティティになっています。失ったものはたくさんあります。ですが、私はもう、失ったものを数えて過去を悔やむような生き方はしたくないのです。むしろ、双極性と共に生きてきた自分をサバイバーとして褒めたたえてあげたい。この戦ってきた自負、困難だった道のりを愛する覚悟、それが私のアイデンティティです。
もちろん、障害の受容というのは完璧にはできません。でも、得たものを考えたことはあまりなかった。それは、借金玉さんの本に「病気があって得たものがあるみたいな風潮がクソ嫌い、普通に考えて健常者の方がいいに決まっている」という記述で心が救われた過去があるからです。綺麗事やどんなポジティブより、楽になりました。今も半分くらいは、健常者の方がいいに決まっていると思います。
健常者の方が生きるのは絶対に楽です。でも、ずっとずっとなんで病気になっちゃったんだろうって自分を責め続けるのは嫌。次のステップに行かねばならないと強く思いました。双極性障害になってよかったことを無理やりにでも考え、価値感の転換をしたい。以下、箇条書きにしてみます。
自分に対して本気で向き合わざるを得なかった
辛い時はずっとノートに自分の気持ちを書き殴っていました。今まで書いてきたノートは30冊を超えていると思います。
私はいやというほど自分と向き合った。これは、この後の人生において大きな財産になるはずです。
働きだして思ったのは、仕事を介在しないそのままの「自分」ということについて考える時間というのは、相当余裕がないと取れないということでした。キャリアについて考えるならできますが、家族関係やパートナーシップ、人間関係、そして自分そのものについて、深く考える時間は絶対に必要なのに贅沢品なのではないかと思ってしまいます。私がその贅沢ができたのは事実でしょう。
常にモニタリングする癖が身についた=自分を愛せるようになった
双極性障害をコントロールするには、自分の気分の状態を常に把握している必要があります。今でも自分では気づけず、恋人に早口を指摘されて躁状態に気づく時もありますが、昔よりはだいぶ減りました。
これは、自分の感情に敏感になることにも繋がります。今なぜ不快な気分なのか。どう思っているのか。どうすれば、少しはいい気分になるだろうか。そうやって自分を労り、自分の心の声をちゃんと聞くこと。それは自分を愛することだと私は確信しています。
自分に絶対に嘘をつかないようになった
自分の感情に敏感になると、自分に正直になります。そして、病気になると、ストレスに弱くなります。いやなことはできません。いやだなと思う人からは距離を取り、自分が心地よい人と一緒にいるようになりました。
無理やりに思ったわけじゃないかもしれない
無理やりにでも捻り出してやろうと思っていたけれど、ここまで書いて、全然自分に嘘ついてないなと気づきました。これは今の私の本音なようです。よかった。
まだ解決したい自分の中の岩みたいな問題はたくさんあるけど、「なんで病気になんてなっちまったんだ」というどでかい岩は少しずつ砕けていっているのでしょう。
本当に年を取るごとに楽になります。これからどんな私になっていくのか、とても楽しみです。
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