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命懸けのドライブ、ポルトガル料理、そしてその後

19歳になった娘が車の運転免許を取得してから一年近くが経った。最近は家の近所であれば同乗者が無くとも一人で運転する様にはなっているが、サンパウロの田舎の大学に通う友達が週末毎に自力で運転して帰省している事を考えればまだまだ練習不足。免許取得直後は嬉々としてジムやスーパー、弟の送りなど車を出してはいたが、最近はその熱もすっかり冷めてしまった。
そんなある日の事。その田舎の友達が娘に「月曜日にうちのセカンドハウスに泊まりにおいでよ。私達はもうこっちだから、バスに乗って一人でおいで!」と誘ってくれた。友達のセカンドハウスは、サンパウロから車で2時間ほどの所にある長閑な田舎町にあるという。私は行ったことは無いが、娘は中学生の頃から何度かお邪魔させていただいた馴染みの場所だ。でも娘はバスで一人で旅行するのは気がすすまない様子。いつも彼女のご家族の車で送迎してもらうか、主人に送り届けてもらっていて、一人旅の経験は無いからなのだろう。ちょっと考えて「家族に車で送ってもらう」と返事をしたら「赤ちゃんじゃあるまいし」と呆れられてしまったそう。今では違う大学に通う者同士、普段顔を合わせることは滅多にない。冬休み最後のチャンスを逃すのは惜しい。さぁ、どうする?

自分で運転して行く

娘の下した決断はこうだった。「自分で運転して行く」。ただ、親としては同乗者も無しに初心者同様の娘に高速道路を運転させる事は流石に心配だった。家族会議の結果、家族も娘の小旅行に付き合うことになった。主人には月曜日に仕事を休んでもらい(自営なのでそこのところは自由が利く)、助手席に座ってもらう。あちらのご家族と話したところ、ご家族のセカンドハウスのあるSorocaba(ソロカーバ)より20分ほど手前の街、Araçariguama(アラサリグアマ)にあるサービスエリアのレストランで待ち合わせて昼食、娘を引き渡すという事になった。アラサリグアマへの約1時間半の命懸けのドライブ、さてどうなることやら...。

好きな音楽を旅のお供に...

私達はサンパウロのアパートを朝10時半に出発した。私は普段助手席に座るも、主人の運転にヒヤヒヤする事が多い。スピードに弱い小心者なのだ。だから、自分で高速道路を運転すると決めた娘を尊敬すらしてしまう。私には絶対に無理なのだから。今回は助手席は主人に譲ったので、後部座席に息子と座る。主人の無謀な?運転も怖いが、初心者の運転は正直もっと怖い。私は車に乗り込むや否やスマホで音楽を聴き始めた。最近日本からの託送者の方に持って来ていただいた、大江千里さんのポップス時代のCD BOX(四枚組)だ。千里さんの歌声に癒されながら、命掛けのドライブを何とか乗り切ろうという魂胆だった。 おばさんの私も、心だけは20代にタイムスリップ。

初めての高速運転

サンパウロ市内での運転は交通渋滞、運転が乱暴なドライバーも多く(特にバスやトラック)、容易では無い。この日も後部座席に座りながらも「おっ‼︎」と思わず身を乗り出してしまう事が何度かあった。でもそれも想定内。そうこうしているうちにとうとう高速に乗った!

ふとメーターを見ると111キロのスピードが出ていた。これはもう、私にしてみればやっぱり尊敬に値する。何を隠そう、私は日本の教習所の高速教習で100キロを出し切れなかった人間だ。「もっとアクセルを踏み込んで!」と何度も言われたが、最後には「まぁ、いっか」と教官に言わせた経験がある。娘よ、あなたは素晴らしい!
思いの外運転は順調で、私は車窓の景色を少し楽しめるほどになっていた。

巨大な壁画。カヌーでカカオの実を運ぶ青年と巨大チョコレート。チョコレートの宣伝か?(帰り道に判明した事だが、この壁画の裏側にはチョコレート工場があった。)

アラサリグアマのポルトガル料理レストランRANCHO53

サンパウロ市内を出発してきっかり1時間半後、大きなトラブルに巻き込まれることもなく私達は目的地のレストランに到着した。

(↑イメージはレストランのホームページより拝借。)
レストランの名前はRANCHO53。サンパウロ市内から53キロ地点にある事から名付けられたらしい。サンパウロ州内でも有名なポルトガル料理のレストランで、そういえば私達が数年前に訪れた時も、ポルトガルの干し鱈の料理を食べた事を思い出した。
私達が到着した数分後、20キロ先からやって来た友達とその家族と無事合流。暫し抱擁、キスの嵐。これがブラジル流。

レストランの入り口の池では鯉が泳いでいる。レストラン内に一歩足を踏み入れると...。

こちらでメルカードと呼ばれるマーケットに並ぶ食品やワイン、そして軽食エリアが先ず目に飛び込んで来た。

建築学科で学ぶ娘の目を釘付けにした、美しい建築様式。そしてポルトガル風、ブラジル風の陶器の皿や壺?、鍋などが所狭しと並ぶ。

ポルトガルの味

ギャルソンに部屋に案内されると中はこんな感じだった。

頭上に並べられた壺?に興味をそそられる。結局どういう用途なのかは分からなかったが、家の玄関などに飾る物ではないかと皆で推測した。それにしても地震国、日本ではあり得ないデコレーションの仕方。
一同着席し、料理を注文する事に。友達ご家族はポルトガル系との事なので、そちらはお任せしてしまった。最初に前菜として頼んだのは干し鱈(バカリャウ)のコロッケとリングイッサ(豚肉のソーセージ)。どちらも美味。リングイッサはいつものとは一味違っていて柔らかい。パテのよう?コロッケはもう安定の美味しさ。

