2020年、師走の過ごし方
今年もとうとう師走に突入してしまった。でも、やるべきことが山ほどあるというのに、なぜだかエンジンがかかりにくい。精神的なものなのか、年齢による体調のせいなのか。はたまた単なる怠け者のせい?やっとの思いで重い腰を上げて出来たことといえば...シャワールームのカビ取りと冷蔵庫の庫内の拭き掃除くらい。1日1日が刻々と過ぎて行き、気持ちばかりが焦ってしまう。多分クリスマスが終わるまでこの状況は続くのではないか。
2020年はコロナのせいで1年の大部分を失ったような気がしている。子供たちが通う大学と高校は、結局3月以来対面での授業に戻ることなく学年末を迎えてしまった。ブラジルの12月からの2ヶ月間は夏休み。来年の2月から新学年が始まるが、その時にどのような形態の授業になるのかは今のところ分かってはいない。
息子は早速夜更かしからの朝寝坊(殆ど昼まで寝ている)を満喫し、母子のバトルが絶えることはない。娘は午前は大学、午後はインターンで建築事務所で見習いと言う二足の草鞋から暫し解放されている。これで2月までは朝はゆっくり起床することが許される。
ホリデーシーズンを間近に控えて、街は買い物客で大変賑わっている様だが、我が家のクリスマスは単身で暮らしている義弟と会うくらい。従って例年のような大掛かりな買い物には出かけていない。大型スーパーにもあまり行かずに、もっぱら近所の小さなスーパーで買い物を済ませている。義母は高齢で、自宅から一歩も出ない生活を強いられているし、義弟の家族は昨年カナダに移住してしまった。昨年末は帰国していたけれど、今年はそれも叶わない。
こちらのクリスマスは家で家族と過ごすのが基本だ。そのため、24日の夕方から25日にかけてはレストランやショッピングモール、小売店など全てが閉まってしまうので、街は静まり返る。
我が家のクリスマス料理といえば、私が焼く七面鳥、義母からの和食のお重、義弟のお嫁さんによるポルトガル・ブラジル料理、日本食レストランからの寿司刺身、などが定番だった。
七面鳥の他にもPernil(写真左下)と呼ばれる、豚の腿肉の燻製や魚のハーブ焼き、焼き栗などオーブンを多用する。時間はかかるがオーブンに入れたら放ったらかしで意外と手間はかからない。
このように、料理はホストが全てを用意するのではなく、それぞれが食べたいものを持ち寄るスタイルだ。日葡伯にルーツを持つ家族が持ち寄る料理はなかなかバラエティーに富んでいたと思う。私は義母が持って来てくれたお赤飯や、素朴な煮物が好きだった。
デザートにはケーキ屋さんで、こんな日本的な?ケーキを購入した年もあった。
しかし、なんといってもクリスマスで思い出すのはイタリアのパネトーネ。今の時期のスーパーには箱が山積みになっていて、日持ちがするので贈答用にも大変重宝する。
パネトーネは甘ーく柔らかな生地に細かくしたドライフルーツが混ぜ込んである、イタリアの発酵菓子パンだ。ドライフルーツの代わりにポツポツとチョコレートが入ったチョコトーネ、もしくはチョコレートムースやトリュフ チョコレートがぎっしりと詰まった上に、ご丁寧にチョココーティングがされたヘビーなもの、ダイエットものなど色々な種類がある。注意しなければならないのはパネトーネのカロリーの高さ。美味しいからと食べすぎると後で必ず後悔することになる。
今しがた、これを書いていたら台湾人のお隣さんが訪ねていらした。クリスマスの贈り物を届けてくださったのだが、やっぱりパネトーネ。
うちが用意していた贈り物もパネトーネ。しかも、お隣さんからいただいたモノと全く同じだった。今頃あちらも苦笑いされていることだろう。ドライフルーツ入りの、高級チョコレート店のパネトーネ。パネトーネ同士の交換は今までにもあったとは思うが、全く同じものは初めてだったかもしれない。
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水曜日の夜は息子の通う日本語学校で卒業式があった。うちの子供たちは、6歳の小学校入学時から(習い事として)日本語学校に通って来た。家では日本語で会話をすることが多かったが、読み書きの勉強は母子ではどうしても馴れ合いになる。こちら生まれで、日本人の両親を持つ夫の意見を取り入れての決断だった。
子供たちに日本語を続けさせることには正直葛藤もあった。小学校に入学して数年は、「母国語の習得が異常に遅れている」とブラジル学校の担任より文句が出ることは多々あったからだ。顔は日本人で日本国籍を持っていても、このままブラジル人として生きていけばそれで良いのではないか。いつも心が揺らいだ。日本語の授業も昔ながらの教育方針で大層厳しかった。ブラジル学校の定期試験がある時など、子供たちの様子を見る度に辛かったことを思い出す。
