今日も楽しく。
祖母が亡くなった。
具合が悪いから一緒に住んで欲しいと、ここ数年一緒に住んでいた。建物は別の、同じ敷地内。
彼女の周りには何故か人が集まる。
家にいつも誰かいて、誰か泊まっていて、毎日楽しそうに出かけていた。
具合が悪くて一緒に住んでいたはずなのに、全然元気だった。
私は正直、祖母の周りの友達があまり好きではなかった。
全員ではないけれど変わった人が多くて、あまり遠慮がなくて、デリカシーもなくて、話がコロコロ変わる、おばさん特有のやつだった。
遊びに来るか?とか泊まりに来るか?と言われても、なんとなく断っていた。
ひとりが好きなのもあるけど、なんとなく面倒な感じがして。
ある春のこと
留学を控えた私はホームステイ先がなかなか決まらないと少し怖がりながらも楽しみにしていた。
祖母も私の留学を応援してくれていた。
春休みに一緒に園芸店に行って、花を買った。
一緒に選んだ花を植えた。
トマトも植えた。
「このトマト、一緒に食べようね」
突然のことだった。
友達と食事に行った先で祖母が倒れたらしい。
「意識はあるから大丈夫だろうけど、ついてくる?」
私は特にすることもなかったし普通に心配だったので、母と病院へ向かった。
「もう車には乗らない方がいいね」
「念の為に入院した方がいいかも」
全員が大丈夫だろうと特に大きく心配もしない中、結構な時間待った。
歯を飲み込んで救急で運ばれた100歳くらいのおばあさんがいた。
お医者さんに呼ばれた。
やっと検査が終わったのかと部屋に入った。
「1時間くらい前から心臓が止まっています。今心肺蘇生を行っておりますが、続けますか?」
・
・
・
はい?
今なんて?
何が起こっているのかさっぱり分からなかった。
理解できなかった。
心臓マッサージをされている姿は思い出したくもない。
ただただ、人はこんなにも簡単に死ぬのかと怖くなった。
いつでも話せると思っていたからあまり家に行かなかった
当たり前にいると思っていたから…
悔しかった。 後悔した。
もっと一緒にいたかった。
一緒に植えたトマトは立派に実ったけれど
一緒に食べる約束は果たせなかった。
お供えをしてから一人で食べた。
当たり前にあると思っていた未来は当たり前ではないと気づいた。
「人は忘れられてからが本当の死だ」
とかいう言葉がある。
そんなことは考えたくない。
自分が死んで、みーんな死んで、家族も友達もみーーんな死んでしまったら、私のことを知っている人なんて誰もいなくなる。
世界的に有名になった人でも、いつかきっと忘れられるのだろう。
そんなこと、考えたくない。
でもせめて私が生きている間は、
絶対に忘れたくない。忘れない。
忘れてしまう思い出もあるかもしれないけれど、少なくとも今覚えている記憶は消したくない。 消えないようにしたい。
今毎日を怠惰に生きている私だけど、
毎日楽しく生きていたい。
「毎日を大切に」なんて堅苦しいし
そんなこと考えていたら楽しくなさそうだ。
私は楽しく生きる。
自分だけの人生、苦しい思い出より楽しい思い出が多い方がいいに決まってる。
楽しいの中で、大切を見つけて、大事に生きる
今日もいい日になりますように。
追記:(投稿2回目でこんな暗い話はするべきじゃない笑)
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