干し鱈(バカリャウ)のコロッケ。(こちらは上手に写真が撮れなかったのでお店のホームページからイメージを拝借。)
近況報告をしながら、和やかな雰囲気で食事が進む。月曜日の昼間なせいか、お客さんは少な目。テーブル担当のギャルソンはもともとお喋り好きなのか、仕事に余裕があるせいか料理を運ぶたびに私達の会話に入り込んで来る。この店で消費される干し鱈の量はサンパウロ州で一番だとか、世界一辛いピメンタ(唐辛子ソース)を見てくれ、とか。。
前菜の後、お母さんが頼んだ料理二種が運ばれて来た。

左側は干し鱈とジャガイモ、ブロッコリーにチーズをのせてグラタンにしたもの。右側は干し鱈とトマトやゆで卵、黒オリーブ、チーズは無し。私は両方を少しずついただいた。(ちなみにお喋り好きなギャルソンは左側の眼鏡の方。)

干し鱈が肉厚で塩がしっかり抜けていて柔らかくて絶品。義弟の奥さんはポルトガル系なので、クリスマスには必ず干し鱈の料理がテーブルに並ぶ。私達はそれをいただくだけだけれど、クリスマスやイースターの時期にスーパーに並ぶカチカチの干し鱈を数日間水に浸けてじっくり塩抜きさせるのは手間のかかる作業である事は知っている。美味しいものを食べるためには手間暇を惜しんではいけないのだ。
メインの料理を食べ終わる頃、ギャルソンが又お喋りに加わる。「皆さん、これはほんの前菜でしょ⁉︎メインはこれからだよねー。」主人が調子に乗る。「息子はこれからパルメジャーナ(牛や鶏のカツレツ)が来るのを待っているんだよ。」「それはいい!今からパルメジャーナを注文したらタダにしてあげる。でもうちのパルメジャーナは大きいよ!軽く三人前はあるね。それを一人で食べないといけないよ、どうする?イッヒッヒ(笑い)」とこんな感じ。大食漢の息子もこれには流石に苦笑い。楽しい時間はあっという間に過ぎて(それでもたっぷり二時間!)、カフェを飲んで会計も終わり。最後に名残惜しく写真を撮っていると...。

次のお喋り好きの登場

「あれ⁉︎僕の写真を撮ってるんでしょ?この蝶ネクタイ、曲がってなかったかな?」又お喋り好きが話しかけて来た。「写真を撮りたいのでしょう?どうぞどうぞ。奥の部屋は見たかな?ご案内しますよ!」別のギャルソンだ。ではお言葉に甘えて。。

この方が案内人。確かにご自慢のタイル画はとても美しかった。私達はギャルソンのおじさんの勧めでタイル画の前で何枚も写真を撮ってもらった。(おじさんも仲間入りしていた。)そしてこのおじさんは、女子二人と一緒に最後はセルフィーにも収まった。 なかなかダンディーなおじ様。

田舎の方だから人懐っこいのか、平日で時間的に余裕があるからなのか親切で温かみのある応対がとても好印象なお店だった。

いよいよお別れ

私達は店を出て娘の荷物を友達家族の車に移し替えた。これで私達のお役目はお終い。合流した時と同じく又暫し抱擁、そしてキス。二台の車はそれぞれ別々の方向に走り出す。
食事の時にお母さんが「建築学科と生物学科の学生の初コラボよ。木を抜いた後の庭の一画の造園をお願いよ」と仰っていた。

娘がお世話になる四日間に、この小道の横に何かを施さないとならないらしい。果たしてどうなる事やら。 四日間、楽しんでおいで!

帰りの車内は私は助手席に。このまま真っ直ぐサンパウロに戻るかと思いきや、Uターン付近にあるアウトレットに寄ってアイスクリームでも食べようという話になった。ほんの数分、車を走らせる。

確か以前にもこのアウトレットには寄った記憶がある。その時は服にはまるで無関心でゲームをしてばかりだった息子の目の色が俄然変わった。スポーツ店などで息子の服ばかりを三点買う羽目に。とんだ出費。その後当初の目的のアイスをマクドナルドで買ってホッと一息。さぁ、いざサンパウロへ。。

渋滞に遭遇

帰りの運転手はもう初心者では無い。気持ち的には行きよりは少し楽になって、又音楽の続きを聴きながら助手席に座る。ところが行きにも通ったあの、チョコレートの壁画あたりで車の列が出来ている。WAZEの知らせではこの先で事故があったらしい。このままではいつになったら家に着くことが出来るのか見当もつかない。主人はこの場所で高速を降りることを決断した。壁画の手前の道を右に折れる。そして案内に従ってひたすら知らない道に車を走らせる。
海外に住んでいると、知らない土地を彷徨うほど不安な事はない。治安は大丈夫なのか、後どのくらいで高速に戻る事が出来るのか。夕方になり家路を急ぐ人々を横目に不安だけが募る。かなり回り道をしたようだがやっと電光掲示板に見覚えのある地名が出た時にはホッとした。

アウトレットを出たのが4時過ぎ。順調に行けば6時前には家に着くはずだったが、結局一時間もオーバーして帰宅したのは7時前だった。あたりはもう真っ暗だった。やれやれ。
ハラハラな小旅行ではあったが、この行き帰りの時間で大江千里さんのCD4枚をきっちりと聴き終え、自宅に着く寸前にお気に入りの一曲をリピートする事が出来た。友人家族との再会、楽しいお喋り、美味しい食事、(息子だけは買い物も)、そして音楽鑑賞。短い時間とは思えないほど有意義な半日だった。 一ヶ月の南半球の冬休みも残り一週間といったところ。来週には授業が始まり又慌ただしい日々が戻って来る。

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