日本語学校の校長、教頭先生は夫のかつての日本語の勉強仲間たちだった。今の校長先生のお母様が、寺子屋のようにご自宅を開放された日本語教室の生徒たちだったのだ。子供たちも一時お母様に教えていただいたこともあった。92歳になられたお母様は、大人の方々のためには今でも教鞭をとっていらっしゃる。スーパーおばあちゃん先生だ。
かつての小さな日本語教室は、娘さんの代で日系のブラジル学校が併設された。今では日系非日系にかかわらずたくさんの生徒たちが通う学校にと成長を遂げた。子供たちは日本語を教わるだけでなく、日本の文化、習慣、礼儀などを身につけた。運動会、文化祭、スピーチ大会、林間学校その他、日本ならではの四季折々の行事について学び、楽しんで来た。
息子が日本語を学べる最終学年だった高2の1年間で、これらの行事のほとんど全てを失った。授業のみ8月から通常通りに戻りはしたが、お祭り好きの息子にとってどんなに無念だったことか。
ブラジル国歌、君が代斉唱、卒業証書授与、卒業生の言葉、先生方からのお言葉。最少限の招待客が見守るなか、式典は無事に執り行われた。写真上は、校長先生からゲンコツでの挨拶を要求されて戸惑う息子。まだみんな慣れていない様子だった。こんな時はギュッとハグされるのがやっぱり良い。
直に教えていただいた教頭先生の、涙に咽びながら絞り出された最後のお言葉、「幸せになって下さい」を思い出すと目が潤んでしまう。長くお世話になったこの学校に足を踏み入れることももうないのだろう。夫の子供時代から数えれば実に50年ほどのお付き合いがあった学校だった。
式典の後、講堂を出たホールのテーブルには大きなケーキが用意されケーキカットが行われるはずだった。でも、このご時世でケーキは予めカットされてアルミホイルに包まれて積まれていた。ココナッツウォーターのパックがテーブル一杯に並ぶ様はもう圧巻。その場で食べることは許されず、家に持ち帰ると言う決まりだった。もちろん始終マスクは着用したまま。
子供たちは学校保有の浴衣や、剣道用の袴を借りて着付けていただいた晴れ姿。ただし足元はブラジルらしくHavaianas(ビーサン)。改めて見るとみんな大きく逞しくなったなぁと感慨深い。先生方、友達と記念撮影をして早々に会場を後にした。彼らはどこかで再会することがあるのだろうか。
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先週の土曜日は、気忙しい師走唯一のお楽しみ、ジャズピアニストの大江千里さんのオンラインでのクリスマスコンサートがあった。日本時間の夜9時(ブラジル時間の土曜日朝9時)マンハッタンのレコーディングスタジオと世界中が繋がった。
ゲストとして、千里さんの4枚目のジャズアルバムAnswer Julyに作詞、ヴォーカリストとして参加された、New York Voices所属のローレン・キンハンさんが招かれた。
Senri Jazzのアルバムやトラディショナルなクリスマスソング(もろびとこぞりて Joy to the world)をローレンさんが歌われ、ポップス時代のクリスマス&ウィンターチューンを千里さんがジャズにアレンジされメドレーで演奏された。ジャズアレンジはあらかじめファンから寄せられていたリクエストに応える形だったが、当日に寄せられたモノもあったそうで、まさに2020年版の即興演奏だった。私を含め、昔の曲に目頭を熱くしたファンもたくさんいたことだろう。
その他にもNYCのクリスマスのライトアップ、千里さんがご自宅でココアを作られる様子などが公開され、見所が満載だった。
約1時間半のコンサートの後はzoomでのお茶会。対面でのライブ開催はなかなか難しいご時世に、まるで千里さんやローレンさんが目の前でお話をしてくださっているような至福の時間を味わった。ローレンさんのはっきりとした分かりやすい英語には優しいお気遣いを感じた。それぞれが飲み物を用意して画面に向けて乾杯!質問に答えて頂いたり、誕生月ごとの挙手制による写真撮影、最後には千里さんからお声をかけていただけたり、素敵な時間を皆さんと共有した。
(良いのかどうか分からないが)その時の画面より切り取った瞬間を一枚だけ。とびきりの笑顔に癒される。この日を変わらずに元気に迎えることが出来て本当に良かった!
千里さんが力強く仰った「来年は良い年になる!」とのお言葉が心に残った。いろいろあった一年だったが、命の尊さをこれほど考えた年はなかったのではないかと思う。
このような機会を与えてくださり、長きに渡り準備されて来た千里さん、ローレンさん、スタッフの皆さんに改めてお礼を申し上げたいです。ありがとうございました!
それでは皆さん、安全で健康に。元気で年越しが出来ますように☆
Merry Christmas ‼︎ Feliz Natal‼︎
素敵なホリデーをお過ごし下さい☆
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