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豆腐が食べたくて

 皆さんも時々ありますよね?何だか無性に豆腐が食べたくなることが。今週の私がそんな感じで、週の初めから豆腐が食べたくて仕方がありませんでした。そんな時、日本の皆さんは何はともあれスーパーに。でもこちらは日本の反対側に位置するブラジル、サンパウロ市。近所のスーパーで豆腐を手に入れるのはなかなか困難です。地下鉄で5駅目の、東洋人街にまで行けば問題なく手に入る豆腐。でもこのご時世で以前ほど頻繁に買い出しに行くこともなくなって、次回の買い出しは1ヶ月後位かなという感じで。

 そんな時、隣国に住む幼馴染みがInstagramに写真をアップしているのを見かけました。大豆から手作りした豆腐の写真。彼女の豆腐作りの様子は今までにも何度か見かけたことがあったのですが、今回はなんとも心惹かれてしまいました...。よし、豆腐作りにチャレンジしてみよう!と無謀にも思ってしまったわけです。


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 豆腐作りに必要な材料は至ってシンプル。

乾燥大豆 1カップ半(前日から4カップの水に丸一日浸けて戻す)
     今回は初回なので量は控え目に。

ニガリ  適宜
     (塩化マグネシウムの代わりに卵の殻を4日間酢に浸けた液で代用。)

水    4カップ

 先ずは豆腐を水切りするための容器を用意します。(水を切るために底にはキリで穴を開けておきます。)

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 酢に浸かった卵の殻を濾しとります。卵の殻に含まれるカリウムが酢に溶け出して、ニガリのような働きをするらしいです。

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 水に浸して戻した大豆を(浸した水ごと)ミキサーにかけます。一度にかけないで様子を見ながら三回くらいに分けてかけます。(ここでリビングでリモートで仕事中の夫より「うるさい」とクレームが入りました。ドアを閉めて作業を続けます。)

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 撹拌した大豆を鍋に入れ、沸かした4カップのお湯を加え、大豆臭い匂いがなくなるまで火にかけます。

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 豆腐の良い香りがしてきて、滑らかになったら布で濾し、ギュッと絞ります。

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 サラシの布が良いのでしょうが、見つからなかったため、帰国時に温泉から持ち帰った薄手のタオルで代用しました。息子が小さかった頃、こんな薄手のタオルが大好きで「タオちゃん」と名づけ、指をしゃぶりながら肌身離さず持っていました。懐かしい。

 思いがけず豆乳絞りに難航。予め布を袋状に縫っておけば楽だったのでしょうが、そうしなかったために絞る度おからが飛び散るハメに。汚れたガスレンジや床をきれいにして、用済みのミキサーや鍋を洗ったり。。ドッと疲れてしまいました。

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 四苦八苦して豆腐の素の豆乳とおからが出来ました。おからは足が早いとのことで二回分に分けて直ちにに冷凍。

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 出来上がった豆乳を入れて7、80℃に温めます。温度は高過ぎても低過ぎてもニガリの働きに影響するそうで、ここは是非慎重に。温度計があればより安心かも知れません。焦がさないように絶えず木べらでかき混ぜます。豆乳の様子を見ながら、木べらに伝わせてニガリを入れて行きます。ほどなく豆乳が固まり始めました。

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 用意していた型に分離した固まりを掬って入れ、表面を平らにします。下には余分な水分が流れ出てやわやわだった豆腐もどきが次第に豆腐らしくなっていきます。

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 こちらが完成品の豆腐です。型に敷いた布の模様が付いてなんとも不格好な豆腐。でも恐る恐る口に運ぶと豆の香りが口いっぱいに広がりました。そして調味料は一切入れていないのに不思議に甘みがありました。柔らか目の豆腐でしたが崩れることなく形を保ってなんとも愛おしい♡

 薬味は朝市で手に入れたばかりの、細ネギと生姜のすりおろしとイタリアンパセリで。お借りしたヘッダー写真のように美しい豆腐にはなりませんでしたが、初めてにしては大満足の出来栄えで、一丁の豆腐は瞬く間になくなりました。


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 手作り豆腐を食べながら、夫が子供時代の思い出話をしてくれました。

 夫家族は夫が5歳の頃、サンパウロ市近郊のジアデーマ市に住んでいたそうです。祖父母、両親に夫と妹の6人暮らし。末の弟はまだ生まれていなかった頃。夫はおじいちゃん、おばあちゃん子だったようで、祖父母に付いて買い物や散歩に出かけるのを楽しみにしていたそう。

 祖父との散歩で立ち寄るのは決まって街角のバル(立ち呑み屋)。祖父はピンガというサトウキビの地酒を一杯引っ掛けては「おばあちゃんには内緒だぞ」と夫に言っていたそうです。(大概勘の良い祖母に見つかってはこっぴどく叱られていたそうですが。)

 祖母とは週一回、近所の豆腐屋さんに買い物に出かけていたそうです。かつて日本でもあちこちで見かけられた手作り豆腐のお店。夫は店先で豆腐作りの工程を飽きもせず眺めていたそうで、お店の方々にも可愛がられていたのだとか。そのお店は一族で経営されていて、おばさんご夫婦が豆腐作りを切り盛りし、娘さんご夫婦は同じ敷地内でパン屋さんを営んでいたそうです。豆腐と一緒に出来立てのあんぱんを注文すると、いつも決まって一つオマケにもらえたのだそう。それを齧りながら家に帰るのが何よりも楽しみだったようです。多分、厳格な義母と一緒だったらそんなお行儀の悪いことは許されなかったのでしょう。そのお店ではお爺さんが木彫りの置き物を製作されていて、祖母は時々仏像などを買っていたようです。(これも義母から文句の一つも出そうな。)

 昔ながらの手作り豆腐のお味はさぞかし格別だったでしょう。そのお店を、一族のどなたかが引き継いで今でも経営されているのでしょうか。


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 私にとっての豆腐屋さんの思い出といえば、夕方になるとラッパを「プー、ププッ」とリズミカルに吹きながらバイクで颯爽と現れた豆腐屋のおじさん。その音を聴きつけるや否や、集合住宅の窓から主婦たちが顔を出します。中でもひときわ目だったのは我が家の階上に住む同級生のミチオ君のお母さん。コーラスで鍛えたソプラノヴォイスで「お豆腐屋さ〜ん♪」とおじさんを呼び止めます。その後、鍋を持った奥様方がワラワラと集まりおじさんを囲み、暫し談笑が続きます。そしてそれぞれの家に帰って行く。そんな光景が頭に浮かんで来ました。70年代はブラジルも日本も、長閑な時代だったのだろうなぁ。皆さんにもお豆腐に纏わるノスタルジックな思い出がありますか?

 次回の豆腐作りは全ての工程を覚えていると豪語した夫に任せようと思います。どんな豆腐が出来上がるか今から楽しみです♪






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