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幽霊部員と芥川賞

学生時代、文芸部に所属していたことがあります。
前述したとおり、私は読書好きではなく
学校で強制的に読まされる教科書位しか読んでいないにも関わらず
趣味⇒読書、と書き続けてきた女です。

そんな人間がなぜ文芸部だったのか?

ただただ、早く帰宅できる部活、という観点から選びました。

定期的に発行される冊子に掲載するための作品を仕上げたり
時折指定された本の感想を部員で集まって話し合うこと以外
これといった活動実態がなかった(と思う)と記憶しており
私はほぼ毎日部室にも寄らずに速攻帰宅しておりました。

当然のことながらというか
周りは「読むこと」も「書くこと」も好きな学生達が集まっていましたから
雑談会などの時は本当にいたたまれなく

作家名や作品名が飛び交っても

誰某(だれそれ)
何其(なにそれ)

と口には出さずに
ひたすら黙って
存在感消してやり過ごしていました。
「きこさんはどう考えますか?」なんて部長にあてられた日には
ひゃ!っと飛び上がりそうになって
しどろもどろでした。


冊子に掲載するための文章を各自期限までに書かなくてはいけないのに
書きたいことなど
私にはまったくありませんでした。

電車で立川談志似のおじさんに絡まれた話中心に
エッセイ的なもの

金田一少年にこんなエピソードなかった?と盗作疑惑を持たれそうな
短編ミステリーを
義務感だけで書き上げました。
字数制限は
1万字位だったでしょうか。
どちらも2時間位でササッと書いて
推敲もろくにせず提出しました。

冊子は毎度印刷会社に発注していて
結構しっかりした紙を使用した本格的なものだったように記憶しています。
ペンネームで書いているし
そもそも幽霊部員のようなもので私の存在感も薄いし
1人だけ稚拙な文章で悪目立ちするだろうけど
誰だかバレないから知ったこっちゃない!
と開き直っていました。
ちなみに
私以外の部員は
一文目からぐっと惹きこまれるような
素敵な作品を書きあげていました。


ところが
冊子の販売が始まってしばらくして
驚くべきことが起きました。

私が書いた文章に、ファンがついたのです。
同級生のお母様です。

冊子を一通り読んでくださったみたいで
(部員の私ですら真面目に全部読んでなかったのに)
この文章を書いたのは誰なの?知りたい!
と興味を持たれたというのです。

その同級生が他の文芸部員と仲が良かったこともあり
「あれはきこさんだよー」
というのがすぐにバレました。

え、そんなに人を惹きつけるような文章だったっけ?

改めて読み返してみましたが
勢いだけの酷い内容で表現も稚拙・・・
一体どこがお母様の心を揺り動かしたのか
皆目想像がつきませんでした。


その後何年か経って社会人になった後
学校の後輩(直接面識はないです)に芥川賞受賞者が出ました。

その噂をいち早く聞きつけたお母様が
「きこさんじゃないの?!」
と騒いだという情報が
同級生からのメールによってもたらされました。

なんか、笑っちゃうような話ですよね。

・・・お母様、まだ私のこと覚えてらしたの?

芥川賞って確か
年一回ニュースとかになる文学賞のことよね?
・・・え?

文芸部を卒業して以来
創作意欲皆無な私は
自主的に作品なんて一つも書いておりませんでした。

30歳位の時
卒業以来初めてその同級生と会うことになり
ご両親との旅行途中ということで
お母様とも初の対面となり。

あ~きこさん初めまして!
握手してもらわなきゃ!!
サインもほしい!!!

などとキラキラした目で興奮気味に言われ

このお母様・・・大丈夫かなぁ(心配)

と思ったとか思わなかったとか。
普段そんな反応を人からされることがないので
余計に強烈な印象が残りました。

中学校で教員をされていて
普段から本をたくさん読んでる方だったみたいなので
本当に謎。

でもなんか・・・
そうやって自分を認めてくれる存在って
素直に
ありがたいものですよね。


ちなみに
この文章を読んでいただいてもわかると思いますが
本当に文才はないのです。
今より当時の方が
現代文の授業等で日常的に活字に触れていた分
幾分マシだったかもしれませんが

芥川賞と結びついたというのが
突拍子もない飛躍し過ぎた話で
いまだにミステリーでしかありません。

どこかにある
お母様だけのツボを
私はピンポイントで刺激したんでしょうね。


心に響いたのが
「立川談志似のおじさん」だったのか
犯人の「庭師の杉三さん」だったのか
お会いした時に聞いてみれば良かったと
後悔しております。

同級生もお母様も
元気にしてるのかなぁ。

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