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冬休みになりました

子供たちの学校が、冬休みに入りました。

先ずは高校生である息子の学校が先週末から。3月半ばに始まったオンラインの授業のままま、校舎に戻ることなく休み入りしました。

オンライン中は毎朝7時半からの授業に間に合うように無理やり叩き起こされていた息子も、早速朝寝坊の日々を満喫しています。

オンラインでの授業が再開する今月29日までの約1ヶ月が冬休み。本来なら現地校が冬休み入りした最初の週には日本語学校の授業がまだあるはずでした。授業後はバスに乗り込み、サンパウロ郊外の老人施設や孤児院でボランティア活動をすることも恒例行事でした。

息子が日本語学習に興味があるかどうかは疑問ではありますが、日本語学校のこういった活動(この他にも文化祭、運動会、林間学校などがあります)に参加する事にとても積極的で、面倒がる素振りを見せた事はありませんでした。今年の運動会が延期になったままな事もとても残念そうです。

生徒たちが日本語学校に残ることができるのは高校2年生まで。高校3年生は受験勉強に専念するように、との学校側の配慮のためです。

今年は11年間に渡って日本語学習を続けてきた息子にとっても卒業の年となります。卒業生には小さなセレモニーがある運動会。年末までに開催する事はもう難しいのでしょうか。。(小1の時、初参加の運動会で。)

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七夕だった一昨日の晩。我が家でもベランダの花壇の植木に慌てて短冊を吊り下げました。強風が吹き荒れた晩でした。翌朝、短冊を確認すると私の短冊は跡形もなく、息子の短冊は下に落ちてしまっていました。

結び直してあげようと拾い上げた息子の青い短冊を見てみると、日本語でこう書いてありました。


「今年の終わりにはやりたい事が決まっていますように。」


日々お気楽に過ごしているような息子も、彼なりに悩んでいるのかと思うとちょっとジーンと来ました。やりたい事が早くから決まっていた娘と比べたら、ゆっくりとした成長。これも彼のペースなのですね。

人に会うことも出来ず、旅行に出ることもない冬休み。何かと不自由を感じる長期休暇ですが、時間だけはたっぷりあるはずです。自分で自分のやりたいことを模索する良い機会になるのでは、と思っています。そんな時、親としてしてあげられることは一体何なのでしょうか。


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一方、大学で建築を学ぶ娘は昨日が学期末でした。やはりオンラインでの授業。グループでのいくつかのプレゼンの準備で、zoomでのミーティングにかかりっきりだった日々。

夜は7時半からの1時間はバスケットのコーチとこれまたzoomでのトレーニング。時間になるといそいそと廊下にヨガマットを広げ、ミシミシと音を立てながら筋トレをしています。階下の方も迷惑だろうなぁと思いますが、通常のトレーニングがない現状。体力、筋力維持のためには仕方がありません。(トレーニングが冬休み中もあるかは今のところ決まっていないようです。)

この1週間は学期末の総仕上げ。個人のプレゼンの準備のために毎日3、4時間ほどの睡眠時間で頑張っていました。私が夜中に目を覚ましてもいつも部屋の電気が点いていていました。私ならとても務まりそうにありませんでしたが、出来てしまうのは若さゆえなのでしょう。昨日の発表を控えた一昨日の晩は特に大変そうでした。夜中の時点で「間に合うか分からない」と恐ろしいことを口にしていました。

毎朝部屋を覗くとこんな感じで、まるで北極にいるかのようないでたちで一心不乱にPCに向かっていた娘。

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緊張の当日の本番前。娘は朝6時過ぎに起きて来ました。訊けば早朝4時半まで最終チェックをして、それから寝たとのこと。自信の程は?と問えばとても不安そう。やるだけの事をやったなら大丈夫、精一杯頑張りなさい、と励ますしかありませんでした。

そして結果。緊張でマウスを動かす手が震えたりしたものの、先生には大変気に入っていただけて、「修士課程の学生さんのためのサイトに載せる」と言っていただけたそう。友達にも祝福して貰ってとても嬉しそうで、私も安堵しました。

昨日は昼食を済ませた娘は泥のように午後中眠っていました。夕飯の時に起きて来た時にはもうスッキリ。朝の不安気な顔とは打って変わり、自信に満ち溢れた表情。これで安心の冬休みを迎えられそうです。

彼女は大学に入学して3年目、第5期を終えたところです。建築科は5年制なので、後2年半は学生生活を送る事になります。そして、もうそろそろ真剣に自分の将来の準備を始める時期に差し掛かっています。

彼女の机に貼られている、自粛期間、長期休暇中の”TO DOリスト”には「ポートフォリオの作成」もしっかり入っています。

こちらの学生たちはアルバイトをする事は認められておらず、その代わりに自分の専門分野でのインターン(こちらでestágio と呼んでいます)として雇ってもらうことになります。こんなご時世でもあり、学生を雇ってくれる職場が見つかるものかどうか...本人も心配なようです。

高校生の時、彼女は自分の職業適性につきカウンセラーに相談した事がありました。ほぼ予想通りにエンジニアや建築家が上がって来て、カウンセラーのオススメは「より高収入が得られるエンジニア」でした。

確かに理数系が得意だった彼女はエンジニアにも向いていたかもしれません。でも、中学の時に自分で選んだ道を彼女は変えることはありませんでした。エンジニアでもなくインテリアデザイナーでもなく、彼女が自分自身で選んだ道は「建築家」だったのです。

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これはファベーラと言われるスラム街でのrebuildプロジェクトのボランティアをした時の写真です。机の上での作業だけでなく、現場での経験がこれから社会に出る上で役に立つであろう事は言うまでもありません。

ともあれ、忙しい日々からやっと娘も解放されます。これでお皿洗い要員が戻ってくれることになりそうで、母もひと安心。子供たちの冬休み中に母も少しは楽が出来るかな、と目論んでいますがどうなる事でしょう。


【追記】

七夕の晩に、近所で突如打ち上げられた冬の花火は、新しくアパートが建つ更地での地鎮祭のようなものだったと分かりました。(向かい側のアパートに住む友達が教えてくれました。)

思いがけないことで、七夕の晩のちょっとしたサプライズとなりました。








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