日本語を全力で話せることのありがたさ
いつもの公園に徒歩で向かっていた。馴染みのベーカリーに差し掛かる少し手前で、反対側からこちらに来ていた日系人(と思った)の女性に、テンションマックスな声で呼びかけられた。一瞬「何事か?」と思ったが、よく見ると人懐っこい、懐かしい笑顔がそこにあった。
彼女と知り合って20年以上の年月が経った。上の子を妊娠中に、共通の知人から紹介され(あの当時、日本から嫁いで来た妻の会、のようなグループに属していた)、何回かランチに行ったり我が家にも来ていただいた記憶がある。
彼女は私よりいくつか年下で、その当時はまだ新婚さんだった。とても快活な方で表情が豊か。大きな目をくるくるさせながら面白おかしく話を展開させる。タイプが違う私は、そのエネルギーに圧倒されながらも彼女の話に引き込まれていったものだ。
ご主人様が日系二世で日本企業にお勤めなど、何かと共通項も多かった。そのうちに私が出産し子育てに追われるようになり。。その会とも彼女とも自然に疎遠になってしまった。
彼女と再会したのは、子供たちが通う日本語学校の運動会でだった。かれこれ5、6年前?どちらともなく声をかけ、再会を喜んだ。彼女はうちの息子と同じ年頃の、二人の男の子のお母さんになっていた。
音信が途絶えていた間、ご主人様の転勤で、海外を転々としていたらしい。あの当時はちょうどサンパウロに戻ったばかりだった。訊けば、新しい住まいは我が家から徒歩3分のところに建ったアパートだった。我が家からもその建物はよく見え、私が撮影する満月と一緒に写っていたりもする。
しかし、こんなに近所に住んでいながらもお互いの距離はなかなか縮まらない。彼女の住むアパートの隣のスーパーで、公園に続く道で(これが一番多かったかも)、何度となく彼女に呼び止められたが(呼び止めるのはぼーっとしている私ではなく、いつも彼女の方だった)、「いつか一緒にウォーキングを、お茶を、ランチを」。その全てが一度も叶わないうちにパンデミックを経て今日に至る。
偶然に会う時は、いつもお互いの近況もそれなりにアップデートされていて話が尽きることはない。お年頃ならではの健康のこと、子供たちのこと、これから先の生き方?に至るまで。ついつい時間を忘れて立ち話をしてしまう。今回もそんな感じだった。
彼女は車をベーカリー付近に停めて公園でウォーキングをし、ベーカリーで買い物をして家に帰るらしい。長い距離は歩かないけれど、週に3回くらい公園に来ているとのことだった。全然知らなかった。遠目に私たちを見かけることもあったとも言っていた。ツーといえばカーと、全てが通じてしまう母国語での会話はとてもありがたい、としみじみと実感するひとときだった。
我が家の家庭内での会話の八割方はポルトガル語だが、私が家族にポルトガル語で話しかけることはない。夫も子供たちも日本語を理解するが、こちらが全力で話してしまった場合(特に子供たちは)どれくらい分かってくれているのかも定かではない。メッセージなども、なるべく噛み砕いた易しい言葉で(漢字で)送ることは必須だ。
NHKのニュース以外の、純正な日本語を久しぶりに聞いた気がした。義母とももちろん日本語で話すが、世代の違いもある。義母はそうでもないが、古くから移民して来た親戚となると日本語も形を変えて、名詞や動詞がポルトガル語に置き換わってしまう「コロニア語」というものになってしまって久しい。尤も、そういう方々の殆どは鬼籍に入られてしまったが。
彼女とは「またそのうちに必ず会いましょう」といつものように別れた。果たして次の再会はいつになることやら。
こんな日曜日。今週も頑張ろう♪皆さんもどうぞ素敵な1週間を。。
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